「消滅可能性自治体」で気づいた
2024年4月24日に「人口戦略会議」が示した「消滅可能性自治体」リストが大きな話題になっています。これは2014年5月に日本創成会議(増田寛也座長)が「消滅可能性都市」リストを発表してからちょうど10年となるもので、今回の「消滅可能性自治体」との異同も盛んに報道されています。
僕の「私論」は、これらの発表内容について、その妥当性を論評するものではなく、「消滅可能性」という言葉が、定義のあいまいなままで広まることに対してのものです。
今回の報道で改めて資料を見返してみて、「消滅可能性」という耳目を集める言葉が、多くの人が日本の人口減現象を直視することを妨げ、性急な解決策に飛びつこうとする結果、「人口減」「極点社会」の出現を後押ししてしまうのではないかと危惧しています。
1.地方の「消滅可能性」とは
2014年8月に発売された『地方消滅 東京一極集中が招く人口急減』(増田寛也編著、中公新書2282)に、以下のような記述があります。
この定義は、僕も含め多くの人が知らずに誤解しているのでないでしょうか。「地域の消滅可能性」というと、僕は人口だけでなく経済活動、都市インフラなど様々な変数を勘案して算出されたものだと思いこんでいました。
それが、「20〜39歳女性人口」が減少している都市が消滅するのだという仮説は、人口移動の影響を無視していること、また女性の生活多様性を無視している点で、かなり乱暴だと感じます。
話は少し脱線しているようですが、日本の人口減少に対して、すぐさま「出生率を増やさなければ」といきり立つ政治家や有識者がいますが、今回の「消滅可能性都市(自治体)」を取り上げる人たちの中にも同様の「暴論」(と敢えていいます。問題の本質を理解せず、自らの無知や誤解にもとづく意見なので)を大声で繰り返す人が目立ちます。
『地方消滅』を落ち着いて読むと理解できると思いますが、日本創生会議は日本の人口減少は不可避であり、まず地方都市(自治体)の人口急減を避けること、ひいては人口の「極点社会」(東京集中、人口のブラックホール化)を避けることを提言しています。
ところが、極点社会として名指しはされてはいないものの問題視されている東京都の小池都知事の認識がまったくズレています。
26日の定例会見で記者から「都では区を中心にブラックホール型の人口が多いとの指摘があった」という質問に対して、以下のようなピンボケ回答をしています。
ちなみにこの「ブラックホール型」については、『地方消滅』でもしっかり言及されています。小池都知事がこの内容を知らずにいるのは、以下の引用部を見れば明らかです。
2.人口減社会〜縮小社会へ
人口減が避けられないとすれば、では個人としてどうすればいいのか。
『楽しい縮小社会 「小さな日本」でいいじゃないか』(森まゆみ、松久寛、筑摩書房)という本があります。
ちょっと脱線しますが、本書の副題の「小さな日本」。これに僕は石橋湛山の『小日本主義』を思い起こします。当時の国策であった大日本主義はアジアへの侵略を引き起こし、最終的には日本の破滅を招いたのですから、ここで歴史を振り返ると、破滅を避ける知恵というのは非常に難しいものだという思いが拭えません。しかし、この問題を避けて通ることは不可能です。社会にとって「傍観者」でいることは加害者であるよりも害をもたらすこともありえますから。
縮小社会の具体的なイメージは、それこそ本書にその内容を譲りますが、ローカルエコノミーとか定常社会とか、さまざまなキーワードが浮かぶものの、「では、自分にとって縮小社会とはなにか」とイメージすることが必要でしょう。
もしかするとミニマリスト的生活をイメージする人もいるでしょうし、またある人はシェアリング・エコノミーを思い浮かべるかもしれません。
となると、案外抜け落ちがちな視点は「動機をどう維持するか」かもしれないと感じます。
物的・量的・数的価値観から精神的・質的な価値観へ切り替えることができれば、「縮小社会もまた楽し」となるでしょう。