禍福はあざなえる縄のごとし
なんだか今週は、他人の会話盗聴を面白可笑しく書く気分じゃなく、タイトルの言葉をしみじみと噛み締めています。私にもそんな二枚目の夜があってもいいことでしょう―――
一から説明します。毎週土曜日、NHKで放送している「トットてれび」というドラマがたまらない。トットちゃん=黒柳徹子さんの目を通して、日本のテレビ草創期のエピソードが語られるこのドラマ、本当に隅から隅まで丁寧に描かれていて、毎週毎週、ド・ストライク過ぎて息が詰まりそう。特に先日は、「私がこの世で一番憧れる女性」と断言出来る向田邦子さんとトットちゃんの思い出に焦点が当てられた回で、向田さんが当時住んでいた霞町アパートや、南青山のマンション、よく原稿を書いていたという中華料理店の細部にわたるまで、今まで写真集や各種書籍等で見てきた世界が、それはそれは忠実に再現されていて、しばらく録画が消せそうにない。もうNHKに、120点を進呈する!
特に印象的だったのは、トットちゃんと向田さんの出会いのシーン。ラジオドラマの収録が行われているスタジオの片隅で、脚本家の向田さんが原稿を書いている。そこへ、演者のトットちゃんが台詞について質問をしに行く。「あの、失礼します、黒柳です」「何か?」「あの……この……『禍福?』」「ええ、禍福……」「禍福?『禍福はあざなえる縄のごとし』、というのはどういう意味でしょうか?」「……人生は、幸福の縄と不幸の縄、二つがよってあるようなものだ。つまり、幸福の裏には必ず不幸があるってことじゃない?」「……そうかな?……あの、幸福の縄だけでよってあるってことはないんですか?」「(首をゆっくり振って)ないの……」
そこからシーンは、二人の出会いから時が経った直木賞の授賞式会場へと飛ぶ。向田さんが直木賞を受賞し、トットちゃんが授賞パーティの司会をしているシーンだ。向田さんの本業は脚本家だが、五十歳になって初めて書いた小説集「思い出トランプ」の中の数編が直木賞を受賞する。辛口の選考委員たちにも「向田邦子は、突然現れてほとんど名人である」「選考委員にとって一番つらいことは、候補者に自分より小説が上手い人がいること」と言わしめるほどの文才だけれども、授賞式のスピーチでは、数年前に乳がんを患い、いつ死ぬか分からないという恐怖と戦っていたことを告白。出会いの時にはキョトンとしていたトットちゃんも、その時には「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉を噛み締め、涙していた。そしてそのわずか一年後、向田さんは、乗っていた台湾行きの飛行機が墜落し、五十一歳の若さで亡くなるのだ。
さて、私が向田さんを好きな理由は、著書「眠る盃」に収録されている、東京オリンピックの開会式に関する記述に集約されているような気がする。以下引用します。
父と言い争いをして、家を出ることになってしまった。猫を連れて入るアパートを探して、不動産屋の車で青山あたりを回っていたら、開会式の時刻になった。日本中の人がテレビにかじりついているというのに、父と争い家を飛び出して部屋探しをしている人間もいる。不動産屋の車が青山の表通りから横丁へ曲がった。こんなところにマンションがあるのかな、と思ったとたん、ゆきどまりになった横丁の真下に、国立競技場が広がっていた。「ここが日本一の特等席ですよ」たいまつを掲げた選手が、たしかな足どりで聖火台へ駆け上ってゆき、火がともるのを見ていたら、わけのわからない涙が溢れてきた。オリンピックの感激なのか、三十年間の暮らしと別れて家を出る感傷なのか、自分でも判らなかった。アパートは霞町に見つかった」
向田さんは、日本のテレビ草創期のコンテンツを、日本のど真ん中で作り上げた人だ。そして東京オリンピックといえば、当時のテレビ放送を象徴する国家的行事だ。本来であれば、その開会式を、誰よりもど真ん中で、感慨を持って見つめる立場にあるはずの向田さんが、こんな風な思いで(かの有名な「父の詫び状」に出て来るお父さんと喧嘩して)隅っこから見つめていたこと、これは意外であると同時に、人間というもののスーパーリアルを表しているような気もする。
このエピソードに象徴されるように、向田さんは、美貌、卓越した文才、数々の仕事の実績を手にしながらも、どこか人生の隅っこを歩いているところがある。当時は、今よりも明確に、いわゆる「女性の幸せ」と考えられていたであろう「結婚や出産」も経験せず、付き合っていた恋人は既婚者で病気持ちのカメラマンだった。そのことを選び取ったのは向田さん自身で、実際には、凡人には決して味わうことの出来ないような幸福のシャワーを浴びていたに違いないが、客観的に見た場合、孤独でいびつな人生という印象も受け、その不完全さこそが、向田邦子という人の魅力なのだろう。
昨今では、「年を重ねても美しさを保ち、エリートで素敵な旦那様と可愛い子供から沢山の愛情を受けて、仕事も頑張っています」というような全方位の幸せをアピールする女性が多いけれども、なにかそういうのは、通り一遍のアピールの気がする。卓越した才能を持ちながらも、肝心なところでは道の端っこを歩いている、「禍福はあざなえる縄のごとし」という言葉を噛み締めながら生きていけるような、そんな崇高な人生って素敵、としみじみ思う週末の夜です。