【研究メモ】アルシスとテシスについて

(※これはメモなので、外国語の多くは機械翻訳で済ませている。また、不定期に更新する予定である。)

古代ギリシャのリズム論にアルシスとテシスという用語が出てくる。当時のリズム論では、リズムを「脚」と呼ばれる構造によって考えるのが普通であった。脚は長い時間と短い時間の組み合わせによって構成されるリズムパターンであるが、これをさらに前後2つの部分に分けてその比率によってリズムは分類された。これをリズムの種(ゲノス)といい、古い理論では1:1、1:2、2:3の3種類、後に3:4を加えた4種類あった。順序は前後逆でもよい。1:1のものはその代表的な脚の名称からダクテュロス種と呼ばれた。だからダクテュロス種には、ダクテュロスの他にアナペストやスポンデイオスなどの脚が含まれる。同様に、1:2はイヤンボス種、2:3はパイオーン種、3:4はエピトリトス種という。この2つに分けられた一方をアルシスといい、他方をテシスという。必ずアルシスを先に言う理論家と、テシスが先になる場合にも言及する理論家がいる。アルシスとテシスの元の意味は、足を上げることと、足を下ろして踏むことである。

近代の音楽理論ではアルシスを弱拍、テシスを強拍と考えるのが普通。

ラテン語では「上げる」levatioとかelevatioとかsublatioとかelatioとか、また「下げる」はpositioとかdepositioとかdispositioとかdepressioとか、いくつかの訳語がある。

多くの場合はかならずアルシス・テシスの順序で言及されるが、アリステイデースは逆の順番の事例も紹介しており、用語の意味が変化している可能性がある。

後の時代に、詩の分野でこれが「声を上げること・下げること」の意味に誤解され、アルシスがアクセントのある音節を意味するものとして一部に広まった。近代でこのような用法をする人の代表者が、イギリスのR. ベントレー、そしてドイツのG. ヘルマンである。今でも英語の詩では用語が逆で、アルシスが強音部を指す。

中世の文献を調べると、2つの別の用法が注目される。1つは6〜7世紀のセビリャのイシドールスに見られるアルシスを開始、テシスを「終わり」とする用法。古代ギリシャでは詩脚の最初と終わりを示していた可能性があるが、中世ではもっと長い範囲に応用されている。もう1つは、音程の上昇・下降をアルシス・テシスと言う用法。11世紀のグイード・ダレッツォなどもこの用法でこの言葉を用いている。アルシス・テシスのリズム的な意味を復活させたのは、おそらく15世紀末のガッフリウスだろう

15世紀末ごろから音楽理論では、この上下運動がなにかを叩いて時間を測る行為とみなされるようになった。おそらくタクトゥスという言葉が現れたころだと考えられる。これがイタリア語でバットゥータという用語になる。古代の用法では時間を測定するための行為とは思えない。ただし、規則性を重視するアウグスティヌスは例外的で、彼のアルシス・テシスの切り替わりは音節の切れ目と一致しなくてもいい。

16世紀半ばのザルリーノはテシスを強拍と同一視し、しかもテシス・アルシスの順番に変えた。一方、おそらくフランスではアルシス・テシスの順序が守られ、その結果フランスの文献では必ずlevé (上げ), frappé (下げ)の順序で言及されるようになったと考えられる。ザルリーノの理論はイタリアのみならず、オランダを経由して北ドイツにも大きな影響を与えた。このことがバロック時代のリズム論に、2つの潮流をもたらしたのではないか?しかしフランス系の潮流は現代の音楽学では無視されているのではないか?


アルシスとテシスの語源

アルシス ἄρσις

ἄρσις (アルシス)の語源は αἴρω (アイロー)「持ち上げる」に抽象名詞を作るシス -σιςを付けたもの。

テシス θέσις

θέσις (テシス)の語源は τίθημι (ティテーミ)「置く」。

バシス βάσις

アリストクセノス(『リズム原論』II-20, 21)はテシスの代わりにバシスという言葉を使った。バシス βάσιςは「ステップ」とか「土台」という意味で、その語源はバイノー βαίνω「歩く、土台に立つ」である。


アルシスとテシスの意味の変遷

B.C. 4世紀

アリストクセノス 『リズム原論』II-20, 21

アリストクセノス Ἀριστόξενος (紀元前375年生まれ、紀元前335ごろ活躍)はアリストテレスの最も優れた弟子の1人。

アリストクセノスはテシスではなくバシス βάσιςを使っている。また、ἄνω「上部」とκάτω「下部」という用語も使っている。

運動を「足を挙げてから下ろすまで」という区切りで考えていた可能性はある。


偽アリストテレス 『問題集』5.41

松波烈は『ドイツ語のヘクサメタ』の第3章、p.108で、アルシスとテシスが偽アリストテレスの『問題集』5.41に由来すると言っているが、するとこの用語はアリストテレスやその弟子の時代にできた言葉だというのだろうか?

これをもってアルシス・テシスという用語の始まりとみなすのはかなり無理があるのではなかろうか。紀元前4世紀のアリストクセノスの方が古いように思う。

Διὰ τί πρὸς τὰ σιμὰ χαλεπῶς βαδίζομεν; ἢ διότι πᾶσα πορεία ἐξ ἄρσεως καὶ θέσεως συντελεῖται; τὸ μὲν οὖν ἆραι παρὰ φύσιν, τὸ δὲ θεῖναι κατὰ φύσιν, τὸ δὲ προσθεῖναι μεσότης· ἐν δὲ τῷ πρὸς τὰ σιμὰ βαδίζειν πολὺ τὸ παρὰ φύσιν.
なぜ我々は階段を登るのが難しいのでしょうか。それはすべての動きが持ち上げることと置くことによって成り立っているからです。持ち上げることは自然に反しており、置くことは自然に従っているのです。そして、その間にある動きは中間の状態です。階段を登る際には、多くの動きが自然に反しているのです。

ἆραι (アライ)「持ち上げること」は αἴρω (アイロー)「持ち上げる」のアオリスト能動態不定詞。

θεῖναι (テイナイ)「置くこと」は τίθημι (ティテーミ)「置く」のアオリスト能動態不定詞。


William David Rossによる訳 (The Works of Aristotle, Vol.7, 1927)

Why do we walk with difficulty up a steep slope? Is it because all progression is made up of raising the feet and putting them down again? Now raising the foot is unnatural and putting it down is natural, while putting the foot forward[1] is a mean between the two. Now in walking up a steep slope the unnatural motion preponderates. 
急な坂を上るときに私たちが困難を感じるのはなぜでしょうか?それは、歩行が足を持ち上げて再び下ろす動作で成り立っているからです。足を持ち上げることは不自然であり、足を下ろすことは自然な動作です。一方で、足を前に出すことはその二つの中間の動作です。急な坂を上るときには、不自然な動作が優勢になります。


4世紀(?) アリステイデース(個性的な用法)

ギリシャ人Ἀριστείδης Κοϊντιλιανός (羅Aristides Quintilianus)は、古典文献学では通常 Aristidesと呼ばれる。これはQuintilianusと言ってしまうと古代ローマの修辞学者M. F. Quintilianusと紛らわしいからだろう。アリステイデースについては、キケロ(紀元前106–43)より後、5世紀初頭のマルティアヌス・カペッラより前の人物、ということしか分かっていない。

アリステイデースのアルシス・テシスはかなり意味合いが変化しているように思える

Ῥυθμὸς τοίνυν ἐστὶ σύστημα ἐκ χρόνων κατά τινα τάξιν συγκειμένων· καὶ τὰ τούτων πάθη καλοῦμεν ἄρσιν καὶ θέσιν, ψόφον καὶ ἠρεμίαν.
リズムとは、特定の順序で配置された時間の体系です。そして、その状態をアルシスとテーシス、音と静止と呼びます。

ψόφος(プソポス)は音や雑音のこと。ψόφονはその単数対格形である。

ἠρεμία(エーレミアー)は「静止、静穏」のこと。Liddell-Scott-Jonesの辞書では「rest」とか「rest of the mind」と書かれている。

ここから想像されることは、バロック時代のフランスのCadenceとか、コッホのRuhepunktといった概念の元になったものなのではないか、ということだ。つまりアルシス・テシスとは、運動の開始と終わりを意味している可能性である。

アルシスとテシスを、17世紀にMeibomはElatio, Positioと翻訳している。

アルシスとテシスの間の比率を考えられるものを

しかしダクティル種(1:1)のリズムを説明する際には、テシスが先に述べられている

第1巻第15章では、「短いテシスと短いアルシスからなる単一のプロケレスマティコス・リズム」という記述がある一方、「長いテーシスと二つの短いアルシスからなる大きいアナパイストス、二つの短いアルシスと長いテーシスからなる小さいアナパイストス」という記述があり、どちらが先だというのではなく、役割の違いのようなものとしてアルシス・テシスが扱われているようである。

16章では、「イヤンボスは半分のアルシス(持ち上げること)と二倍のテーシス(置くこと)から成り、トロカイオス(長短格)は二倍のテーシスと短いアルシスから成ります」とされており、トリカイオスの長い方がテシスになっている。


4世紀末〜5世紀初頭 アウグスティヌス

levationepositioneという言葉に翻訳されてアルシスとテシスが出ている。ほとんど同じ意味であるが、動名詞の対格形であるlevandumponendumという言葉になることもある。

第2巻第10章
Amphibrachus nec per se nec aliis mixtus versum conficit. De levatione et positione.
「アンピブラクスは自己自身でもまた他の脚と混合されても詩句を構成しない。「上拍」と「下拍」について

18 Sed hoc nobis considerantibus, opus est haec duo nomina mandare memoriae, levationem et positionem. In plaudendo enim quia levatur et ponitur manus, partem pedis sibi levatio vindicat, partem positio. Partes autem pedum dico illas, de quibus superius, cum eos ordine persequeremur, satis dictum est. Quocirca si hoc probas, incipe recensere breviter mensuras partium in omnibus pedibus, ut quid huic uni de quo agitur proprium acciderit, noveris. D. Video primum pyrrhichium tantum habere in levatione quantum in positione. Spondeus quoque, dactylus, anapaestus, proceleumaticus, choriambus, diiambus, dichorius, antispastus, dispondeus, eadem ratione dividuntur: nam tantumdem temporis in his ponit plausus, quantum levat. Video secundum, iambum simpli et dupli habere rationem; quam rationem cerno et in chorio et in tribracho et in molosso, et in utroque ionico. Jam hujus amphibrachi levatio et positio (nam ipsa mihi ex ordine occurrit, cui pares caeteros quaeram), simpli et tripli ratione constat. Sed non invenio prorsus alium deinceps, cujus sibi partes tanto intervallo conferantur. Nam cum eos considero in quibus una brevis est et duae longae, id est bacchium, creticum et palimbacchium, sesquialteri numeri ratione levationem ac positionem in his fieri video. Eadem ratio est et in iis quatuor, in quibus una longa est et tres breves, qui quatuor paeones ex ordine nominantur. Reliqui sunt quatuor epitriti similiter ex ordine nuncupati, quorum levationem ac positionem sesquitertius numerus continet.
§.18 しかし、これを考慮するにあたって、私たちは「アルシス」と「テーシス」という二つの名前を覚えておく必要があります。拍手をするとき、手が持ち上がり、そして下ろされるので、足の一部はアルシスに属し、もう一部はテーシスに属します。足の部分については、前に述べたように、順序立てて説明したもので十分に説明しました。したがって、これが正しいと考えるならば、すべての足の部分の測定を簡潔に数え始めると、このアンフィブラキュスに特有の何が起こるのかを知ることができます。
D. ピュリキウム(短短格)がアルシスに持ち上げる部分とテーシスに置く部分の両方を持っているのがわかります。スポンデイオス、ダクティルス、アナペーストス、プロケレウマティクス、コリアンブス、ディイアンブス、ディコリウス、アンティスパストス、ディスポンデイオスも同じ理由で分割されます。つまり、これらの足では、手が持ち上げるのと同じだけの時間が拍手に使われます。次に、イアンブス(短長格)には単一と二重の割合があるのがわかります。この割合は、コリオス(長短格)、トリブラチウム(短短短格)、モロッソス(長長長格)、および両方のイオニック(長短短長格、短長長短格)にも見られます。
さて、このアンフィブラキュス(短長短格)のアルシスとテーシスは、単一と三重の割合で構成されています。しかし、これほどの差を持つ他の足は見つかりません。長い音節一つと短い音節二つを持つバッキウス、クレティクス、パリムバッキウスについて考えると、これらはセスキアルタ(3:2)の割合でアルシスとテーシスが行われることがわかります。同じ割合が、一つの長い音節と三つの短い音節を持つ四つのパイオンズ(ペオン)にも見られます。残りの四つのエピトリートス(長短長格、短長長格)も同様に、セスキテルティウス(4:3)の割合でアルシスとテーシスが行われます。


第10章 §.20より
excepto duntaxat amphibracho; quaeri non immerito potest, utrum recte misceantur, qui quanquam sint aequales tempore, non eadem tamen percussione concordant, quae levatione ac positione partes pedis sibimet confert.
ただし、アンフィブラキュスを除きます。それらが時間的に等しいとしても、アルシスとテーシスの打ち方が一致しないため、適切に混ぜることができるかどうかは正当に疑問が残ります。


アウグスティヌスは、音節の区切りとは別に、アルシスとテシスの区切りが存在すると考えている

第2巻第13章§.24の中で、「長音節が手拍子それ自体によって分割される」ということを言っている。これは、長い音節の途中でアルシスとテシスが切り替わると言っているわけで、古代のリズム理論とは違っている点かもしれない。

またアウグスティヌスは、近代の音楽のような、規則的に持続するムジュールのようなものを想定しており、長さの足りない脚は休息を挟むとしている

第3巻§.18より
(…) namque in hoc metro, ubi post choriambum bacchium comperimus, quia unum tempus deest ut sex temporum esset sicut choriambus, facillime id aures senserunt, et in repetitione tanti spatii silentium interponere coegerunt, quantum syllaba occuparet brevis: at si post choriambum locetur spondeus, duo nobis tempora cum silentio peragenda sunt ad caput redeuntibus
(…) コリアンブス(長短短長)の後にバッキウス(短長長)が続く場合、コリアンブスが六つの時間を持つのに対して、(バッキウスには)一つの時間が欠けているため、耳はそれを非常に容易に感じ取り、繰り返しの際にその短い音節の時間だけ沈黙を挿入することになります。もしコリアンブスの後にスポンデウス(長長)が続く場合、私たちは二つの時間を沈黙させてから最初に戻る必要があります。



(※メモ。古代の理論を調べたバロック時代の人たちが、アルシス・テシスを、運動の開始と終わりと理解したとしても全く驚かない。その一方で、ザルリーノはテシスを小節の強拍とするようなことを言っている。すると、ザルリーノの影響を受けたイタリアやオランダ、ドイツの人々とフランス人が異なった理解を示しても何ら不思議ではない。


5〜6世紀 マルティアヌス・カペッラ 

カペッラはアルシス・テシスの順番でしか述べていない。だから、アリステイデースにおいて見られる意味の変化の影響を、カペッラは受けていないと思われる。

pes uero est numeri prima progressio per legitimos et necessarios sonos iuncta, cuius partes duae sunt, arsis et thesis. arsis est elatio, thesis depositio uocis ac remissio.
The foot is the first progression of rhythm, a combination of proper and related sounds. A foot has two parts, arsis and thesis. Arsis is a raising, and thesis a lowering and slackening, of the voice.
足はリズムの最初の進行であり、適切な音と関連する音の組み合わせです。足にはアルシスとテーシスという二つの部分があります。アルシスは声を上げることであり、テーシスは声を下げて緩めることです。


6〜7世紀 セビリャのイシドールス

Isidorus Hispalensis, Sententiae de musica

イシドールスはアルシスを「開始」、テシスを「終わり」とはっきり言っている。これはフランス語のMouvementやCadenceと同じような感覚だ。

Arsis est vocis elevatio, hoc est, initium. Thesis vocis positio, hoc est, finis.
アルシスは声の持ち上げ、すなわち開始です。テーシスは声を置くこと、すなわち終わりです。

Eiusdem musicae perfectiones et metra consistunt in arsi et thesi, id est, in elevatione et positione.
同じ音楽のペルフェクティオーや、メトルムは、アルシスとテシスからなる。すなわち、上げることと下げることである。

perfectioとは何を指しているのだろうか?これは直前の文とここにしか登場していない言葉で、宇宙や人間などに備わる調和に関わるものらしい。そうした調和と類似したものが、メトルムの中にも存在すると考えることは、古代の人々にとってはそれほど不思議ではないし、むしろそうした類似性によって音楽は宇宙と繋がっていると考えられたのである。

Sed haec ratio quemadmodum in mundo est ex volubilitate circulorum, ita et in microcosmo in tantum praeter vocem valet, ut sine ipsius perfectione etiam homo symphoniis carens non constet.
しかし、この比率は、世界の円の循環においても、小宇宙(人間)の中でも音声以外においても同様に有効であり、その完全性なしでは、人間も調和を欠いて存在することができません。

9世紀

『ムジカ・エンキリアーデス』

オルガヌムの最初の記述



Aurelianus Reomensis (fl. c. 840 – 850)



Quartus est arsis, id est, vocis elevatio, hoc est, initium. Quintus thesis; est enim thesis positio, hoc est, finis.
四番目はアルシス、すなわち声の上昇、これは開始を意味する。五番目はテーシス、すなわち位置、これは終わりを意味する。


9世紀末 Regino Prumiensis  Tonarius 

Arsis est vocis elevatio; thesis est vocis positio.
アーシスは声の上昇、テーシスは声の下降(置くこと)です。

10世紀


Remigius Altisiodorensis (c. 850–908) Musica

脚への言及はある。しかし、アルシスとテシスは、声の上げ下げに変化しつつある。他の箇所では脚の時間区分の一方を指す元々のいみで使われている。

Illi pedes, qui proportionaliter ponuntur, legitimi dicuntur: cujus, scilicet pedis, partes tuae sunt, arsis id est elevatio, et thesis, id est depositio ac remissio vocis
比例的に配置された足(ペース)は合法的と呼ばれます。その足の部分は、アーシス(上昇)とテーシス(下降と音の緩和)です。

Quorum unus poeon [diaguios] appellatur ex longa positione, id est thesi, id est ex duobus temporibus, et longa elatione, id est arsis, id est duobus temporibus.
そのうちの一つ、ポエオン(diaguios)は長い配置、すなわちテーシス、すなわち二つの時の単位からなり、長い上昇、すなわちアーシス、すなわち二つの時の単位から成るものです。


11世紀

1026年 グイード・ダレッツォ Guido d'Arezzo (991か992–1033より後), Micrologus 『ミクロロゴス』

★アルシスとテシスの意味は、旋律の上下動に変わっている。

翻訳は中世ルネサンス音楽史研究会訳『ミクロログス』から引用する。

Igitur motus vocum, qui sex modis fieri dictus est, fit arsis et thesis, [180] id est elevatio et depositio; quorum gemino motu, id est arsis et thesis, omnis neuma formatur praeter repercussas aut simplices. Deinde arsis et thesis tum sibimet iunguntur, ut arsis arsi et thesis thesi; tum altera alteri, ut arsis thesi et thesis arsi coniungitur; ipsaque coniunctio tum fit ex similibus, tum ex dissimilibus.
音の進行(モトゥス)は、前述のように6つの音程(モドゥス)によって作られているのだが、アルシスとテシス、つまり上行と下行からなっている(注52)。これらの2種類の進行、アルシスとテシスによって、[同じ音の]反復と単独の音を除くすべての旋律句(ネウマ)が形成される。そしてアルシスとテシスは、アルシスとアルシスあるいはテシスとテシスというように、同じもの同士で連結されることもあれば、アルシスがテシスに、テシスがあるシスにというように一方が他方に連結されることもある。そして、その連結自体も、特には類似しているものから、また時には類似していないものから作られている(注53)。

中世ルネサンス音楽史研究会訳『ミクロログス』 p.30

さらに注52と注53を引用させていただこう。

注52(p.32) ここでの「アルシス arsis」と「テシス thesis」は、単純に音の進行が高い音へと向かう上行か、あるいは低い音へと向かう下行かを示す。ローマ聖歌における近代のソレーム唱法ではアルシスが「飛躍 élan」、テシスが「休息 repos」と定義され、その組み合わせによって動的な律動が作り出されるが、ここではそうした意味合いは含まれていない。アルシスとテシスの語は文法用語を利用したものと考えられ、当時文法の教科書として広く行き渡っていたプリスキアヌス Priscianus(500頃活躍)の『文法学教程 Institutiones grammaticae』においても、アクセントの項でこれらの語についての説明がある。それによれば、“natura”(自然)の語を発音する際に、“natu-”の部分は声が上がるアルシス、続く“-ra”は声が下がるテシスとなるとされている。

注53(p.30) ここでは言葉のみでアルシスとテシスの動きが説明されているが、現存する『ミクロログス』の写本にはこれらの音の動きの実例が挙げられているものがある。それらの写本の例はいずれも文字記譜法を用いている。その中からわかりやすい例を五線譜で示す。

中世ルネサンス音楽史研究会訳『ミクロログス』 p.63

11世紀前半 Hermannus Contractus (1013–1054), Musica

Haec hactenus; quod coepimus exequamur. Igitur quadruplo i. e. bis diapason bis septenas salva ratione XV. complectente voces rursus eaedem ad similitudinem elementariae parentis in quadrichordis resolvetur congeries: quae cum semel nata quatuor primarum chordarum positione invicem sibi eousque succedere non desinunt, quousque omnis tropus propriis omnium consonantiarum speciebus informari, ac in legalem tam arsis quam thesis terminum possit accipere.
ここまで述べたことを続けましょう。四重、すなわち二度のディアパソンと二度の七つの音を含む15の声は、再び基礎となる親の似た形に四重和音に分解されます。これらは、四つの最初の和音の位置から一度生まれると、すべての調が自らの和音の種類に適応し、合法的なアーシスとテーシスの終わりを迎えるまで、互いに連続して進行し続けます。

Porro tertio, hoc est, modulandi immo ululandi studio caecum cantorum vulgus occupatur, nullius rationi cedens, nullius sententiae acquiescens; illud etiam non quasi proverbium, sed quasi legibus indictum frequentans, verbum neuma quasi nemo, cum graeco eloquio neuma quasi noeumane, id est flatus ascendens dicatur. Flatus vero duas habet partes, id est arsin et thesin, hoc est elevationem et dispositionem. Sed a meliori, id est, elevatione neuma dicitur, ut moneamus in cantilenae dulcedine, quia flatu ab inferioribus ad superiora sonum impellente conficitur, ut cor de terrenis ad caelestia levemus.
さらに三番目として、音楽の研究ではなく、むしろ無秩序に歌うことに夢中になっている盲目的な歌手の群れがいます。彼らは理性にも意見にも従わず、「neuma」という言葉を頻繁に使いますが、これはギリシャ語の「neuma」が「noeumane」(上昇する息)を意味することから、「nemo」(誰もいない)に似ていると考えています。息(flatus)は二つの部分、すなわちアルシスとテシス、つまり上昇と下降を持ちます。しかし、より良い方、すなわち上昇を意味する「neuma」と呼ばれます。これは、歌の甘美さにおいて、息が下から上へと音を押し上げることで、心を地上から天上へと持ち上げるように私たちに促すためです。


1060–75年 Aribo Scholasticus, De musica

Duas musas possumus conicere in autentorum et plagarum esse dualitate, aut in pulsationis, aut in flationis duplicitate: quarum altera cymbalis et chordis, altera fistulis servit et tibiis: vel in bifida arsis et thesis, id est elevationis et depositionis natura, sine qua non fit aliqua vox musica. Quid est musica? motus vocum. Omnis autem vocis motus, vel arsi fit aut thesi.
第2のムーサ(学問)は、正格と変格の二重性、または打楽器と吹奏楽器の二重性にあると考えられます。そのうち一方はシンバルと弦楽器に、もう一方は笛と管楽器に仕えます。あるいは、二重のアルシスとテーシス、すなわち持ち上げと置く動作の性質にあり、これなしには音楽の音は成り立ちません。音楽とは何ですか?それは音の運動です。そして、すべての音の運動は、アルシスまたはテーシスによって成り立ちます。


12世紀

Johannes Affligemensis (Johannes Cotto) (1100年頃生存), De musica cum tonario

Fiunt igitur vocum motiones per arsin et thesin, id est per elevationem et depositionem. Quorum videlicet arsis et thesis omnis neuma praeter simplices et repercussas gemella motione conformatur.
声の動きはアルシス(arsis)とテーシス(thesis)、すなわち上昇と下降によって行われます。このアルシスとテーシスの二重の動きにより、単純なものや反響するものを除くすべてのネウマが形成されます。




13世紀

1271  Amerus, Practica artis musice

musica est motus rationabilium vocum in arsis et thesis, idest elevatione et depressione, et dicitur musica a musis quod sine amusitatione.
音楽とは、アルシスとテシス、すなわち持ち上げと下げにおける理性的な声の動きであり、音楽はミューズからその名を得ている。なぜなら、音楽はミューズなしでは存在しないからである。


14世紀

Walter Odington, De speculatione musice

Accidit autem unicuique pedi arsis et thesis, id est elevatio et depositio que sunt tempore mensurate. Et secundum inequalitatem temporum accidit inequalitas habitudinis elevationis comparate ad depositionem, ut patebit.
しかし、各足にはアルシスとテーシス、すなわち持ち上げと置きがあり、それらは時間によって測定される。そして、時間の不均等に応じて、持ち上げと置きの関係の不均等が生じることが明らかになるだろう。



Jacobus Leodiensis (1330年までは生存確認) Speculum musicae, Liber sextus

アルシス(elevatio)をメロディーの上昇、テシス(depositio)を下降であるとしている。


Engelbertus Admontensis (v. 1250-1331)

ここではアルシスとテシスは、和音の低音と高音や、楽器の最低音と高音(?)を意味している。

De musica, tractatus primus

Praedictorum nominum interpretationes secundum Boetium istae sunt. [Gamma] ut. apud ipsum vocatur prosmelodos, id est ad melodiam adiecta: quia secundum quod dicit Aribo scholasticus in sua Musica, tetrachordum primum in manu musicali incipit secundum Boetium ab A. re, id est proslambamenos, hoc est prooemium primae, quia ibi est thesis primi toni, cuius arsis est in B. mi.
前述の名前の解釈はボエティウスによると次の通りです。[Gamma] utは彼の中でプロスメロドスと呼ばれ、これはメロディーに付け加えられるものを意味します。アリボ学者が彼の『音楽』で述べているように、最初のテトラコードはボエティウスによれば、A. reから始まり、これはプロスランバメノス、すなわち最初の前奏を意味します。そこが最初の音のテーシスであり、アーシスはB. miにあります。

De musica, tractatus secundus

Est autem distantia in vocibus elongatio unius vocis ab alia, secundum arsin et thesin: omnis enim consonantia musica habet duas voces sibi consonantes secundum modum et speciem uniuscuiusque consonantiae musicae, in quarum una est thesis, in alis arsis illius consonantiae.
声の間の距離は、アルシスとテーシスによって一つの声が他の声から離れることです。すべての音楽的和音には、それぞれの和音の種類と方法に応じて調和する2つの声があります。これらのうち1つはテーシスであり、もう1つはその和音のアルシスです。

De musica, tractatus tertius

unde ad designandum primum punctum chordae, in quo est thesis toni, oportebat poni litteram [Gamma]. graecum, et abinde usque ad A. re, in quo est arsis ipsius toni, designare nonam partem chordae totius pro spatio toni: quia ut superius dictum fuit, in tono proportio arsis ad thesim, et e contrario est proportio nonae partis ad octavam, et e contrario;
そのため、音程のテーシスがある弦の最初の点を示すために、ギリシャ文字の[Gamma]を置き、そこからA. reまで、音程のアーシスがあるところまで、弦の全長の九分の一を音程の空間として指定する必要があった。上記のように、音程においてアーシスとテーシスの比率は、九分の一と八分の一の比率と同様であり、その逆もまた然りである。

De musica, tractatus quartus

Ergo in omni cantu naturali oportet de necessitate considerare et cognoscere proportionem et coordinationem sui principii et medii ad suum finem, sicut in omnibus consonantiis, quae sunt partes cantus naturalis, oportet considerare proportionem suae arsis et thesis et distantiae inter arsim et thesim, tanquam proportionem sui principii et medii ad suum finem.
したがって、すべての自然な歌において、始まりと中間から終わりへの比例と調整を必ず考慮し、理解する必要があります。これは、自然な歌の部分であるすべての和音においても同様です。アルシスとテシスの比率、およびアルシスとテシスの間の距離を、その始まりと中間から終わりへの比例として考慮する必要があります。

Henricus Helene (v. 1290-v. 1355) Summula

Et quia de cantu sepe in hoc capitulo et alijs mensio facta est Ideo notandum quod Cantus est inflexio vocis secundum arsim id est eleuacionem et thesim id est deposicionem quia sonus est directus et precedit cantumまた、この章および他の章でしばしば歌について言及されているため、歌はアーシス、すなわち上昇とテーシス、すなわち下降に基づく声の変化であることに注意する必要があります。音は直線的で、歌に先行します。


Johannes Valendrinus 

Opusculum monacordale

アルシスとテシスは音程の意味

Circa litteram notandum [est,] quod musica prima ipsius divisione dividitur in usualem sive irregularem et artificialem seu regularem. Musica usualis est, cuius cantus, arsis et thesis regularibus caret principiis musicalibus.
まず、音楽はその最初の分類において、通常のまたは不規則な音楽と、人工的なまたは規則的な音楽に分けられます。通常の音楽とは、その歌、アルシス、テシスが規則的な音楽原則を欠いているものです。

Est enim tonus certa lex et regula cantuum principiandi et finiandi, arsis et thesis, per quam de quolibet cantu in fine iudicamus.
トヌスは、歌の開始と終了、アルシスとテーシスの一定の法則と規則であり、これによってどの歌も最後に判断される。

Anonymous

Commentum in musicam Boethii

詩脚に関係する語であるという点が保持されている。しかしおそらく音程的な意味。

Sed hec nobis considerantibus [140] opus est, hec duo nomina mandare memorie: levacionem et posicionem, cum unicuique pedi accidat arsis et thesis, id est elevacio et posicio, nec inter pedes dirigere poterimus, nisi alterna vice leventur et ponantur, ut arma: 'ar' elevacio est, 'ma' posicio.
しかし、これらを考慮する私たちにとって、この二つの名前を記憶する必要があります。それは「levacio」と「posicio」です。各詩脚にはアルシスとテシス、つまり上昇と配置が生じるからです。そして、詩脚間で順序を決めることは、交互に上昇と配置が行われない限りできません。「arma」のように、「ar」は上昇であり、「ma」は配置です。

Et sciendum est, quod gravitas in breviloquio Wulstani super musicam est disposicio vocis, quam metrici Grece thesim appellant, econverso acumen est elevacio vocis Grece arsis vocata.
また、ウルフスタンの短い音楽論(11世紀)において、低さは音の配置(disposicio)であり、これは韻律学者たちがギリシャ語で「テシス」と呼ぶものです。逆に、高さは音の上昇であり、これはギリシャ語で「アルシス」と呼ばれます。

次の文は音程の意味だろう。2つの音の高さが等しい場合や、高さが異なる場合に名前を付けている。

Est enim in equalitate sonorum nichil habens alcius vel remissius, in diastemate vero, quam non continuam vocat, est arsis et thesis, sive ibi sequatur sonus sonum interposito silencio sive non.
音の均一性には高い音や低い音はなく、ディアステマには「非連続」と呼ばれ、アーシスとテーシスが含まれます。そこでは音が沈黙を挟んで続く場合もあれば続かない場合もあります。



15世紀

ca. 1400  Monachus Carthusiensis Tractatus de musica plana

音階の上昇・下降の意味になっている。

Plagales vero regulariter supra finalem ad quintam vocem ascendunt et sub finali ad quartam descendunt; et aliquando enim contra regulam ascendunt ad sextam vocem supra finalem. Plaga vero tetrardi multotiens irregulariter ascendit causa melodie, ut inferius arsis et thesis, id est ascensio et descensio omnium tonorum per ordinem patebit.
副音階は規則的には終止音の上第5音まで上昇し、終止音の下第4音まで下降します。しかし、時には規則に反して終止音の上第6音まで上昇します。第4副音階はメロディーのために不規則に上昇することが多く、以下で述べるアルシスとテシス、すなわちすべての音階の上昇と下降の順序において明らかになります。


Johannes de Szydlow Musica

Dicitur ultimo "causa intenssionis vel remissionis". Unde per intenssionem hic intelligitur ascenssus seu elevacio, quod grece dicitur "arsis", per remissionem vero intelligitur descenssus sive depressio, quod eciam greco vocabulo "thesis" nucupatur.
最後に『強化または緩和の原因』と言われる。ここで強化とは上昇または持ち上げを意味し、これはギリシャ語で『アルシス』と呼ばれる。一方、緩和とは下降または下げを意味し、これもギリシャ語で『テーシス』と呼ばれる。



Theatinus, Jacobus  De partitione licterarum monocordi

De figura et specie. <Discipulus>: Quid est species? M<agister>: Id est figura sive similitudo aut forma sive modus. <Discipulus>: Quid est tenor? <Magister>: Tenor est mora uniuscuiusque vocis, id est phtongus. D<iscipulus>: Quomodo voces iunguntur sibimet vel altera alteri, aut similiter vel dissimiliter? M<agister>: Motus vocum, qui sex modis fieri dictus est fit arsi et thesi. Quorum gemino motu neuma formatur preter repercussas aut simplices, cum sibimet iunguntur, ut arsis thesi et thesis arsi, similiter: vel dissimiliter. <Discipulus>: Quo modo? M<agister>: Dissimilitudo autem erit si ex predictis motibus alius alio plures paucioresve habeat voces aut magis coniunctas vel disiunctas.
形と種類について。<弟子>: 種類とは何ですか? <師>: それは形、類似、形態または様式のことです。 <弟子>: テノールとは何ですか? <師>: テノールとは各声の長さ、つまり音の長さです。<弟子>: 声はどのように互いに結びつけられるのですか? または同様に、または異なって結びつけられるのですか? <師>: 声の動きは六つの方法で行われると言われており、これはアーシスとテーシスで行われます。その双方向の動きによって、単純な音や反復音ではなく、ニューマが形成されます。これはアーシスからテーシス、またはテーシスからアーシスと同様に、または異なって結びつけられます。<弟子>: どうやってですか? <師>: 異なる場合、それは上記の動きのうち、あるものが他のものより多くまたは少なく声を持つか、より結びついているか、または分離している場合です。



Johannes Hothby (John Hothby) (v. 1430-1487)

Excitatio quaedam musicae artis per refutationem

音程の上昇・下降の意味と、開始と終わりの意味が混じっている。

ただし開始と終わりの意味は、ひょっとすると古代のアルシス・テシスの1つの意味だったかもしれない。イシドールスにも見られた用法。

Arsis enim et thesis unius et eiusdem vocis proprietatem esse nulli musico dubium est, sed tamen ut arsis eius principium dicatur ubi quis eam effere incipiat. Thesis vero cum iam esse desinat, ut Isidoro qui musicae ignarus non fuit, placere video. Rursus arsis accentus acutus appellatur, ut exempli gratia 'natura'; in 'tu' eius fit arsis sive elevatio ratione 'ra'. 'Ra' vero thesis est syllabae 'tu', et hoc quidem grammaticorum opinio est, quantum ad eos pertinet musica.
アルシスとテーシスが同じ音の特性であることに疑問を持つ音楽家は誰もいませんが、アルシスはその音が始まる場所とされ、テーシスはその音が終わる場所とされます。イスドーロも音楽に詳しくなかったわけではなく、これに同意しています。また、アルシスは鋭いアクセントと呼ばれます。例えば、「natura」という言葉では、「tu」でアルシス、すなわち上昇が行われ、「ra」でテーシスが行われます。これは文法学者の意見であり、彼らに関して言えばこのように理解されています。


1472–75 Johannes Tinctoris (ca.1435–1511), Diffinitorium musicae

音楽用語辞典

Arsis est vocum elevatio.
Thesis est vocum dispositio.


1482 Bartholomeus Ramus de Pareia (Bartolomé Ramos de Pareja)(1440–1490以降,1522?), Musica practica, tertia pars, tractatus primus

音程の上下動の意味で使っている。

Ibi thesis assint ceptra, ubi arsis et e contra, ubi in tantum vox elevatur, in quantum deprimenda videbatur.
そこにテシスがあり、アルシスがあるべき場所にあり、その逆もまた然り。声が上がるべきところで下がり、下がるべきところで上がるように見える。


1490  Ladislaus de Zalka

アルシス・テシスは音程の上昇下降の意味の他に、歌の始まりと終わりの意味にも使われている。

Secunda pars habet sub se mutationes vocum de cantu in cantum et vocum inter se habitudines, cum quibus arsis et thesis, id est elevationis et depressionis notabilibus <?>, sive speciebus.
第二部は、歌から歌への音声の変化と、音声同士の関係を含みます。これには、上昇と下降、すなわちアーシスとテーシスの重要な特徴または種類が含まれます。

Dicitur in definitione: arsis et thesis, id est elevationis et depressionis, unde <?> de elevatione et depressione regularium cantuum dantur aliquae regulae, ut infra patebit. Secundo tonus est certa lex et regula troporum cantus choralis quo ad modum principiandi et finiendi secundum arsim et thesim debite determinans, per quam (legem) de quolibet cantu in fine communiter iudicamus.
定義において、「アルシスとテシス、すなわち上昇と下降」と言われますが、正規の歌の上昇と下降についてのいくつかの規則が示されています。次に、トーンは、アルシスとテシスに基づいて適切に始まりと終わりを決定するコーラルな歌の旋法の一定の法則と規則です。この法則により、私たちは一般に歌の終わりからそのトーンを判断します。

★1496 F. ガッフリウスはアルシスとテシスをリズムの意味として復活させた人なのではないか?

ガッフリウス (1451–1522) はアルシス・テシスの順序を守っている。

Cumque Diastole et Sistole seu Arsis et Thesis quae contrariae sunt ac minimae quidem in pulsu: solius temporis mensura consyderentur: semibreuem ipsam integra temporis mensura dispositam: duas in partes aequas distinxere: [[Sv], Semibreuis, Minima in marg.] quasi altera Diastoles in mensura pulsus tanquam in sono: altera Sistoles quantitatem contineat.
ディアストレとシストレ、またはアルシスとテーシス、これらは反対のものであり、そして脈拍の中では最小限です。時間の尺度のみを考慮します。セミブレーブ自体は完全な時間の尺度で配置され、2つの等しい部分に分けられます。これは、もう1つが脈拍の中のディアストレのように、音の中のものとして、もう1つがシストレとして、量を含むように見えます。
アルシス・テシスの順序で用いられる。また、セミブレヴィスが古代ギリシャの脚(リズム)と同一視されていることの例でもある。


Poetae autem Arsim et thesim idest sublationem et positionem habent in pedibus: quorum esse passiones sunt: vtunturque ijs in pronuntiatione vt gratiore sono carmen aures feriat animosque demulceat: Quas et si in pedibus vtcumque versum faciant reperire est: tamen apta et concinna dictionum coniunctio Illas apprime palam facit: et decoram enunciationem iuuat:
詩人たちはアルシスとテーシス、すなわち上げることと置くことを足の中で用います。これらはその感情の表現であり、発音においてこれらを使うことで、詩が耳に心地よく響き、心を和らげるのに役立ちます。これらは足の中でどのようにしても見つけることができますが、適切で整った言葉の結びつきがこれらを非常に明確にし、美しい発音を助けます。

Graeci vero Rythmum ex arsi et thesi atque tempore quod vacuum nonnulli vocabant constare asserunt.
ギリシャ人は、リズムがアルシスとテーシスおよび時の空白から成り立っていると主張しています。



16世紀

Jerzy Liban (Georg Liban) (1465–1546),  De accentuum ecclesiasticorum exquisita ratione (1539)

Dictum est in definitione accentus. accentus est debita pronunctiatio vniuscuiusque syllabae. Quare sciendum quod in arte triplex reperitur pronunctiatio scilicet, Mellea, Metrica, et Prosaica Mellea) nam dicimus Mellea vox, Melleus puer) Mellea (inquam) est illa, que attenditur in proportione cantus, trium, quatuor, aut plurium vocum, sic dicta, Nam sicut mel, dulce est in sapore naturali, sic melodia dulci, singulari laeticia excitamur, et quandam suauitatem animi concipimus.
アクセントの定義において言われているように、アクセントとは各音節の適切な発音のことです。したがって、芸術において三種類の発音があることを知っておくべきです。それは、メレア、メトリカ、プロサイカです。メレアとは、歌の三声、四声、またはそれ以上の声の調和において見られるもので、甘い味が自然に心地よいように、メロディーが甘く、特別な喜びを引き起こし、心にある種の甘美さをもたらすものです。

Constat enim vita hominis in aequatissima proportione, Quare in omnibus proportionibus, suscipit animi quandam delectationem, et haec pronunctiatio spectat ad musicos.
人間の生活は最も均整の取れた比率に基づいており、すべての比率において心にある種の楽しみをもたらします。この発音は音楽家に関係します。

Metrica pronunctiatio, Est ea, quae in scansione metrorum attenditur, cui accidit numerus syllabarum: tempus [arsis kai thesis] eleuatio et deposicio. Resolutio: cum duas breues in unam longam resoluimus et econuerso, et alia plura, et de his duabus pronunciacionibus nihil ad propositum.
メトリカの発音は、韻律のスキャンで見られるもので、音節の数、時間(アーシスとテーシス)、上昇と下降を伴います。解決として、二つの短音を一つの長音に解決することやその逆などがあります。これら二つの発音は本題とは関係ありません。

Tertia dicitur prosaica, que attenditur in communi sermone, et illi adiacet accentus. Non tamen hoc negarim, quod accentus prosaicus et metricus, habent fieri circa idem, scilicet quantitatem, nam ubicunque est quantitas, ibi et accentus reperitur, quamuis non econuerso, multe enim sunt dictiones, quae eleuantur per accentum, que rursus deprimunrur per quantitatem.
第三のものはプロサイカと呼ばれ、一般的な話し言葉において見られ、そこにアクセントが付随します。ただし、プロサイカのアクセントとメトリカのアクセントは同じ量に基づいていることを否定しません。つまり、量があるところには常にアクセントも見られますが、その逆は成り立ちません。多くの言葉はアクセントによって上昇し、量によって再び下降します。

Proinde erraueris, si idem dixeris longum et accutum, graue et breue, aut si quid aliud est huiusmodi longius haec oportet agamus, quod vulgus grammaticorum, inepte in hac re versetur. Non omnes acute longe sunt. Virgilius, Virg. longa est, non acuta, nec omnes acute longe sunt, Virgilius, gi acuitur, etiam si breuis syllaba.
したがって、長いと鋭い、重いと短いを同じものとして言うならば、間違うでしょう。文法学者たちはこの点において不適切に扱われています。すべての鋭い音が長いわけではありません。たとえば、「Virgilius」の「Virg」は長く、鋭くはありませんし、すべての鋭い音が長いわけではありません。「Virgilius」の「gi」は短い音節であっても鋭くなります。

Plerumque latini homines, philosophia, i acuta dicimus, ita theologia, prosodia, non quod, censeamus i longum esse, sed quod acuatur, atque id solum isto pronunctiatur modo, non latino [f.Avr] sed graeco, porro, graece sunt dictiones: nec adeo romanis attritae linguis, vt exuerint genuinum tonum. Proinde, si accentum in penultimam retraxeris, latine pronunctiabis.
ラテン人は一般的に「philosophia」の「i」を鋭く発音します。同様に、「theologia」や「prosodia」でもそうです。これは、「i」が長いと考えているからではなく、鋭く発音されるからです。この発音はラテン語ではなくギリシャ語によるものです。これらの言葉はギリシャ語であり、ローマ人の舌に十分に馴染んでおらず、本来の音を失っていません。したがって、アクセントを前の音節に戻すと、ラテン語の発音になります。


Vanneo Stefano (1493–1553) Recanetum de musica aurea

Est igitur Musica facultas differentias acutorum et grauium sonorum, sensu ac ratione perpendes. Vel Musica est motus rationabilium uocum per Arsim et Thesim id est per ascensum et descensum.
音楽とは、感覚と理性によって高音と低音の違いを判断する能力です。あるいは、音楽とはアーシスとテーシス、すなわち上昇と下降による合理的な声の動きです。


Heyden Sebald (1499-1561) De arte canendi, ac vero signorum in cantibus usu, liber primus (1532–40)

セバルト・ヘイデンのDearte canendiはタクトゥスについての最重要文献である。

QVae hactenus de Scala,de Clauium constitutione, et earundem syllabis in modulando usurpandis, tradidi: ea omnia nihil aliud sunt, quam certae regulae [tes arseos kai theseos] uocum sonorumque. At quae nunc sequentur, non intensionem aut remissionem, sed contractionem ac productionem uocis docebunt. Est enim duplex uocis quantitas, secundum quod [he arsis kai thesis], aliter: aliter [he ektasis kai sustole] uocem appendunt.
これまでに音階、音符の構成、およびそれらの音節をモジュレーションで使用することについて述べたことは、すべて声と音のアルシスとテシスに関する確かな規則に他ならない。しかし、これから述べることは、強化や緩和ではなく、声の収縮と伸長について教えるものである。声の量には二重の性質があり、一方ではアルシスとテシスに従い、他方ではエクタシスとスストレに従って声を測る。



1547 グラレアヌス『ドデカコルドン』

ハインリヒ・グラレアヌス (Heinrich Glareanus、1488–1563)

Haec de Modo, Tempore ac prolatione, eorumque signis. Sed ut in poematis non parum lucis adfert decora carminis caesura, multum etiam ornatus luculenta arsis ac thesis, ita in hoc cantu, si defuerit concinna uocum mensura, et in cantantium coetu aequa omnium acceleratio, mira sit confusio oportet, nunc igitur de cantus mensura, quem tactum uocant, nobis disserendum. Quibusdam autem placet, ut temporis potissimum rationem habeamus in metiendo cantu, quando ipsum medium est inter modum prolationemque, uelut sol inter Planetas, ad cuius quidem cursum anni tempora metimur. Horum opinionem aetas superior secuta est, et adhuc magna Germaniae portio: Ita tactus fieret ad breuis quantitatem.
これまでのところ、モード、時間、およびプロレーションとその記号について述べてきました。しかし、詩において詩の切れ目が美しさを増すように、輝かしいアルシスとテシスが多くの装飾を加えるように、この歌においても、もし適切な声の計測が欠け、歌手たちの集まりで皆が同じ速度で歌わなければ、大きな混乱が生じるでしょう。したがって、今や「タクト」と呼ばれる歌の計測について議論する必要があります。ある人々は、歌を測定する際に主に時間の比率を考慮することを好みます。それはモードとプロレーションの間の中間であり、惑星の間の太陽のように、その動きによって年間の季節を測定します。この意見は過去の時代に従われ、現在でもドイツの多くの部分でそうされています。このようにしてタクトは短い量に対応します。


1556 ヘルマン・フィンク 『プラクティカ・ムジカ』

Hermann Finck (1527–1558) Practica musica

未だにアルシス・テシスを音程の意味で使い続けている。

Nam artificiose compositurus aliquid, ante omnia Tonum ipsum consideret, ad quem unum, ceu ad certam quandam normam ac regulam totum negocium dirigendum est, uideatque ne temere uel Tonorum limites ac terminos transgrediatur, uel ipsos inter se tonos coufundat: Sed pro singulorum natura ipsius [arsis kai thesis] rationem habeat, conuenientesque clausulas quaerat.
何かを巧みに作曲しようとする場合、まず最初に音階そのものを考慮し、それに従って全体の作業を進めるべきです。また、音階の境界や限界を無闇に越えたり、音階同士を混同しないように注意すべきです。各音階の特性に応じたアルシスとテシスを考慮し、適切な終止形を探す必要があります。


1558 ザルリーノ(1513–1590)はテシスを先にして用いている

Et si come la Medicina chiama il primo mouimento [sustole], et il secondo [diastole]; cosi la Musica nomina la Positione, ouero il Battere [thesis], et la Leuatione [harsis].
医学が最初の動きを「シストーレ(収縮)」、二番目の動きを「ディアストーレ(拡張)」と呼ぶように、音楽ではPositione(置くこと)または「打つ[テシス]」とLeuatione(持ち上げること[アルシス])」と呼びます。

音楽におけるカウントの際の「打つ」行為が、テシスと同一視されている。だからザルリーノにとってはテシス・アルシスは、拍節的概念なのであり、強拍から始まって弱拍で終わるようなものなのだ。

だから、ガッフリウス(1596)からザルリーノ(1558)年の間に、音楽のタクトゥス(バットゥータ)とアルシス・テシス概念が融合したということになろう



1577 F. Salinas, De Musica

De musica, liber quintus


第5巻第4章

バッキウスについて次のようなことを言っている。

Debet autem incipere a thesi, quae habeat tria tempora, ita vt percutiatur vel prima breuis, vel potius prior ex duabus longis, vt Arsis, quae erit posterior longa reliqua duo contineat.

しかし、この足はテーシスから始めるべきで、三つの時間を持ち、最初の短い音節、または二つの長い音節のいずれかから始めるべきです。アルシスは後の長い音節で、残りの二つの時間を含みます。

「しかし、テーシスから始めるべきであり、それは三つの時間を持ち、最初の短い音節が打たれるか、むしろ二つの長い音節のうち前の音節が打たれるようにするべきである。アルシスのように、後の長い音節が残りの二つの時間を含むことになる。」

Differunt autem arsis et thesis, quas rhythmica considerat, et Aristides Rhythmi passiones appellat, ab his, quae in harmonica considerantur:
しかし、リズムが考慮するアルシスとテーシス(アリスティデスはリズムの感情と呼ぶ)は、ハーモニーで考慮されるものとは異なります。

quoniam in rhythmica sunt leuatio et positio manus, vel pedis: in harmonica vero sublatio et positio vocis aut soni, quae non in temporis longitudine et breuitate, sed in vocis acumine et grauitate consistunt, et potius ad accentuum considerationem, quam ab syllabarum pertinent quantitatem.
なぜなら、リズムでは手や足の持ち上げと下ろしであり、ハーモニーでは声や音の持ち上げと下ろしであり、時間の長さや短さではなく、声の高低に基づき、音節の量ではなく、むしろアクセントの考慮に関係するからです。

Vnde saepe contingit, vt cum manus ponitur, vox attollatur, et contra: quas videntur Terentianus et eius sectator Victorinus confundere, cum eas in pedibus examinant.
そのため、手を下ろすときに声が上がり、逆もまた然りです。テレンティアヌスとその支持者ヴィクトリヌスが足を検討する際にそれを混同しているようです。


第5巻第6章

Sed, vt superius dictum est, Victorinus et Terentianus sublationem et depressionem vocis, cum leuatione et positione pedis et manus confundunt:
しかし、前述のように、ウィクトリヌスとテレンティアヌスは声の上げ下げを、手や足の上げ下げと混同している

マリウス・ウィクトリヌスは4世紀前半頃活躍した文筆家。


1582 Jean Yssandon, Traité de la Musique Pratique

音程の上昇・下降の意味でアルシス・テシスを使っている。

LA Cinqiéme est que deux consonances parfaites, ascauoir deux quintes ou deux octaues, se peuuent faire pourueu que leurs mouuemens soyent contraires, c'est a dire qu'vne partie monte, et l'autre décende: et telle façon se nomme per Arsim, et Thesim. Car Arsis, est vn nom propre des musiciens, lequel veut dire monter, et Thesis, est sa contreposition, qui veut dire descendre: tellement que vt. ré. mi. fa. sol. la. se peut dire Arsis, d'autant qu'il monte: et la. sol. fa. mi. ré. vt. sera Thesis: et voila comment deux quintes, et octaues, se peuuent faire.
第五に、二つの完全な協和音、つまり二つの五度や二つの八度は、動きが逆方向であれば可能です。つまり、一方が上昇し、他方が下降する場合です。この方法はアーシスとテーシスによって成り立ちます。アーシスは音楽家の専門用語で、上昇を意味します。テーシスはその対極で、下降を意味します。このように、「ド、レ、ミ、ファ、ソ、ラ」は上昇するためアーシスと呼ばれ、「ラ、ソ、ファ、ミ、レ、ド」は下降するためテーシスと呼ばれます。これが、二つの五度や八度がどのようにして可能であるかの説明です。


1599  Ercole Bottrigari, Il trimerone de' fondamenti armonici, ouero lo essercitio musicale, giornata terza

De' quaj, come usati da' Grecj, senza insegnare à che se ne seruissero, ciò è se per Caratteri particularj de' suonj, ò uocj cantabilj, non adduce testimonantia alcuna: Cosi uolendo, che alla sola autorità della sua penna sia da' Lettorj prestata fede: E soggiunge, Quando appresso ciascuno di questi Caratterj era segnato un punto, che s' intendea, che ui fusse l' Arsis, ciò è lo innalzamento della uoce: E quando nò la Thesis, ò diciam lo Abbassamento della uoce. (effetti, che la Musica non cura) E che le intensionj consonanti, come à dir quelle delle Diatessaron, delle Diapente, delle Diapason, delle Ditone, delle semitone, e le altre appropriate alle Cantilene armoniche erano da loro espresse con alcune altre figure; Delle quaj come lontane e sconueneuoli allo uso de' nostri tempi, egli hauea per breuità deliberato di non ne parlare. E cosi non ne disse parola: e non ne fece dimostratione alcuna. E percioche anco niuno di questi taj Caratteri è maj capitato alle mie manj io non sò, ne posso ragionaruj più oltre se non diruj imaginatamente che 'l primo Carattere significhi [rappresenti add. supra lin.] un iota giacente: il secondo un semibeta giacente [che trouarete essere uno de' percotimenti di Proslambanomenos add. supra lin.]: il terzo ò un Semidelta ouero un Lambda di trauerso [uno de' percotimenti della Mese: add. supra lin.] il quarto un Pi supino, ò riuolto allo nsù [uno de' percotimenti della Paranete hyperboleon add. supra lin.]; Et il quinto uno Omega; [il qual uedrete esse una delle uocj della Mese. m.sec.]
これらの記号がギリシャ人によってどのように使用されたかについては、特定の音符や歌唱可能な音のための記号として使用されたかどうかについての証言はなく、彼は読者が彼の筆の権威にのみ信頼を寄せることを望んでいます。そして彼は次のように付け加えます:これらの記号のそれぞれの近くに点が記されている場合、それはアルシス、つまり声の上昇を意味し、記されていない場合はテシス、つまり声の下降を意味します(音楽が気にしない効果)。そして、ディアテッサロン、ディアペンテ、ディアパソン、ディトーン、セミトーン、その他のカンティレーネに適した協和音の強調が他のいくつかの図形で表現されていたことを述べています。これらの図形が現代の使用には遠く、不適切であるため、彼は簡潔に述べないことを決意し、そのために何も述べず、何の説明もしていません。また、これらの記号のいずれも私の手に渡ったことがないため、それについて詳しく説明することはできず、想像して言うことしかできません。第一の記号は横たわるイオタを表し、第二の記号は横たわるセミベータで、第三の記号はセミデルタまたは横たわるラムダで、第四の記号は上向きになった横たわるパイで、第五の記号はオメガを表します。



17世紀


1636 メルセンヌ Harmonie Universelle, Livre sixiesme de l'art de bien chanter

ダンスの用語としてアルシス・テシスを用いている。フランス語ではelever (eleuer, leuer) とabaisser (baisser)を用いている。

Si ce mouuement doit estre aux dances, il faut obseruer le baisser et le leuer, qu'ils nomment [arsis] et [thesis], afin d'eleuer le corps en celuy-là, et de l'abaisser en cettuy-cy, ce qu'ils faisoient mesme en chantant, et ce que l'on fait encore aux dances de vilage, où ceux qui dancent chantent ensemble.
この動きがダンスに使われる場合、上昇と下降、すなわちアルシスとテシスに注意する必要があります。前者によって体を上げ、後者によって体を下げるためです。彼らは歌いながらこれを行い、村のダンスでも同様に行います。踊る人たちが一緒に歌うのです。

音の強化・弱化という意味とも関連させている。

Ie di donc premierement qu'il semble que leur [arsis] et [thesis] est difficile à pratiquer dans les chants, et mesme dans la prononciation des vers, parce qu'ils veulent que l'on esleue tousiours la voix dans l'arsis, et qu'on la baisse dans le thesis, au lieu que nos Praticiens se contentent d'abaisser et de leuer la main pour faire le signe de la mesure, que les Hespagnols appellent Compas. Si l'on pouuoit prendre l'eleuation de la voix pour son renforcement, soit dans vn mesme ton, ou sur differentes chordes, et son abaissement ou sa remission pour son affoiblissement, il seroit plus facile de les pratiquer en chantant, de mesme qu'on pratique les Echo sur les Instrumens, mais les Auteurs Grecs que i'ay leu, soit imprimez ou manuscrits, parlent de l'arsis, comme d'vne eleuation de voix plus aiguë, par laquelle ils veulent qu'on commence le premier temps du Pyrryche, que Bacchius et plusieurs autres appellent [hegemon], comme le premier de tous les pieds. Ils commencent ainsi tous les autres pieds qui ont des syllabes briefues à leur commencement, par exemple, l'Anapeste en leuant la voix, et ceux qui commencent par des syllabes longues en la baissant; quoy que sainct Augustin et plusieurs autres Latins prennent la mesure comme nos Praticiens, à sçauoir pour l'eleuation et l'abaissement de la main.
まず、彼らの[arsis]と[thesis]は歌の中で、そして詩の発音でも実践するのが難しいようです。なぜなら、彼らは常に[arsis]で声を上げ、[thesis]で声を下げることを望んでいるからです。一方、私たちの実践者は、手を上下させてスペイン人が「コンパス」と呼ぶ測定の記号を作ることで満足しています。もし、声の上昇をその強化として捉えることができれば、同じ音程でも異なる弦でも、声の下降や緩和をその弱化として捉えることができれば、楽器でエコーを実践するのと同様に、歌うときにそれを実践することがより簡単になるでしょう。しかし、私が読んだギリシャの著者たち(印刷物でも手稿でも)は、[arsis]をより高い声の上昇として話しています。彼らは、バッキウスや他の多くの者がすべての足拍の最初と呼ぶピュリックの最初の時間を始めることを望んでいます。彼らは、アナペストのように、最初に短い音節を持つすべての他の足拍をこのようにして始めます。声を上げて始めるアナペスト、そして最初に長い音節を持つものは声を下げて始めます。聖アウグスティヌスや他の多くのラテン人は、私たちの実践者と同様に、手の上昇と下降を測定として取ります。


Et les preceptes qu'ils donnent pour l'arsis, et le thesis, c'est à dire pour l'éleuation, et l'abaissement de la voix sur chaque syllabe, estant pratiquez empeschent la bonté, et la grace des chants, ou apportent de grandes contraintes aux compositeurs, qui ne peuuent faire chanter deux syllabes sur vne mesme note, si l'on suit leur pratique. Ce qu'ils ont mesme reconnu dans leur pratique contraire [-257-] à leur Theorie; Car ils chantent souuent plusieurs syllabes sur vne mesme note: ce que les Grecs modernes font aussi dans leurs chansons, et ce que pratiquent toutes les nations en chantant.
彼らがアるシスとテシス、つまり各音節での声の上昇と下降のために与える教義は、実践されると歌の良さや優雅さを妨げ、作曲者に大きな制約をもたらします。もしその教義に従うなら、同じ音符に二つの音節を歌わせることができなくなります。これは理論とは逆の実践であり、彼ら自身も認めています。彼らはしばしば同じ音符に複数の音節を歌わせます。これは現代のギリシャ人もその歌で行っており、歌うすべての国が実践していることです。


おまけ:声の強さについて述べている

I'ay dit la force de la voix, parce qu'elle donne vne si grande difference aux temps et aux mouuemens, qu'ils semblent remplis de vie et d'énergie lors qu'ils en sont accompagnez, et qu'ils n'ont quasi nulle vigueur quand ils en sont destituez.
私は声の強さについて述べました。なぜなら、それは時間と動きに非常に大きな違いをもたらし、伴われるときにそれらが生命とエネルギーに満ちているように見え、欠けているときにはほとんど力を持たないように見えるからです。


1639 アントワーヌ・パラン Antoine Parran, Traité de la musique théorique et pratique

音程の意味

Les nombres de ce Sujét montrent l'Arsis, et la Thesis, c'est a dire le Graue, et l'Aigu quand il faut monter, ou descendre: car 1 c'est vt. 4 fa. 5 sol. 6 la. et cetera. Ie sçay bien que la proportion du Diton c'est de 5 a 4. et du Semiditon de 6 a 5. neantmoins je les mets indifferemment y estant contraint. Faisons donc le susdit Sujét a quatre parties en cette sorte par nombres Harmoniques.
このテーマの数字はアルシスとテシス、つまり上昇と下降を示します。1はド、4はファ、5はソ、6はラなどです。私はディトーンの比率が5対4であり、セミディトーンが6対5であることをよく知っていますが、やむを得ずそれらを無差別に配置しています。したがって、上述のテーマをハーモニックな数字によって四部に分けて作りましょう。

1647 ドニ G. B. Doni, De praestantia musicae veteris


Arsis, ἄρσις, prima pars rhythmi; quae sublatione manus aut pedis denotatur.
アルシス(ἄρσις)はリズムの第一部分で、手または足の持ち上げによって示される。

Thesis, θέσις, altera rhythmi pars, in qua pes manusue demittitur.
テーシス(θέσις)はリズムのもう一つの部分で、足または手が下げられる。



18世紀 

ブロッサール Sébastien de Brossard, Dictionnaire de Musique A–R S–Z

拍子の部分の意味でも、音程の上下動についても言及されている。ただしテシスが先になっている。

PER. Preposition Latine: qu'on trouve souvent devant un de ces deux mots Arsis, et Thesis. Per thesin. Veut dire, en battant, ou dans le premier temps de la mesure. Per arsin, veut dire, En levant, ou dans les derniers temps de la mesure. On dit aussi qu'un Chant, qu'un Contrepoint, qu'une Fugue, et cetera sont per Thesin, quand les Nottes décendent de l'aigu au grave; et qu'ils sont per arsin, quand au contraire les Nottes montent du grave à l'aigu. Voyez aussi. CANONE.
PER。ラテン語の前置詞。この言葉はしばしばArsis(アルシス)およびThesis(テシス)のいずれかの前に見られます。Per thesinは、拍子を取るとき、または拍子の最初の時間を意味します。Per arsinは、上げるとき、または拍子の最後の時間を意味します。音符が高音から低音に下がるとき、歌、対位法、フーガなどがPer Thesinと呼ばれ、逆に音符が低音から高音に上がるときはPer arsinと呼ばれます。また、CANONEも参照してください。

テシスをムジュールの最初の拍だと言っている。アルシスが第2の拍になっている。これはザルリーノか?

THESIS. Terme Grec, en Latin Positio ou Depressio. C'est ainsi que plusieurs nomment le premier temps de la mesure, parce qu'il se fait en frappant ou en baissant la main; et ils nomment d'un autre mot Grec Arsis, en Latin Elevatio, le second temps qui se fait en levant.
テシス。ギリシャ語の用語で、ラテン語ではポジティオまたはデプレシオ。多くの人がこれをムジュールの最初の拍と呼びます。それは手を打つか下げることで行われるからです。そして、彼らはもう一つのギリシャ語のアルシス、ラテン語ではエレヴァティオと呼ばれる、手を上げることで行われる第二の時間を指します。


ルソー Jean-Jacques Rousseau Dictionnaire de Musique, A-D E-M

ルソーはアルシスとテシスについて奇妙なことを言っている

Arsis et Thésis. Termes de musique et de prosodie. Ces deux mots sont grecs. Arsis vient du verbe [airo], tollo, j'élève, et marque l'élévation de la voix ou de la main; l'abaissement qui suit cette élévation est ce qu'on appelle [thesis], depositio, remissio. Par rapport donc à la mesure, per arsin signifie en levant, ou durant le premier temps; per thesin, en baissant, ou durant le dernier temps. Sur quoi l'on doit observer que notre manière de marquer la mesure est contraire à celle des anciens; car nous frappons le premier ton, et levons le dernier. Pour ôter toute équivoque, on peut dire qu'arsis indique le temps fort, et thesis le temps faible. (Voyez Mesure, Temps, Battre la Mesure.)
アーシスとテーシス。音楽および韻律学の用語です。この二つの言葉はギリシャ語に由来します。アーシスは動詞[airo](挙げる、上げる)から来ており、声や手の上昇を示します。この上昇に続く下降をテーシス(沈下、緩和)と呼びます。したがって、拍子に関して、per arsinは上げること、または第一拍の間を意味し、per thesinは下げること、または最後の拍の間を意味します。ここで注意すべきは、私たちの拍子の取り方が古代のものとは逆であるということです。私たちは最初の音を打ち、最後の音を上げます。すべての曖昧さを取り除くために、アルシスが強拍を示し、テシスが弱拍を示すと言うことができます。(「拍子」、「時間」、「拍子の取り方」を参照)

★最後の文は、アルシスを小節の終わりとするか、始めとするかによって解釈が変わる文章である。つまり「小節の強拍をアルシスと呼ぶ」と言っているのか、「小節の終わりの拍を強拍と呼ぶ」と言っているのか分からない、ということである。モミニーの理論は後者の考え方を取っている。


Élévation, substantif féminin. Arsis. L'élévation de la main ou du pied, en battant la mesure, sert à marquer le temps faible, et s'appelle proprement levé: c'était le contraire chez les anciens. L'élévation de la voix en chantant, c'est le mouvement par lequel on la porte à l'aigu.
エレヴァシオン(上昇)、女性名詞。アーシス。拍子を取る際に手や足を上げることは弱拍を示し、適切には「levé(上げ)」と呼ばれます。古代ではこれとは逆でした。歌うときに声を上げることは、声を高音に運ぶ動きです。


Levé, adjectif pris substantivement. C'est le temps de [-395-] la mesure où on lève la main ou le pied; c'est un temps qui suit et précède le frappé; c'est par conséquent toujours un temps faible. Les temps levés sont, à deux temps, le second; à trois, le troisième; à quatre, le second et le quatrième. (Voyez Arsis.)
Levé(上げ)、名詞として使われる形容詞。これは手や足を上げる拍子の時間です。打ち鳴らした後に続き、前に来る時間です。したがって、常に弱拍です。二拍子では二拍目、三拍子では三拍目、四拍子では二拍目と四拍目です。(アーシスを参照)


Par rapport donc à la Mesure, per Arsin signifie, en levant, ou durant le premier tems; per Thesin, en baissant, ou durant le dernier tems. Sur quoi l’on doit observer que notre maniere de marquer la Mesure est contraire à celle des Anciens; car nous frappons le premier tems & levons [50] le dernier.
したがって、拍子に関して、「per Arsin」は上げる際、または第1拍目の期間を意味し、「per Thesin」は下げる際、または最後の拍の期間を意味する。この点については、我々の拍子の取り方が古代の方法とは逆であることに注意する必要がある。なぜなら、我々は第1拍目を叩き、最後の拍目を上げるからである。
Pour ôter toute équivoque, on peut dite qu’Arsis indique le tems fort, & Thesis le tems foible. (Voyez MESURE, TEMS, BATTRE LA MESURE.)
誤解を避けるために、「Arsis」は強拍を示し、「Thesis」は弱拍を示すと言うことができる。(「MESURE」、「TEMS」、「BATTRE LA MESURE」を参照。)

La rhytmique, pour le dire un peu plus en détail, consistait à savoir choisir entre les trois modes établis par la rhythmopée le plus propre au caractère dont il s'agissait, à connaître et posséder à fond toutes les sortes de rhythmes, à discerner et employer les plus convenables en chaque occasion, à les entrelacer de la manière à la fois la plus expressive et la plus agréable, et enfin à distinguer l'arsis et la thésis par la marche la plus sensible et la mieux cadencée.
リズム論は、もう少し詳しく言うと、リズム作法によって確立された三つのモードの中から対象となる性質に最も適したものを選ぶこと、あらゆる種類のリズムを深く理解し、完全に身につけること、各場面に最も適したリズムを見分けて使用すること、それらを最も表現力豊かで心地よい方法で絡み合わせること、そして最後に、アルシスとテシスを最も感覚的で最もリズミカルな動きで区別することにありました。

おまけ、Reposは休符ではなく完全な終止感を意味している

Repos, substantif masculin. C'est la terminaison de la phrase, sur laquelle terminaison le chant se repose plus ou [-140-] moins parfaitement. Le repos ne peut s'établir que par une cadence pleine: si la cadence est évitée, il ne peut y avoir de vrai repos; car il est impossible à l'oreille de se reposer sur une dissonance. On voit par là qu'il y a précisément autant d'espèces de repos que de sortes de cadences pleines (voyez Cadence); et ces différents repos produisent dans la musique l'effet de la ponctuation dans le discours.
ルポ、男性名詞。これはフレーズの終結部分であり、その終結部分で歌がより完全にまたは不完全に休むことを意味します。ルポは完全なカダンスによってのみ確立されることができます。カダンスが回避される場合、真の休息は存在し得ません。なぜなら、耳が不協和音で休むことは不可能だからです。これによって、完全なカダンスの種類と同じだけの種類の休息が存在することが分かります(カダンスを参照)。これらの異なる休息は、音楽において話の中の句読点の効果を生み出します。


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