【覚え書き】プロソディーという用語の意味の混乱について

プロソディーは古代ギリシャ語ではπροσῳδία プロソーイディアーといい、音の高低に関する意味を持っていた。形態論的にはaccent (羅accentus)と全く同じであり、アクセントという言葉もやはり本来は音の高低を意味していた。すなわちプロソーイディーアーの終わりの「オーイディアー」は歌を意味するオーイデー ᾠδή に由来する(英語のodeの語源)。ラテン語のaccentusの-centusは、「歌」の意味のcantusに由来する。accentの最初のacは、ラテン語のad「〜へ向かって」という前置詞に由来し、プロソディーの最初のprosも同様の意味を持つ前置詞である。

ただし、古代ギリシャ人は音の高低を、高い低いという空間的イメージで理解していなかった。彼らは高い音を「鋭い、刺すような、激しい ὀξυς オクスュス」と表現したし、低い音を「重い 、鈍重な Βαρύς バリュス」と表現した。古代ローマ人も同様で、ラテン語で高い音はacutus「鋭い」、低い音はgravis「重い」である。だから後の時代になっても「鋭い—柔らかい(鈍い)」という対立する用語が見られ、これがシャープとフラットの元になった。また「軽い—重い」という対立は後に「速い—遅い」と同じ意味になる。例えばグラーヴェGraveは遅いことを意味するが元はラテン語のgravis「重い」である。ドイツで「軽い—重い」が音の強弱の意味でも使われ始めるのはさらに後の18世紀末のことである。

古代ギリシャ・ローマの韻律は音節の長短に基づいていた。長い音節は短い音節の2倍の長さを持つと考え、それら音節の組み合わせや連続によって形成されるリズムが彼らの詩の本質である。だから、プロソディーを「韻律」という意味で使うのは、本来の意味からすると完全に誤用であった。おそらくだからこそ、19世紀の古典文献学者は韻律の意味でプロソディーという用語の使用をやめて、メトリック μετρικόςという用語を用いるようになったのだろう。

いつからプロソディーが「韻律」の意味に誤用されたのかは分からない。手元の羅和辞典には羅prosodiaの項目に韻律の意味は載っていない。LewisとShortの羅英辞書ではprosodiaは「the tone or accent of a syllable」とだけ書かれている。ちなみにドイツ語の古い文献では、Accentの代わりにTonという言葉が使われることがある。綴りがThonなどとなる場合もあった。toneの語源はギリシャ語のトノスτόνοςである。トノスは弦の強い張りを意味する言葉であった。そこから音の高さを意味するようになり、アクセントやプロソディーと同じ意味にもなった。

今日では英語やドイツ語の韻律は「強弱アクセント」に基づくとされている。だが18世紀まではすくなくともドイツでは、単語のアクセントが強弱によるという理解はまったく希薄であった。ドイツ人は17世紀の初頭には高低のアクセントによると考えていたし(例えばM. Opitz(*))、その後はアクセントのある音節は長いと考えた。(*Opitzは例えばヤンブスについて「最初の音節がniedrig(低い)であり、2つ目がhoch(高い)」と言っている。)

プロソディーはその意味の変遷に沿って、ドイツ語の詩が高低アクセントに基づくと考えられていた時代に韻律の意味になったのであろう。そしてアクセントが「長い」という意味に変わった時、プロソディーも長さを意味するようになって古典時代の韻律と混同された。

現代の言語学でもプロソディーという用語は用いられているが、もはや詩の韻律の意味では用いられていない。上記の歴史を踏まえた多面的な言葉になっており、音の高低のみを表すものではなくなっている。だが日本の言語学では、プロソディーを日本語に翻訳するときに「韻律」という用語を用いたので混乱が残った。


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