全てのライターを尊敬するの巻〜誤解を与えない文章って難しくないか?〜
こんにちは。
とある新人編集者です。
初回投稿が想定の40倍(正確には想定は0だから計算できない)読んでいただき、驚いております。ありがとうございます。
タイトルが「とある新人編集者の悶々」ですので、基本的には日々の文句を綴るnoteです。
そんなnoteにでもご興味ありましたら引き続きよろしくお願いいたします。
さて、表題にもある通り、最近私は思います。
誤解を与えない文章って難しくないか?と。
私はエリート編集者の卵(自称)ですので、原稿やらなにやらを見る機会を今の時点でもそこそこいただけるのですが、
チェックする際の注意点として、先輩にこうアドバイスをいただきました。
「読んで一回で理解できる文章にしなさい。読んだときに誤解を与えない文章にしなさい。」と。
…………難しくないですか?それ。
とても当たり前のように言っていたけれど、それってかなり難しいことなのではないかと、私は悩みました。
普段接するSNSの文章など最たる例ですが、小説だって別に何から何まで正しい日本語ってわけではない。映画やドラマは全てセリフだから正しい日本語とは言い切れないですよね。
でも、伝わりますよね。
つまり、
読んで一回で理解できる文章、誤解を与えない文章=正しい日本語の文章 ではない、と。
じゃあ何を以って判断すればええねん、と私の心の中の関西人が先輩にツッコミを入れました。
優等生として一時代を生きた私は明確な答えがないと不安なのです。
ましてや、普段短文のコミュニケーションばかりで、よくわからない文章を理解しようと思って読んでいる21世紀生まれの私には、もはやわかりづらい文章などほぼない。
ちょっと考えたら大体わかるだろうと、そう思うのです。
ここまでオフィスで自問自答して、頭の中に閃光が走りました。
私は、文章を読む時、考えている!?
よくわからないTwitterの文章とか、LINEとか、理解しようと頑張って読んでいますよね、普段。
青天の霹靂。
頑張って読んで理解できる文章=読んで一回で理解できていない文章
↓
頑張らずに読んで理解できる文章=読んで一回で理解できる、誤解を与えない文章
なるほど、方針は見えてきました。
とっても初心な気持ちで、純真無垢なフリをして文章を読めば、私が直すほどの文章が見つかるのではないか。
実践はまだできていません。
そもそも薄汚れた思考を真っ白にすることなどできませんし、どうやったら真っさらな気持ちで読めるのかなど皆目見当もつきません。
ただ、とりあえず理論はわかった。それだけでも大きな収穫だと思います。
まだ一年目なのでね。
それと同時に、世の中のライターの方々には一気にリスペクトの気持ちが湧いてきました。
確かに世の中の記事とか書籍とかは、読んで一回で理解できる文章が書かれている。
深く考えずに読める文章=深く考えずに書ける文章ではないことくらいは、この若輩者でもわかります。
いやはや、恐ろしい業界に足を踏み入れてしまった。
私も精進して、作家さん、ライターさん、著者さんに信頼してもらえる編集者になりたいものです。
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さて、次回は書くことが思いつかない限り、好きなジャンプの漫画でも語りましょうかね。