耳をひらくと世界が変わる
「インタビューは『取材』ではないし、もちろん『カウンセリング』でもない。でも、その両方の働きや作用を持ちうる、きわめて微妙な関わり方の技法だと思う」と西村佳哲さんが言ったとき、わたしはその意味するところを1割も捉えられていなかったと思う。
ただ「こっちだ!」という確信だけがあり「どうにかして理解したい、つかみたい」と思っていた。
西村佳哲さんの「インタビューのワークショップ」へ
「僕にとってインタビューは、最初の頃は仮説検証であり、それが肖像画にかわって、いまは風景画を描くような仕事になっています」(西村佳哲さん/2010年9月「インタビューのワークショップ」の案内文より)
京都精華大学の講座が終って間もなく送られてきた、女神山での5泊6日のワークショップのお知らせを見て、わたしはすぐに申込んだ。「今、ここでやらなかったら、私はずっと自分のインタビューに不安を抱え続けるんじゃないか」と焦るような気持ちもあった。女神山に着いた日に書いたノートに、わたしはこんな言葉を綴っている。
「西村さんの方法をもっと知りたい。『言葉の聴力/視力を身につける(?)』というか、そういうことばで表現できるような聴き方をしたい」
西村さんの著書「自分をいかして生きる」に出て来るこの図もノートに描いてあった。いま、この文章を書いているときも「私」はこのようにして「自分自身」と「他者」“仲介”しているイメージがある。すっかり、自分のインタビューあるいはコミュニケーションの基盤イメージになっていて、誰かにインタビューの話をするときは必ずこの図を見てもらう。
「安易に了解しない」ということも、西村さんから受け取った。わからなければ「すみません、もう少し詳しく教えてください」と言う。相手がすーっと通り過ぎようとした何かが気になったら、やはり声をかける。ただし「相手が今まさに気持ちよく話したいことがあるのだな」と感じていたら、そのエネルギーが落ち着くのを待ってから、という気配りはするけれど。
西村さんのワークショップを通して痛感したのは、「どれほど自分が聴いていなかったか」という事実だった。相手の言葉の一部に反応して、心のなかで反論や批判を渦巻かせてしまったり。勝手に理解したと思い込んで、続きの話に対して不注意になったり。向かい合う相手の声よりも、自分の内部の声にばかり耳を傾けていたんじゃないか……と凹んだ。
そして、女神山から帰ってきた翌日。わたしは忘れられないインタビューを経験する。西村さんの著書「かかわり方の学び方」にも登場する、橋本久仁彦さんへのインタビューだ。
自分を聴くことができる人だけが、相手を聴くことができる
なぜ、橋本さんにインタビューをしたのか、その内容がどうだったのかを知りたい方は、こちらをご一読いただくとして。
インタビューとの関わりに限定すると、橋本さんのこの言葉だけは紹介しておきたい。
「自分を聴くことができる人だけが、相手を聴くことができる。自分を聴
かない人は、相手の話を聴けないはずです」。
その後、わたしは橋本さんが通年で開いている「ミニ・カウンセリング」に2クール通った。15分間、じっと相手が語る言葉に耳を傾けて、その音声を沈黙の秒数や外部音までも文字にした逐語録をつくりケース検討を行う、というクラスだ。
ミニ・カウンセリングを経験して、わたしの耳はずいぶん変わったと思う。いまは、耳をひらいているときは「ああ、人はみな固有の歌をずーっと歌っているんだなぁ」と感じられる。メロディもリズムも、音色もそれぞれに違う歌を、誰もが歌い続けている。それは、いわゆる「音楽」のかたちはとらないけれど、やっぱり音楽なのだと思う。
音声を聴きながら、ミニ・カウンセリングの逐語録を眺めると、何度も何度も逡巡してからふっと吐き出される言葉には、助走を必要とするだけの重さがあることに気づく。愛おしい人の名前を呼ぶ声にはそっと触れるようなやさしさとぬくもりがある。つらい記憶を口にするときは、喉が締め付けられているように声がしわがれる。文法的には間違いとされる語順にすら、そのように語られなければいけない大切な意味があるようにさえ思われてくる。
言葉はこの世界をつくっているものだから
言葉は、ときとして情報を運ぶ乗り物のように扱われてしまうけれど、本当にそうだろうか?こうして、ディスプレイで見る文字は、みな同じかたちをしていて画一的だけれど、声はちがう。手で書く文字も一度限りしか書けないかたちを見せる。
そのことばは、わたしたちの生きてきた時間、いや、ずーっと古くから続く時間のなかで、ふっと一瞬だけ現れるものだ。ことばはわたしたちのいのちだし、言葉はこの世界をつくっているということ、みんな忘れてない?
ことばを乱雑に扱うと、他者のみならず自分自身もケガをする。みなが言葉を乱暴に扱えば、言葉とともに世界も壊れてしまう可能性だってある。そうはなってほしくないなという気持ちがあるので、わたしは編集学校をうっかり引き受ける。それは、言葉が壊れそうになっているこの時代に、ライターとして生きる者の本能みたいなものじゃないかとさえ思っている。
橋本久仁彦さんへのインタビューは、2016年にも行っている。こちらもやはり言葉について。わたしが橋本さんに向き合うと、どうしてもそこにフォーカスしてしまうからなのだろう。こうした組み合わせの妙も、インタビューのおもしろさにほかならない。
というわけで、次からやっと「なぜ、編集学校を?」の話がはじまります。
※記事のなかの写真は、2010年9月20〜26日のインタビューのワークショップin女神山、およびそのノートから。
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