「尾道ライターズ・イン・レジデンス」のこと。
「尾道日記」のシメは、「尾道ライターズ・イン・レジデンス2019」のこと。一緒に暮らした、ひとクセもふたクセも、無くてななクセもあったレジデンスの人たちのことを綴っておきたい。
「尾道ライターズインレジデンス」とは?
「尾道ライターズ・イン・レジデンス2019(以下、OWIR)」は、ひらたく言うと「真冬(オフシーズン)のゲストハウス「みはらし亭」の部屋をリーズナブルにお借りして滞在する、物書きのためのプログラム」だった。
主催は、NPO法人尾道空き家再生プロジェクト(通称、空きP)。尾道の古民家を粘り強く再生させてきた剛の者たち。「みはらし亭」も空きPの人たちが熱意と根性でよみがえらせた建物のひとつだ。
期間は1月15日〜2月7日までの3週間。原則として1週間以上の滞在が条件となる。2回目となる今年は、長い人は2週間、短い人は1週間といった感じで入れ替わり立ち代わりし、のべ11名の”ものかき”が滞在したと聞く。
「物書き」の定義はかなり幅広く、必ずしも文字を書く人でなくてもよいみたいだった。その”幅”こそが、レジデンスの共同生活のなかで、とてもよいバランスをつくる要因になっていた気がする。
私が出会ったレジデンスの人たち
私が滞在1月22〜28日には、私を含めて6人の”ものかき”さんがいた。映像の仕事をしながら物語を書こうとしている人、編集プロダクションの代表の方、漫画家Iちゃん、イラストレーターのMちゃん、そしてウェブマガジンの編集者でありライターのKさん。
関東から4人、岡山から1人、年齢は20代半ばから50代までバラバラ、全員女性だった。私が帰った後はうら若き歌人の男性が来たらしい。
Mちゃんが滞在中に出会ったメンツを描いてくれたイラスト◎
二階の広間(?)は共有サロンになっていて、コタツの上には空きPの豊田さんが差し入れてくれたみかんが転がっていた。ちなみにMちゃんは初日から、別棟のキッチンから持ち込んだグリル鍋をコタツに設置。めくるめく鍋奉行状態となり、あっという間に全員を餌付けしてしまった(ごちそうさま!)。
普段通りに暮らしていたら出会わないタイプの人たちと、いきなり共同生活をするのはそれなりにスリリングだ。そういえば、Iちゃんはうるめの干物をワイルドに齧り続けていたよな……。興味深かったのは「絵の人」と「文の人」ではコミュニケーションが違うということ。
漫画を描くIちゃんとイラストを描くMちゃんは、電光石火型というか、「わかる!」に至るスピードが速い。話し終える前であっても、「ピ!」と来たらその瞬間にリアクションする感じ。
一方、私とKさんは起承転結型とでも言えるだろうか。まずは文脈を手繰り寄せるところから始めて、全部聞き終わって咀嚼した後から言葉を発するので、絵の人たちに比べるとコミュニケーションがとかくスローだ。
深夜の「シャンシャン」と「ピロリロ」
スリリングといえば。
OWIRの期間中、ふたつ事件が発生した。
まず、私が来る前に起きた「シャンシャン事件」(今、名付けた)。
草木も眠る丑三つ時、遠くから「シャンシャン、シャンシャン」と神楽の鈴のような音が近づいてきた。音はだんだん大きくなる。部屋にいたレジデンスの人たちはそれぞれに思ったらしい。
「お祭りの練習でもしているのかな?」
翌日、空きPの人たちに確かめると「そんな話は聞いていないよ」とのこと。誰もその謎を深追いしなかったので、「シャンシャン」はあっさり迷宮入りしたようだ。そして、私の滞在最終日には、あの「ピロリロ事件」が起きた(これも今、名付けた)。
「みはらし亭」は、多くのゲストハウスがそうであるように、暗証番号付きのドアロックをかけている。暗証番号を入れると「ピロリロ!」と音が鳴って鍵が開く。ドアを閉じるとまた「ピロリロ!」と音が鳴る。開ける時と閉める時はメロディが微妙に違う。
その夜も、私たちはMちゃんがつくる鍋を食べ、何をしゃべったかほぼ思い出せないようなおしゃべりに花を咲かせていた。鍋を片付けにキッチンに行って洗い物をして、お茶を飲みながらさらなる夜更かしをしていたら、ふいに「ピロリロ!」が聞こえたのである……
「え、誰?」
「この時間に?」
サロンに重苦しい緊張が走った。みんなの耳が、いや五感のすべてを使って、廊下の異音と人の気配を探っているのがわかる。みはらし亭は昔ながらの日本建築で、廊下と部屋を隔てているのは襖と障子だけ。サロンでの籠城は無理だ。
「そこにおるの、わかっとんじゃい!!」
突然、Mちゃんが叫んだ。シーンとした廊下からは何の返答もない。顔を見合わせて「あ、わたし一番年上やった」という事実に気づく。部屋のなかに何らかの武器になりそうなものを探したが、木製のハンガーしかない。
廊下に面した障子を開けて、ハンガーを先に出しながら左右を確認。振り返ると、みんなもハンガーを手に持っていた。そろりそろりと廊下に出て、二階のトイレと各部屋には人がいないことを確かめて階段を降りる。「ピロリロ」ドアはロックされており、一階にも誰もいないとわかるとホッとした。
が、「ピロリロ」が鳴った理由は判然としないので、みんなの不安は消えなかった。結局、その夜は最も堅牢そうなKさんの部屋に布団を持ち込んで一緒に寝た。もはや合宿か修学旅行の様相である。
それにしても、到着初日から奇妙な事件に遭遇した挙げ句、レジデンスに部屋を占拠されたにもかかわらず、Kさんはおっとり笑って許してくれた。やさしい人だ。
「非日常の日常」というバランス
レジデンスにとって、尾道で暮らすことは「非日常」である。しかし、一定期間同じところに寝起きしていると、そこには日常の萌芽が見えてくる。一人一人の部屋のごちゃつき加減もそうだし、レジデンス同士の関係性だってそう。そもそも、空間を共にすること自体が関係性をはらむ。
そこにきて「ピロリロ事件」である。
「ピロリロ!」。出会ってまもない人々を雑魚寝させてしまう、魔法のメロディ。翌朝目が覚めたときにはもう、なんだか一線を超えた感じになっていて、妙に居心地のよい関係がしあがっていた。
ゲストハウスのドミトリーに泊まれば、一緒に枕を並べて眠るなんてふつーだ。だけど、たとえごはんを一緒に食べて「おやすみ」と言い交わして眠ったとしても、「一線を超えた感じ」にはならない。「ピロリロ」事件こそが、私たちの関係を変えたのだと思う。
もう少し長く滞在して、レジデンスのみんなとのしっちゃかめっちゃかな、青春みたいな非日常の日常を楽しんでみたかったな、と思ったりする。
たぶん、みんなもちょっとそんな気分でいるんじゃないかな。
「”成果”は求めない」というスタンス
そうそう、最後にこれを書いておかなければ。
OWIRでは、滞在中の制作や成果物の提出は義務付けられていない(注:来年からはわからない)。心配になって「ほんとに、何もしなくていいんですか?」と空きPの人に確認したら、「なんでそんなこと聞くの?」という空気が漂った。
「志賀直哉は、尾道で『暗夜行路』を書き始めたけれど、前篇を発表するまで7年かかってますもんねえ」。
こ、この人たちの気の長さは時間をかけて建物を一つ一つ修復し、再生させているゆえんなのだろうか?
とか言いながら、腑に落ちる気持ちも大いにあった。尾道で感じたこと、出会った人、場所、食べ物、感じたこと、みはらし亭までの300段の階段、ピロリロ……などなどを、短期間でわかりやすい「成果」にしようとしたら、自分の表面をツルッと掠めただけのものになったかもしれない。
一方で、あのメンツで何か一緒につくってみたかった気持ちもちょっとある。もう少しいられたら、自然発生的に何か起きそうだったんだけどなー。
いつか、自分に根っこを張った「尾道」を書けたらいいなと思う。京都に帰ってから、階段や坂を上るのが前より好きになった。今もなお、階段と坂にいるときは体のなかに尾道の地形が揺れ動いている。