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山の道であり、海の道でもある。

尾道のまちは、線路を挟んで海側と山側に分かれていて、山側の斜面には階段と坂道がうねうねと走っている。線路を渡るルートは、歩道橋とトンネル、そして踏み切りのいずれかでつくられていた。

「なぜ、ここは歩道橋でこっちはトンネルになったんだろ?」と思うけれど理由はわからない。地形や地質、あるいは高低差、それとも土地所有者の好み? それぞれの道ができた時代のやりとりを想像しながら歩いた。

尾道の人と話していると「明治に山陽鉄道が通ったときに」という話がよく出てくる。それまでは、山は聖域でお寺と神社しかなく、人々は山裾から海岸の間に町をつくって暮らしていた。ところが、鉄道を敷設するにあたって多くの家が立ち退きになり、山側にも家を建てるようになった――。

本来なら人が住んではいけない聖域だという人もいれば、家を建てることを許してくれたお寺や神社に感謝しているという人もいる。

この町の人は、江戸時代や明治時代からの歴史を辿りなおしながら、毎日を歩いている。それは、とても大事なことな気がする。自分が立っている地面との関わりを持ついとなみになるだろうから。

尾道には、今も現役の「海の道」もある。

向島に渡る渡船、島々をめぐるフェリーは、人と海との関わりをいつも思い出させてくれる。海はただ眺めるためにあるわけではなく、人とモノを運んで暮らしの半径を広げ、遠い遠い世界へと連れ出してくれること。

尾道という地名に含まれる「道」は何を意味している?

一番よく知られているのは、尾道三山の尾根づたいに道があったことから「尾根の道」、転じて「尾道」になったという説。また、司馬遼太郎は船の通った軌跡を意味する「澪(みお)の道」という説を唱えたらしい(出典を追えていないのだけど)。

「おのみち」という音に、山の道、海の道の両方の意味合いが含まれようとしているのがよいなと思う。もしかしたら、司馬さんの気持ちのなかには、そのような意図もあったのではないかと想像したくなる。

あてもなく坂を上り下りしながら歩いているはずなのに、知らず知らずに同じ道を選んでいて「あっ」と思う。選んでいないつもりで、選んでいるのか、選ばれているのか。道を歩いているのか、道に運ばれているのか。

そういう、行くあてのない思考をお手玉のようにポンポンと手のひらに受けとめながら、散歩をしていた日々はもはやなつかしい。まだ、一ヶ月も経たないというのに。

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