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反省の夜とマリア・テレジア

まだ幼い娘に今日も説教をしてしまった。
親というだけで何かを教えられるほど偉くもないのに。全くもって。
偉そうに語るカタチだけは立派である。
やれ、挨拶を丁寧に。感謝して生きろ。あきらめるな。決めたことをやり通せ。
果てさて、自分は何を達成した人なのやら。
毎日、毎日、泣きもせず聞き流している娘もたいしたものである、それだけ聞き流しスキルが身についてしまった証か、、
親とは違う人格、親の自己実現にするな、あなたのためを想ってはNG。。
情報化社会に生きる身、充分わかっています。
だけど、いつだって、子どもに快適に、出来るだけ人の悪意を受けずに生きてもらいたいと思ってしまう親心。

かのマリーアントワネットの母上、オーストラリアハプスブルグの女帝マリア・テレジアも、アントワネットが嫁ぐ時、毎晩読むようにと心得を手紙にしたためて渡したというではないか。
時代や立場がこーんなに変わっても子を想う親心の原点はやはり一緒なのではないかと共感を持って、勝手な考察をしてしまうが、いかがか。

しかしそれでも可愛い寝顔を見ながら、明日は優しいお母さんでいたいと心底反省するのだ。
これもいつの世も、夜の子供部屋で起こりうる現象だろうか。
マリア・テレジアも、幼いアントワネットの寝顔を見つめ、涙を流したことがあっただろうか。

宝塚の影響ですっかりオーストリアが憧れの場所となっている娘だ。
いつか、娘とウィーンを訪れる日がきたら、今日のこの小さな想いを何倍にも盛って美談にして聞かせてあげよう。
きっとまだ、母親ぶった、こうるさい老女であろうから。

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