正しい夜明け/樹海の車窓から-1 #崖っぷちロックバンドHAUSNAILS
カッティングの効いたリズムギターに和音が小気味よくペンタトニックをなぞるリードギター、主張しすぎないがメロディアスなベースと四つ打ちを基調にしながらもどこかいなたい雰囲気のあるハネたドラム。母親が「これ好きだったのよお小学生の頃!」と豪語しながら観ていた懐メロ番組の、揃いのスーツを纏って長髪を胡乱に撫でつけた――その割に不思議とカッコよく見える――往年のグループサウンズを彷彿とさせるガレージロックが、臨時休業中のライブハウスの舞台に飽和する。奏でているのは往年のグループサウンズの亡霊がゼロ年代の遺産・ネオヴィジュアル系バンドマンに憑依したような男達、否、シモテのリードギターはボトムスが細かなプリーツの入ったぱっと見スケバンみたいな姿の小柄な女性に見えるが……おそらく、そのひとも例外なく男性である。
真っ赤な照明に照らされて揃いのスーツを血腥く染め上げた男達をバックに、視界を七割方支配したフロントマンがネコ科の肉食獣のように上体を反らして雄叫びを上げる。振り乱した髪は軽くパーマのかかった肩までの長さのロン毛、マイクを握る両手は白いドライビンググローブに包まれ、開演早々汗で束になった前髪の隙間からぎらぎらとした目玉が不気味に光る。紫がかった赤アザみたいな色のアイシャドウに囲まれた見事なまでの二重瞼と涙袋、ツクリモノのような高い鼻、目もとと揃いの口紅を塗った形の良い唇は自信ありげに口角をくっと上げる。
こちらに向かって白手袋の右手を差し出したロン毛のイケメンは軽い頭突きで折れそうな華奢な顎を少しだけ上げて、ハスキーボイスで囁く。
「最高の夜が始まんだよ、目ェ逸らすんじゃねェぞ」
――――さて、何故おれ達は今、ロン毛白手袋のイケメンがフロントを張るV盤のライブ映像をPCの画面覗き込んで食い入るように鑑賞しているのか。そして、何故そのノーパソの上で画面の中にいるイケメンと同じ顔をしたノーメイクのロン毛イケメンが、革ジャンの腕を組んでおれ達を見下ろしているのか。
簡単な話だ。事の始まりは、今から一時間程遡る。
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三月某日。我々は死にかけていた。
物理的に、と言うよりは精神的にである。いや、ある意味物理的にも瀕死なのだが、その時はまだ“死にかける”程度の認識で済んでいたのであった。
三月半ば以降のライブの予定が全て飛んだ。理由は言わずもがな、今世界中を暗く覆うあの疫病の影響だ。ただでさえガラの悪いニーチャンネーチャン達が集まって薄暗い空間でドゥンドゥン音楽かけてガチギメパコp……みたいなイメージが地元のオールドメンバーなんかの間では根深いライブハウスだが、そこから未知のウイルスが蔓延するかもしれないなんて公共の電波で宣伝されてしまってはネガティブキャンペーン極まりない。たとえその煙草のヤニで汚れた小さなサロンで活躍しているのが発情したガラの悪いニーチャンネーチャンではなく将来を嘱望された若き音楽家達であったとしても、流石に見えない敵には敵わないのがヒトのサガなんだろう。
前置きが長くなってしまった。とにかく、難しい理由はなく、間違いなく、紛れもなく、三月いっぱいのライブの予定が全部飛んだのである。
これは我々平均年齢二十二歳ピチピチハイブリットミクスチャーツインボーカル歌謡ロックバンド・HAUSNAILS(ハウスネイルズ)にとって由々しき事態である。我々のみならずインディーズバンドの多くは先輩やイベンターさんがイベントに呼んでくれたり、自分達でせっせとコンペに参加したりしない限り知名度にも収入にも繋がらない。ただでさえメンバーの就活による約半年間の活休期間を越えて今年二月に待望の活動再開をキメたばかり、その後怒涛の勢いで週末毎にスタジオに入りメンバーそれぞれストック曲を持ち寄ってやっとこミニアルバム『WANDERLUST.EP』完成、月末には自身初の配信リリース決定と大目玉トピックスが幾つも控えていた矢先の、このザマである。何たるていたらく、学校の卒業制作の合間にあまりに暇すぎて“#崖っぷちロックバンドHAUSNAILS”というハッシュタグを勝手に使って始めた当ブログだが、お陰さまで「崖っぷち」の言葉に圧倒的に説得力が増してしまった。
と言うわけで新譜の貴重なプロモーションの機会をも綺麗さっぱり失った我々は、まだ「密です」なんてギャグも蔓延する前の三月の下北沢の青空を糸の切れた凧のようにふらつき、若干ひと気の少なくなったオオゼキで菓子と酒と煙草とソフトドリンク数種類を買い込み、特に意味もなくスタジオに辿り着いた。住宅街の路地裏、古びたマンションの一角。社長の地元であるシモキタに本社を構えて今年で創立二年目を迎える、弱小個人レコードレーベル「偏光レコード」が買い上げたボロスタジオである。
あろうことかドラムのタムをテーブル代わりにする癖のあるドラマーの九野ヒロが、形の良い唇をやや歪めてタムの上のビニール袋から取り出したがぶ飲みクリームソーダの蓋をそうっと開ける。どうやらここまで持ってくる間に揺らしてしまったらしく、炭酸の爆発を恐れているようだ。若干色落ちして金髪が混ざったピンク色の厚い前髪が目もとを隠す。ベビーフェイスのドラマーがへっぴり腰でペットボトルと格闘するのを横目に窓辺のソファの特等席を占領し、着ていた革ジャンを背に放り投げたベースボーカルの平清澄は、向かいのキャンピングチェアーに腰かけたギターの八重樫藤丸に頓狂な話題を振った。
「だからさフッちゃん、ツイッターでよく見る“○○しないと出られない部屋”ってヤツ、あれってちょっと培養槽っぽいなぁと思うワケよ俺は」
「培養槽ってアレ? なんか、科学者とかがSFでサイボーグとか偉人のクローンとか飼うやつ」赤のSGを膝に抱えて乱暴な仕草で器用にキットカットのパッケージを歯で開封したフッちゃんは、パンクドランカーのキャップを外して天パで渦を描いたゴージャスな金髪ロン毛の前髪を軽く整え、帽子を被り直しつつやたら奇想天外な雑談に乗っかる。チョコレートの端を口にくわえて彫りの深い目を細め一言、「何その仮説、神の目線的なサムシング?」
「んにゃ、そーかもしれん」んにゃ、と共にべスボは目の前の薄汚れたガラスのローテーブルに置いたビニール袋からキャメルを取り出し、やたらグラマーなタラコ唇に一本くわえる。黒スキニーの尻ポケットからベティちゃんの柄が描かれたピンク色のライターを取り出して火をつけた。ギタリストの隣に揃いのキャンピングチェアーを出して座り、ローテーブルの上のクラフトボス・ラテ(ホット)のオレンジ色のキャップに手を伸ばしかけていたおれは、思わず席を立って九野ちゃんの隣に椅子を移動させた。
紫煙を一服吐き出したベースボーカルは、ペイズリー柄の真っ赤なサテンの開襟シャツの襟を左手でいじりながら黒スキニーの膝に肘をつき、煙草を挟んだ右手の指先を揺らす。全身の細胞の三割が十七歳みてぇな一見人畜無害そうなミテクレに全く不釣り合いなファッションと所作で与太話を続けながら、金糸のようなパツキンボブカットを気だるげにくしゃくしゃとかき回した。
「そもそもなんのためにその部屋は設けられてんだって話ジャン? 誰がなんのためにその部屋用意してんの?」
「うーん、そら作者じゃん?」非喫煙者だがおれのように嫌煙家ではないフッちゃんが、椅子の背に身を預けて「そら脈なしじゃん?」みたいなノリで返す。
「だしょ!? 作者という“神”なのヨ、GOD」「GOD」「登場人物は作者の欲求によって部屋に閉じ込められるモルモットじゃん? 培養されてるやつなんよな」
「今日はよー喋んねキヨちゃん」ふたりの会話のテンポを全く崩さない、ごく自然な流れで九野ちゃんがおれに話しかける。なんかおかしなもんでも食ったんやろ、と言うようなニュアンスを込めて眉をひそめながらじゃがりこを三本頬張るおれ。普段は比較的無口なキヨスミは時々このような謎の問答をメンバーに振ってくる事があり、なまじ学年トップの成績を高校時代三年間貫いた程度の地頭の良さもあってか絡まれるとなかなか面倒な事この上ない。因みに決して多くはないがおれよりは段違いに多い(悔しい)追っかけの女の子達には「不思議ちゃんで可愛い」と好評である。おれも時々たまにごく稀に餌食にされるが、付き合いが若干長く諸事情によりオカルトに詳しいフッちゃんが相手をしてくれる事が多い。
「でもそれってちょっとバベルの塔っぺーな」ほら、またややこしい展開を見せそうな切り返しをしてくるよこのギタリストは。しかも、やめときゃ良いのに何故か九野ちゃんまで参戦し始める。
「バベルの塔ってアレ? 言葉通じなくなるやつ」
オタク気質でソシャゲと美少女アニメとアメリカンポップスに課金しまくる九野ちゃんは、中学時代に新約聖書を読破したと以前話していた。「説明ヘタか」「うちら大半文化系で良かったネ、九野ちゃん」とやんわり総ツッコミを受けるドラマーは大人しくすごすごと引き下がり、おれの手元からじゃがりこを五本程強奪してぽりぽりし始める。なんでやねん。
「その心は?」とのキヨスミの返答に対し、いやさあ……と言いかけたフッちゃんが右手のキットカット二本目を口の中に放り込みかけた瞬間、部屋と内廊下とを隔てる音楽室のそれのような扉が徐にノックされ、その向こう側から長身の男が颯爽と姿を表した。
「よォ少年達、酔生夢死してっか?」