自分の感情や出来事を言語化したい

毎日日記を再開する。
先月わざわざ毎日日記というマガジンを作ったくせに二日で終わってしまった。俺は三日坊主にすらなれなかったことに苛立ちと悔しさを覚えたが、一応マガジンを作るという一歩を踏み出したことで、日記を再開するハードルが下がっていたことは確かなので、その一歩を踏み出したことに価値があったということにしておく。

俺は仕事や日常で一度何をやってもダメだと落ち込むと、人生の全てのことを「無意味」だと思ってしまう習性がある。隣のなか卯で大好きなカレーでも食べて風呂に浸かったら忘れられそうなことを何日も引きずって体力を消耗してしまう。いつから俺はこんなにネガティブになったのだろうか。もともとネガティブだが、大学2年生以降は酷い。20歳からもう6年ほどネガティブを加速させている気がする。これではダメだと思い、日記を書き始める。日記を書いてその日の出来事や自分の考えを整理することで自分が楽しく生きるための地図をつくっていく。

今の俺にとって、日記は毎日書くこと、誰かの目に触れる可能性のある場所で書くことに大いに意味がある気がしている。
日記を毎日書くことで、気持ちや出来事の言語化力と文章力をつけたいと思っている。コラムニストにも小説家にもなる予定はないが、単純に自分は文字で何かを表現することが好きだということに気づいたので、その力を伸ばしていきたいということである。
そして、誰かの目に触れる可能性のある場所で書くことで、自分の内側にマグマのように溜まっている喜怒哀楽をありのまま外側に出すトレーニングをしようと思う。

俺は昔から自分を表現することが凄まじく苦手だが、心のどこかに思いっきり自分を表現したいという欲がある。
自分が出来ないことを素直に受け入れず否定したり、他人がスラスラやっているのを羨ましいと思ってしまうことは、自分もそれをやってみたいという欲があることの何よりもの証拠になっている気がする。
俺の場合は自分を表現することや人生を楽しんでいる人に対し否定の目を向けることが多いが、それは自分がそうなりたいのになれないという事実に蓋をしたいからだ。野球が上手い人や裁縫が得意な人に対しては何も思わないが、人前で堂々と話したりnoteで堂々とエッセイを書いている人を見ると、自己顕示欲が強いなと思ってしまう。野球や裁縫ができるようになりたいとは思っていないから前者に対しては人は人自分は自分と割り切ることができている。しかし、後者に対しては心のどこかで憧れを抱いているので無視できず、かといって自分がそれをする勇気もないので逃げの道を選択する。自分を表現する人に対しては自分でも処理し切れないくらいの憧れがある。その厄介な憧れを否定という名のナイフで切り捨てることは簡単だが、俺はやっぱり努力でその憧れに近づきたい。もはやこれだけのことをnoteに曝け出している時点でその憧れへの扉を開けるところまではできている。あとは突き進むのみだ。
自分が望まない形で吃音や鬱を経験し、もう必要以上に頑張ることをやめようと思って最近は大人しくしていたが、それでは楽だが何のために生きているか分からなくなる。この世界を無意味にするのは一番よくない。苦しいけど自分ができる範囲のことを頑張るのが一番良い。

毎日日記を書くということを宣言したかっただけでこんなことをダラダラ書く予定はなかったが、やっぱり自分の考えを文章を書くのは楽しい。noteを書く目的はたくさんあるが、書くことが楽しいというシンプルな理由だけを武器に俺は毎日更新し続ける。

ちなみに今日は話し方教室に行って、自分の話し方を褒めてもらったので気分が最高に良い。

毎日日記ルール
※どんなにしんどくても、一文でいいからnoteを書く。
※自分が好きなように書けばよくて、上手く書く必要はない
※表現することに恥ずかしがらない


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