苦しい
今俺はこの世界を生きることが本当に苦しい。仕事(もう辞めるけど)はもちろん、休みの日さえ苦しいし落ち着かない。調子の良い時は本を読んだり映画を見たり運動をしたりできるけど、調子の悪い時は頭を使うことが全くできず、飯を食って寝るだけで精一杯の状態だ。少し大袈裟かもしれないが今の俺は生きることにもう限界を感じているし、なんかどう頑張っても前に進むことができない。前に進むどころか日々を穏やかに適当に過ごすこともできない。とはいえ、当然のことながら一人で生きているわけではないので、死ぬという選択肢は全く無い。今の俺は進むこともできないし終わることもできない。だから、会社を辞めて、しばらく立ち止まって休憩することにした。しかし、曲がりなりにも今まで何かしらの集団や社会に所属し進み続けていたからか、一度何もせず立ち止まるということが、自分という人間の価値が一気にゼロになることに直結するような気がして、休憩することにすら恐怖と苦痛を感じる。俺がまだ自分の人生を諦めないために今取れる選択、今するべきことは、仕事でも自己投資でも無く、自分を取り戻せるように休憩することだと言い聞かせている。
家族もいるし、友達もいるし、彼女もいる。なのに生きるのをやめたくなるほど苦しくなる。自分でも意味が分からない。贅沢すぎることを言っているのは自分でも分かっている。もう大人だから、信頼できる人に話を聞いてもらったり、自分なりにストレス発散したりしながら、ある程度は苦しみに蓋をして、怒りを我慢して、この世界を生きていかないといけないとは思う。それは分かってる。分かってるけど、仕事を辞めて休憩しないともう生きられなくなるくらい、苦しい。もはや意味や理由はなく、苦しいという現実だけが脳と心を支配している。
とはいえ、少し調子が良い日はなぜ苦しいのか、なぜこうなってしまったのかをよく考えている。
苦しみの理由はざっくりいうと、「自分」と「今後向かう先」の二つが分からなくなったことが原因だと思う。この二つが分からなくても日々を生きていける人も多くいると思うけど、俺はこの二つがある程度明確でないと、生きる気力も希望も無くなっていく気がする。10代の頃や20代前半の頃も苦しいことは本当に多かったけど、自分はどういう人間か自分なりに分かっていて、向かう先はどこかを考えて日々過ごしていたので、苦しくても生きるのをやめたくなるようなことは無かった。
高校生の頃は人見知りで暗かったけどサッカーが毎日できてお笑いが見れていれば幸せで、そのままの自分で国公立大学への合格に向かって勉強をひたすら頑張った。
大学生の頃は、急激に恋人が欲しくなったり、コンプレックスだった吃音を克服したくなったり、高校生の頃は考えてもいなかった自分に向かいたくなり、人見知りで暗い自分を変えるために日々もがいていた。
社会人になった当初は、とにかく仕事を覚えようと、大学生の頃改革した自分に自信を持って日々自分なりに頑張っていた。
でも三年目くらいから、毎日仕事をしていく中で、自分の本心からかけ離れた日々が多くなっていき、それにより自分が向かっている先が合っているのか、それで俺は良いのか、よく分からなくなってきた。それでも社会人とはそういうものだ、大人とはそういうものだと自分に言い聞かせ、自分の感情に蓋をしながらいつか花開くと信じ込み、日々仕事をしていた。しかし、気づいたら自分がなくなり、向かう先もわからなくなり、鬱になり、色んな能力が低下した。しまいには脳が動かなくなってしまっていた。昔から丁寧に時間をかけて並べてきたパズルを一気にぶち壊されたような、そんな感覚になってしまった。もう、どこから手をつけて良いかよく分からないし、そもそも正解例があったのかもよく分からない。
最初に書いたように、前に進めないとはいえ、休憩するだけでは恐怖と苦痛に襲われるので、調子が良い時は、今後の自分の何かのヒントになるようにこうやってnoteを書いていく。
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