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吃音が気にならなくなれば、世界は明るくなると10代後半の頃は本気で思っていたが、残念ながら全然そんなことは無かった。色んなことを試して吃音を改善して気にならなくなったけど、世の中にはそれ以外にも難しいことは沢山あって、見たくないものや聞きたくないものばっかりだ。そういうめちゃくちゃに見える世の中で自分の芯をしっかりと持って、自分の納得いく人生を歩んでいくことは本当に並大抵のことではなかった。自分が人生を楽しめないのは吃音だけが原因ではなかった。
かといって、吃音を気にしている状態では世界は真っ暗であることも分かった。自分の進む道には、まず吃音という大きな壁があって、それを突破した先に更に仕事や恋愛といった壁があるような感じだ。吃音の壁を越えたからといって人生全てハッピーなわけではない。吃音を受け入れながら生きていくことは本当に難しい。一度そういう自分を手にしたと思っても、環境や価値観の変化によって、吃音を気にしない自分もいつの間にかどこかに消えてしまう。大人になれば自然とそういうことを受け入れられるようになると思っていたが、むしろ自分に余裕がなくなって、スムーズに話せるのが普通とされる世の中がどんどん窮屈になる。
しかし、吃音を気にしすぎる自分も、気にしない自分も、全ては自分の脳の中で作り上げられているイメージに過ぎない。イメージに過ぎないが、そのイメージが全てで、みんな自分の脳で作ったイメージによってこの世界を生きている。
また自分なりに経験を積むことで、吃音とか関係なくこの世界を楽しく生きていけるイメージを脳に植え付けていくしかない。
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