やりたいことがたくさんある

今日は久々にめちゃくちゃ気分が良い。
なぜか分からないけど、めちゃくちゃ自分を肯定している。自分が好きという感情が久しぶりにある気がする。去年の夏くらいからずっと謎の絶望に苛まれていて頭が本当にイライラしていたけど、徐々に戻っていってる気がする。

週末出かけたい、友達と喋りたい、今日の自分にはそういう普通の感覚が確かにあって、そのために仕事を頑張ろうというモチベーションがある。やりがいがあるわけでも、すごく大きな仕事をしているわけでもないけど、同じ部署の人たちが良い人ばかりだし良い仕事をしたいと思っている。吃音の苦痛とか将来の不安とか世の中への憎悪とか自分の中の闇が今日は見えない。見えないというか、それよりも見るべき楽しい光の方がくっきり見えてしまう。これが本来あるべき状態な気がする。

そして、今日そうなってるのはたまたまではなく、自分でコントロールしてきた結果だと自負している。今年に入って毎日日記を書くことによって生の感情を吐き出しながら壊れそうな時は気持ちの軌道修正をしたり、心療内科でしっかり自分の感情を説明して漢方薬をもらったり、食生活と睡眠をちゃんと見直したり、今できることにしっかりと向き合うすることで本来の自分を取り戻しつつある手応えを感じている。

結局、何かがしたいという欲求も、挑戦しようという情熱も、踏ん張ろうという忍耐も、何かが好きという感情も、心身ともに健康な自分があって初めて成り立つ。
鬱っぽかったり絶望が大きかったりすると、そんな当たり前のことすら忘れてしまい、元の自分に追いつこうとして今できること以上の行動を取り、その結果脳や心が壊れてしまう。

壊れてしまうと、どんどん自己嫌悪に陥り、さらに身の回りや世の中に対して憎悪の感情が膨れ上がる。心身が不安定な時の過剰な行動は、骨にヒビが入っているくせにその違和感を直そうと全力疾走しようとしているようなもので、全く理に適ってないし、無意味だし、やりすぎると本当に取り返しのつかないことになってしまう危険性がある。
こんな簡単なことに気づくまでにだいぶ時間がかかった。でも、頑固で捻くれている自分にはこれだけの時間は必要だった気もする。壊れている時は無理に元の自分に戻ろうとするのではなく、今できることをやり回復に向かえという情報を受け入れる事ができず、自分はこんなもんじゃないと過剰な行動を繰り返してきた。でも、本当に自分の感情が死ぬ直前になってやっと気づいた。

でも、今日調子が良いからと言って、調子に乗ってはいけない。
今年は自分を取り戻す一年と決めている。
毎日日記を書いて自分を壊さないように、健康的に仕事をする。

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