幸せとは納得して生きること?

俺は20代後半になってもまだ何が幸せなんだろうとか延々と考えている。それは昔から本当に生きているのが苦しくて仕方ない瞬間が多いからで、最近は友人との大好きなバカ話の時間さえ、仕事や結婚の話に終始してしまい、結局プライベートでも経済活動という現実から意識を遠ざけることが困難だということを感じる。

何で皆、仕事をして結婚をして家庭を築くというのが幸せという価値観を疑ってないのだろうか。俺は周りの皆が信じている価値観を正面から信じることができない。もちろん皆の価値観は肯定するけど、俺はどうもなかなか信じられない。かといって独自の価値観を固めてそれを基に突き進むという自分の人生は自分が主役だぜ的な生き方もできない。今はそれをするために色々もがいてみているけど。

じゃあ自分の幸せは何かということを42度くらいのシャワーを浴びながらぼんやり考えていた時に、ふと思いついたことが自分の中で腑に落ちた。42度のシャワーは全然関係ないけど。

俺は納得して生きている状態が幸せなんだと思う。美味しいご飯を食べること、良い車に乗ること、良い家に住むこと、これらは一見幸せのように見えるが、俺が仮にそれらを手に入れてもそれが幸せだと納得できなければ意味がない。俺は3年目の夏に会社を辞めようと考え始めたが、その時は辞められなかった。行動力がないだけと言われればそれまでだけど、多分そのタイミングではまだ辞めることに納得できなかったんだと思う。でも、この夏で本当に会社を辞めようと思っている。それはもうこれ以上やっても無駄だとちゃんと思えるくらい納得しているからだろう。そして一年間しっかりと休んでみる。そこで自分がどう動くのかを確かめたい。なんか自分がお金を稼ぐためにやりたいことを嘘偽りなくやるかもしれないし、結局不安になってまた就職するのかもしれない。でもまた会社に就職したとしても、今の会社に居続けるよりずっといい。たとえ次の会社が今より環境が悪かったとしても今の会社を続けるよりは人生の満足度は高くなる。今会社を続けてズルズルいくと、美味しいご飯や良い車を手に入れて幸せを無理やり感じようとする諦めになってしまう気がする。でも、一年の休養を挟んで会社を変えた場合、美味しいご飯や良い車を得て幸せを感じることに納得できると思う。俺は一年間の休みを挟んでも会社員で生きていくんだという納得。

2年前に心療内科の先生に言われた「若い時に生きる意味を考え続けるのはセンスがあるよ」
去年話し方教室の先生に言われた「人間が死ぬ時に一番考えることはもっと自分にとっての幸せを考えておけばよかったということらしい」という言葉に俺は勇気づけられている。まだまだ自分の幸せを探していても問題ない。

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