繊細さを活かす道を探す

今日、「繊細さ」「自分らしさ」について解説している動画をたまたま見ていて気づきを得た。今後生きるヒントになるかもしれない。

対人においての繊細さは2種類あるらしい。
一つは他人に対して繊細。これは自分のしたことや言ったことが、他人からどう見えているかを気にしすぎてしまう繊細さのこと。
もう一つは自分に対して繊細。これは自分の本音やポリシーに敏感で、そこを無視できない繊細さのこと。
この説明を聞いた時、俺は厄介なことに、昔から両方の繊細さを相当高いレベルで持っていると思った。そして昔からある吃音は、この繊細さとの相性が相当悪い。

社会人になった時にこの特徴を直そう、矯正しようと自分なりに相当努力してきたつもりだ。こういう性質を直さないと、就職できないし、恋愛もできないと本気で思っていたから、自分なりに色々もがいた。そして実際就職も彼女もできた。そして少し繊細さがなくなった自分で2年くらいは生きれていたと思うし、そういう自分をもっと大きくしていけるものだと信じていた。しかし、最近は本当に疲れてしまい心が動かなくなってしまった。あの時知らない人ともたくさん飲みに行けるほど繊細さを克服した気になっていた自分は、今考えるとマリオがスターを取って無敵状態になっていたようなものでだったのだと思う。時間が経てばまた繊細で小さい自分に戻ってしまった。去年までは自分がスター状態になっていただけに過ぎないことに気づけず、俺はこんなもんじゃないと、繊細な心を剥き出しにして難しい仕事や面白く無い飲み会に無理に参加していた。でも今は小さい自分で、小さい自分だからこそできることを見つけようという思考になっている。俺の繊細さは確実に武器になるはず。武器になるくらいには繊細だという自信はある。本気でこの特徴を活かす方向性を模索しないとマジで生きられなくなってしまう。今はそういう危険性を感じている。この危機察知力もある種自分に対する繊細さだ。

ちなみに、スターはたまたま落ちていたものではなく、若い時の自分が繊細さを潰しに行こうと本気で努力してきたものだから、その経験は忘れず大切にとっておきたい。そこに固執はしないが、今後何かの助けになるはず。

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