吃音は結局のところ自分
昔は周りの人が理解してくれたら吃音は楽になると思っていた。
周りが気にしてきないことなんかもう流石にこの歳になったら分かる。環境はある程度自分で選べるし(それすらも勇気がいるけど)、そもそも最近は社会全体が寛容になっている。昔より吃音の認知度は向上し、理解は進んでいる実感はある。(症状が軽度な人はそこに悩む場合もあるから難しいけど。)
周りが気にしなかったら問題ないのか、という答えはノーだった。もちろん吃音によって差別してきたり、いじめをする人は言語道断だけど、大人になるとそこまで周りって変なやつばかりじゃない。そして人は大人になればなるほど色んな人がいるのを理解するので、組織の中の全員が吃音に難色を示してくるわけではないから、いくらでも助けは求められる。
色々やってきて現時点での結論としては、吃音は結局のところ自分が一番気にしている。自分が一番吃音をダメだと思っている。
詰まりながら話している自分自身に自分が一番ツッコミを入れ、自分が一番許さない。昔学校にいたような吃ることを笑ってくる人は今どこにもいないし、いちいち俺の詰まる話し方を真似してくる人もいない。周りの人はとっくに吃音の俺を受け入れている。受け入れられていないのは自分自身だけだ。それでもたまに社会や周りの人のせいにしたくなるのは、自分の心の中だけで解決できる簡単な問題だと思いたくないからだ。
俺は高校生までは吃音をひた隠しにしてきたけど、大学以降は部活の先輩や、バイト先の店長や同僚、会社の上司や人事担当、色んな人に吃音があることを打ち明けて自分の動き方を相談してきた。一部本当に嫌なことを言ってくる人もいたけど、ほとんどの人はそれを理解してくれた上で仕事を与えてくれたし、自分が活かせる場所を提供してくれた。そういう経験の中で吃音でも生きていける自信がついたし克服してきたつもりだった。
それなのに、28歳になって吃音が原因の一つで会社を退職した。完全に自分の問題だ。吃音どうこうではなく、自分の気にしすぎが問題だ。それはわかってるのに治らない難しさがある。だから、俺の問題は吃音ではなく明らかにこのネガティブな性格で、ひねくれて偏った思考だ。色んな挑戦をしてきてそこまで分かったからとりあえず上出来だとしておこう。
まあ人生長いからゆっくりやっていく。
ゆっくりだけど真剣に向き合っていく。
絶対答えはあるはず。
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