絶望を叫びたくなる瞬間

僕は友達や家族に言えない、あるいは言っても仕方がない絶望や怒りがたくさんある。自分の人間の小ささ、吃音、将来の不安、すぐに他人と比べて落ち込んでしまう生まれ持ったネガティブ思考。その全てに自分の脳が支配されていた学生時代は、社会人(大人)になったらそれらは改善されていくと考えていた。そして自分なりにもがいてなんとか就職して理想の自分に辿り着いたと思ったが、その算段は甘かった。やっぱり色んな人がいる中で自分がやりたいわけではないことをし続ける毎日に耐えられなくなることが多々あったし、今でもある。

本当にどうしようもなくなった時、僕は人をダメにするソファに叫びをぶつける。本当は部屋の中で大声で叫びたいが隣人に迷惑がかかるほど乱れてしまうので、人をダメにするソファに顔を埋めてとにかく叫ぶ。当たり前だが人をダメにするソファは僕の孤独や絶望に対し、それは甘えだと説教するわけでも、自分に合わない改善案を提示するわけでもなく、ビーズがパンパンに詰まったでかい体でただただ受け止めてくれる。人をダメにするソファに思う存分叫んだあとは疲れてしまって、明日は気楽に生きればいいか、という気持ちになり、意外と次の日はケロッとできていたりする。人をダメにするソファは僕にとってはダメな人を救うソファである。

しかし、最近は不安で押しつぶされそうになった時、人をダメにするソファに顔を埋めるのをグッと堪えてnoteのアプリを開く。そしてそのどうにもならない怒りや絶望を何とか言葉に書き起こす。その時の感情がソファの布に吸収されて消えてなくなっていくより、少し頑張ってでも形に残しておいた方が今後読み返したときに自分が生きるヒントになる気がする。そして、頭が乱れているからめちゃくちゃな文章だけど、いいねをもらえたり、たまにコメントをもらえたりすると、心が救われる。こんなどうしようもない気持ちを肯定してくれるコメントが届くと本当に気持ちが楽になる。本当にありがたい。だから最近はnoteに文字を殴り書くことが最大のストレス発散になっている。これからも続けていきたいと思う。

理想の自分やしっかりとした大人像を目指すのも大事だけど、今はこうやって色んな方法を模索しながら自分を壊さないように日々を生きていけばいいんだと思う。ずっと頑張らないとと焦っていたけど、そう納得しつつある。人生には色んな段階があって、今は自分を守りながら、また思いっきり頑張れる日が来るのを待つ時期なんだと思う。

今日はなんかいつもと違って客観的に自分を書くことができたから凄く嬉しい。
今は書きたいことを書き終わって、人をダメにするソファにだらんと寝転んでいる。やっぱりこのソファは叫ぶためにあるんじゃなくて座ったり寝転んだりするためにある。めちゃくちゃ気持ちいい。お風呂に入ってないけどこのまま眠りにつきそうだ。でも今日はそれで満足。今日は良い意味でどんどんダメになっていく。

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