母に会社を辞めることを告げた。
別に辞めてからの事後報告でも良かったけど、実家に帰って近況を話す流れになり、普通に言った。
案の定、辞めるのは勿体無い、どうせ辞めても意味がない的な空気を出された。母親は俺が勤めている今の企業が立派でホワイトで文句のつけどころがないと思っている。正直それは同意する。会社が悪いとは思っていない。しかし、俺という人間が会社に居続けることがしんどいのだ。辞める理由はそれに尽きる。しかし、そのシンプルな理由をやっぱり母親は受け入れきれないみたいだ。もう良い年した大人だから別に親の言うことが正しいとも思わないし、当然だけど聞く気もない。塾に通わせてくれたこと、お金に困ることなく大学まで行かせてくれたこと、基本的に自由に遊ばせてくれたこと、そういうことに大いに感謝はしているけど、自分の人生の責任は自分にしか取れないことをこの2年で本当に理解できたと思う。今までは辛くても会社を辞めない理由に、ここまで何不自由なく育ててくれた母親に申し訳ないという気持ちが心のどこかで少なからずあった。母親は、俺が大学時代に吃音で悩んで苦しんだけど今の会社になんとか就職した過程を知っているし、今の会社は安泰と思っているから、辞めるべきではないとずっと思っている。それは本当に理解できる。だからこそ今の会社で頑張って幸せになっていくことが親孝行だと考えている部分があった。しかし、やっぱりそれは違う。親孝行どころか、ある意味自分じゃない所に判断を委ねて自分の人生の責任を親になすりつけている卑怯者だ。28になるまでそんなことに気づけなかった自分が情けない。自分が良いと思う選択をして、自分の人生を納得して生きることの方が親孝行なはずだ。だから、会社を辞める辞めないという判断材料に親の意見は無くて良い。これは一般的に見たら当たり前のことだけど、俺の人生、性格そういうのを加味すると、そう納得するまでにこれだけの時間がかかった。

それはそういう結論でいいけど、結局何で母親がそんなに会社を辞めることを拒むのかまた一人で考えていた。
それはやっぱり俺が抱える苦しみが理解できないからに尽きると思う。母親も基本的には理解のある人なので、例えば俺が会社でいじめを受けている、深夜休日にとにかく仕事が多いとなると、そんな会社すぐに辞めなさいと言ってくれると思う。しかし俺はそういう誰から見ても明らかに苦しい事象があるわけではない。吃音や性格、組織への適応力の無さ、仕事へのやりがいの無さ、そういう色んな曖昧な要素が積み重なって2年前に軽度の鬱を発症した。そしてそこから部署移動し何度も頑張ろうとしたけどやっぱりこの鬱状態が完治しない。苦しい。報告の前日は眠れなかったりするし、会社に行くと動悸がするし、仕事から帰ってきて家で荒れ狂う日もある。心療内科に通いながら休職と復職を繰り返して今の会社で仕事を続けるという手もあるが、20代という年齢でそれを引き受ける覚悟ができない。だから辞める。最終的にはそういう結論になったけど、これを説明してもなかなか分からないらしい。なぜ分からないのかよく分からないが、やっぱりいじめや深夜残業など明らかなブラックさが無いと、辞める理由としては弱いと思ってしまうのだろう。
今の会社で働き続けることをマラソンを走ることだとすれば、俺は今足を骨折している状態だと思う。でもその骨折は側から見ると分からない。足に鉄球をつけられていたり、台風のような逆風というように、外から見て明らかに分かる障害物はマラソンからリタイアする理由として認められるが、骨折はよく分からないから走り続けろと言われているような感じがする。自分の骨折は自分にしか分からない。俺はずっと骨折を言い訳にしてマラソンを走り続けるより、骨折を治すために一旦走ることをやめて、また自分に合った走りができるように頑張る。

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