【万華鏡】読むこと
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
読解力は高い方だと、
自負は出来ても自慢にならない。
(文字数:約1400文字)
森羅万象あらゆる知識を、
現物を見るよりも先に、
誰かの肉声で聞かされるよりも先に、
文章と絵図から得た自覚がある。
こんな奴はまぁ我ながら、
滅多にいないだろと思っている。
物心ついた頃を三畳ほどの物置部屋の、
本棚の前に転がされて過ごしたからだ。
誰もいない一人である事が常態なので、
さびしさといったものすら認識せずに、
本棚いっぱいに詰まった本を、
手当たり次第に引っ張り出していた。
文字と日常的な使い回しは、
ほぼ『Dr.スランプ』で覚えている。
神様という存在も。
「残暑が厳しいざんしょ」
というダジャレの中の「残暑」という概念も。
それが通常子供には難しい単語である事も。
無論その全体がギャグという感覚もだ。
おかげで紛う方無き変態に育った事を、
堂々と皆様に申し述べ切れる。
変態とは一朝一夕に形成される生半可なものではないので、
そこは侮ってくれるな。
筆者それぞれの語句選択による配置の妙が醸し出す、
字面と文字組みだけで興奮できる。
プログラマー時代はソースコードまで「読んで」いた。
人それぞれの書き癖に、
データが滞りバグを孕んでいそうな予感まで、
読み取れていたものだ。
読子・リードマン(@『R・O・D』)
の能力はあながち荒唐無稽でもない。
私は小説家なのでどちらかと言うと、
菫川ねねね好きだが。
それも「ねねね」という単一文字の連続が、
「名前」と認識した途端になぜか、
ある程度多くの人に共通した、
イントネーションを思い描けてしまう妙味に、
気付かされたまらなく感じたからで。
誰が付いて来れんねん。
ところで読解力と言う単語自体、
「どくかいりょく」ではなく、
「どっかいりょく」
という音便変化形が正式な読みという、
トリッキーさに私はトリップ出来るんだが、
それはさておき、
読解力は読書変態において、
「四則演算が出来ます」程度の話だ。
読解力を基礎として、
更に新たな知識を取り入れ、
まとめ上げ他人様にも伝わるよう、
発信できてようやくその真価を認められる。
「読解力がある」程度を、
ゆめゆめ自賛しなさんな。
あと語彙力も。
漢字などは別に書けなくとも良い。
書く立場に回った場合に、
思考の流れをそのまま
(辞書を引く手間が比較的少なく)、
書き記しやすくなるだけだ。
その場合にも校正時には逐一辞書を引き続けるのだし、
人は必ず誤字脱字にバグを入れ込む。
それらを完全に無くさなくたっていいじゃないか。
人間だもの。
相田みつをは侮れない。真理だ。
あと私はプログラマー時代に、
「行間を読みなさい」と叱られた事があるが、
行間を読まなければ意図を掴めない文章は、
そもそも悪文か、
意図を掴む必要の無い種類の文章、
というだけの話で、
企業内で情報を正確に伝達すべき文書において、
その能力を部下に要求するのは違うから。
と言うよりプログラム仕様でそれをやっちゃあ……。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。