見出し画像

【小説】『規格外カルテット』9/10の下のa

 本当はここからの12000文字を
 一気に読ませるだけの筆力が欲しい。

(10回中9回目の下のa:約3600文字)


「名前を呼ばれたくない理由を、聞かせてもらえますか」
 言われて気が付いたんだけど、もう、引っ込み切れないや。だって、真っ白の毛皮はもう手放しちゃったし、ちょっとずつ表に出し始めてこのところはずっと、外に出てる。
「呼びませんので。話せるようであれば」
 ハチスカさんに訊かれたら、答えるしか、ないんだろうなって。聞いてくれる人だろうなって思い切れちゃったら、もう、頭の中だけに止めておけないんだろうなって、分かってたからずっと、本当を言うとイヤなとこ見たいなって、こんな奴ちっとも信用できないってとこ見つけ出したいなって。
 それが、追いかけてた本当の理由。申し訳ないから誰にも、言わずに済んで良かったけど。
 話す前から涙ぐみ始めてるから、話すのが、キツくないものから口にした。
「まず字がキライ。特に、一番下の文字」
 こっちは背もたれの無いベンチに座ってうつむいて、ハチスカさんは今見えている右側に、背筋もまっすぐ立ったままだ。
「やたらむずかしいし、自分の名前上手く書けないって何なんだよって、イライラする。人に説明する時も、何て言っていいんだか分からない。『神様』って、自分でも口に出してて何か恥ずかしいし、一番下の文字はギョメイギョジのジって言えば良いよって、言われたことあるけど、ちっとも良くない。それ何? から始まって検索されて、意味でも文字でも見つかったらまず、何だコレって。何だコレって、こっちが言いたい」
 うん、とハチスカさんはただ相づちをくれる。
「あと、ずっと長いことニックネームで呼ばれてきたから、今さら日本語呼ばれたって、自分のことみたいに思えない。誰? って感じで間が空いちゃうから、『ムシかよ』、とか、余計にイラつかせちゃったりして、すごく困る」
 うん、と立ったまま、時々手元でメモみたいなの取りながらだ。
「それでも、その……、呼ばれるのは別に長い間、平気、だったんだけど……」
 膝の上でゆるめに組み合わせていた手が、ふるえ出して、頭の両側の耳の辺りに持って行きそうになる。だけど、それやっちゃうともっと。あの時、やりたかった格好みたいでもっと。
「水を飲みましょう」
 目の前に差し出されたペットボトルつかみ取って、フタ開けてひと口飲んで、飲み込んだってのに取り入れたその時から、目の中にあふれ出してくる。
「急ぐことはありません。まとめようとしなくても」
「すっごく……、すっごく怖かった時に周りでずっと……、聞こえてたから……」
「思い付く順に並べてもらえたら、僕の方で、組み立てますので」
「怖くて……、痛くて苦しくて……、人が、フツウ入らないようなとこに落ちたから……、これどうすんだっておいおいって、笑い声、みたいなものまで聞こえてて……」
 うん、って相づちがそこでは、聞こえなかったから、怖いままで怖いにどっぷりつかって行きそうになる。だけど、何て言うか怖すぎると、涙の方は止まるんだ。
「変な臭い、してたし多分……、もらしてたし……、恥ずかしいけどそんな事より多分、動けないし血も出てるしどっか……、内臓とか、ヤバい骨やっちゃったって……、下手に、そういう話知ってるもんだから余計に……、もうダメだって、ここで死ぬんだって……、助かったってこの先、ずっと、もう一生動けないんだって……、助かってみたら本当は、そこまで最悪でもなかったんだけど、その時は……、思い込んじゃって……」
 うつむいて見えていない右側から、ため息が聞こえた。
「良かったね」
「良く、なんか……」
 組み合わせていた両手に指に、力が入って、少し痛いくらいに感じないとこっちが本当なんだって思えない。
「助けなんか、来ないし……、まだ、気付かれてもないし……、気付いてる人たちは、ずっとうっとうしく突っ立ったままだし! 恥ずかしいし悔しいしだから苦しいんだって助けろよ! すぐそこでニタニタ笑ってないで! って、言いたいけど声、出ないし出せないし……、もうイヤだって消えちゃいたいって……、ってか……、消えちゃえるんだもうここで、死ぬんだからって……」
 怖すぎて痛すぎて悲しすぎて、色んなすぎるが大きすぎて、頭のどっかが笑えてきちゃうみたいな、あの感じに戻っちゃうと今いるこっちの方が、幻みたいで、
「もう、いなくなれるんだから……、初めっからいなかったってことに、出来るんだから出来ちゃうんだから……、もう……、いらないんだから呼ばないで聞かせないで、聞いていたくないって思ってんのに、ずっと……、聞こえ続けて……」
 本当はまだ、あの場所で、目が覚めたらやっぱりあの場所にいて、助けも来てなくてもう良いからお願いだから終わらせてって、くり返しくり返し強く思っている。
「そういうの、全部……、呼ばれた時に思い出す、どころか完全にその時に、戻っちゃう……」
 って口に出せる時にはもう、収まっている。だから、何度話せてもいつまでも、怖いの真ん中に届かない。吐き出せたね、もう楽になれたね、良かったね、にちっとも届いてくれないんだ。一体この涙に震えに、この時間、何だったんだってくらいに、ちっとも。
「ありがとう」
 近くで声がして上げた顔のすぐ先に、ハチスカさんがいた。
「話してくれて」
 ありがとう、とか言われるようなことに思えない。そっちが話せって言ったんじゃないかこっちは話したくなかったのに、なんて、浮かんでくる言い方もウソだって分かっている。話したかったし話すのを止められなかったんだ。どうせまたムダな時間になるって、分かってたくせに。
 真っ黒な目と見合わせるのがキツくて、目をそらすとハチスカさんの方は立ち上がった。目の前にはいつの間にか背もたれ付きのパイプイスが一つ置かれていて、ハチスカさんはまたさっきの、今見えている右手の方に立つ。背筋も伸ばして、まっすぐに。
 そう言えばペットボトルも正面から差し出されて、そのまま座り続けてたって良いのにどうして立ち上がってそこに行くんだろう、って考えたらすぐ、
 そうか。目線が変わって、しかも上がるからだって気が付いた。
 うわ、ってどこか他人の話みたいにおどろいた。前々から気付いてはいたけどこの人、本当に良い人だな。この程度でいいだろ、ってテキトウな感じじゃなくて、本当に細かいところまで気を使ってくれてるんだ。
「イヤな言い方に聞こえていたら、申し訳ないけど、やっぱり君は、かなり運が良かったと思う」
 途中で聞こえた相づちも、この辺で切り上げよう、とかじゃなくて。
「病院に問い合わせて、君の治療記録を見せてもらったけど、入院時の状態は相当にひどいものだ。あとちょっとでも位置がズレていたら、後遺症が残っただろうし、骨も、折れた角度が悪ければ、怖がっていた通りその場で死んでいた」
 何でもないことみたいに淡々と、手元の資料みたいなの見ながら話してくるけど、
「病院に、問い合わせてるんですか……」
 そんなことこっちは初めて知ったから、ムダにだまされた感じがする。
「指導内容によるね。ケガや病気の具合によっては、出来ないメニューや特別に工夫した方が良いメニューもあるから。利用者から話は聞けても、詳しいところまでは覚えていないものだし、専門的な情報は病院しか知らない場合もある」
「だけどその、勝手に個人情報……」
「申込書と同時に個人情報を利用するって同意書にも、サインをもらっているからね」
 こっちは吐きそうになるくらい嫌いな文字を、何回も書かなきゃいけなくてそれどころじゃ、いやそれよりももっと伝わりやすくて言いやすい不満が。
「あんなちっちゃな文字読まないし読んだってイミとか分からないよ!」
「うん。そうだろうね」
 って少しだけ口の端をゆるめてきた。少しだけ、なんだけど笑うようなところ初めて見たから、レア感がすごい。
「僕たちも本当を言うと心苦しい。だから守秘義務は守るよ。例えば僕は、君がどうしてそこまでのひどいケガを負ったかは知らないし、問い合わせ切れない。今みたいな話は君からしか聞けないし、本当を言うとそっちの方が知りたいんだ」
 しゃべり方からも少しだけ、カッチリ感がゆるんできた感じがする。
「運だけ、みたいな言い方をするのも失礼かな。君が助かったのはしっかりした知識に技術があって、きちんと身に着いていたからだと思う。無意識のうちに最悪な状態は避けられる動きを、選んでいたんだ」
 これまでに聞かされてきた言い方と、似ているような、全然ちがって聞こえるような。
「知識にムダも下手も無いよ。身体や頭のどこかには残っていて、必要な時に引き出せる。今引き出そうと考えて引き出せるものでもないから、ムダに感じてしまいやすいだけだ。あと話を聞いていて思ったんだけど」
 手元のメモに目を落として、考えるみたいな間が何秒かあった後、ふり向いてくる。
「もしかして画数の多い文字が全体的に苦手?」
「え」

前ページ | 次ページ |   下
        9 10

何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!