偏光教義まとめ
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
2024年1月25日朝6時頃の思考。
もちろん教祖を名乗る気は無いし、
信者など一切求めないが。
(文字数:約1000文字)
全ての人が、
「天からの使い」に成り得る、つまり、
天使であり、
全ての人の中核には、
一人一人それぞれの神が、
宿っている。
私も貴方も、
何処に住まう誰であっても等しく、
神にも、
天使にも、
悪魔にも、
鬼にも、
畜生にも、
屑にも成り得る次第だ。
それは恐ろしいに決まっている。
己を見定めていなければ、
容易く他の神や鬼に振り回される。
神が目に見えて現れては、
救って下さらないのも道理だ。
人の世がこれまでに、
どれほど多くの神々を蔑ろにし、
その心身を壊させてきたかを、
思い返せば。
私は今のこの世に、
絶望し尽くしたが故の、
希望を抱いている。
人類全体が有史以来、
騙され続けてきたと信じるのだが、
憎しみと愛が共存する事は可能だ。
と言うよりも憎しみは、
愛の一変形に過ぎない。
などと書き記せば、
上の一文だけを切り取って、
「憎んでいるその相手の事を、
貴方は本当は好きなのよ♪」
などとほざいてくるタワケがいるのだが、
私は「愛」というたかだか一単語に、
大した意味は無いと言っている。
呪いがどれほど力強く、
恐ろしいものであるかを知っていれば、
そうしたもの全てを好転させ切れた先には、
期待が持てるだろう。
「愛」と「呪い」、
この二単語の定義を変えるだけで、
聖書に仏典を初めとする、
古代からの文献を全て、
書き手の肉声として読み直す事が出来る。
「愛」を必要以上に讃え過ぎず、
「呪い」を必要以上に畏れ過ぎず、
人の寿命には限りがあるが故に、
各人の必要に応じて残された文章を、
血肉の通った語りとして、
味わう事が可能になる。
何も書籍の形とは限らない。
この途方もない恵みを、
ただ享受しろ。
お前たちは生きている時点で誇るに足り、
蓄積された叡智を、
身に浴びるだけの資格を持つ。
生きている限り人は、
無力でだけは有り得ない。
背には見えない翼があるはずだ。
広げろ。
お前たちの言葉は、
遥か遠くにいる誰かを抱き締め、
包み込むためにある。
そこに関しては謙遜など不要。
己を見限ればその分、
己に繋がる多くの者までを、
見限る事になるのだから。