ミーはおフランスが好き過ぎて
はじめましての人も
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
Pixivに投稿してきた小説以外の文章を、
noteに移して行きます。
(文字数:約1300文字)
自分の好きな歌い方が、
必ずしもその歌にとっての、
最適とは限らないという話。
4月にはもう一曲、
『小雨降る径(みち)』も習った。
かなり有名な曲らしいのですが、
ワタクシ存じませず、
楽譜に併記されていたフランス語の歌詞に、
つい心が踊ってしまった。
私にはちょっと困ったクセというか趣味というか、
密かな楽しみというほどのものがあり、
外国語の歌を聴くと、
まず何を言っているのかが気に掛かり、
調べては原詞の雰囲気に耽溺し、
「ああこの歌詞を余すところなく
日本語の歌詞として落とし込みたいわ」
とか思ってしまう。
現行の日本語歌詞に不満があるわけではない。
断じて、無い。
外国語と日本語とでは、
韻の踏み方も、
一つ一つの音に当てられる語彙の多さも、
美しく感じられる語句の並びもまるで違う。
詩人たるもの、
不完全にしか成り得ない逐語訳にこだわるよりは、
自国語を駆使し、
自国民に響く韻律を見出した上で、
更には自身の独自色も加えたいと願うのは当然である。
そこは重々承知の上で、
なお出来る事であれば、
『アナと雪の女王』的な、
リップシンクしたいわ、
とか、
Aメロ部分とサビだけで、
日本語だといっぱいいっぱいなんだけども
どうにかBメロ部分の要素も盛り込みたいわ、
とか、
軽はずみなトキメキが高じた結果、
自分で書いてしまった訳詞が、
こちらです。
うん。独自色には乏しいけれども
原詞を八割方表せたのではないかと、
個人的には満足しているのであるが、
『小雨降る径』をご存知の方には片腹痛かろう。
この曲は、タンゴだ。
舞曲だ。
歌は必要ないことも無いが、
少しばかり抑え気味にして、
歌詞の情念に必要以上に引きずられず、
タンゴのリズムにキッチリと
当て込みながら歌った方がカッコいい。
(あくまでタンゴとして演奏された場合。
シャンソンとしてアレンジされた場合は、
この限りではない)
先生ももちろん
まずは様々なリズムに慣れてもらおうと選んだ曲であり、
そもそも家に帰ってから、
原詞や背景を調べろなどという指導は一切していない。
でも良いの。
だって楽しいんだもの♪
いや真剣に
「楽しい」以上に強大かつ、
恐れ知らずの武器が在るものだろうかと、
私はこのところ考え続けている。
同じ箱:
T.UTU(宇都宮隆)『合図』
夜中に人を待つ繋がり
2023年11月追記:
我ながらイタイ女に思われそうで恐ろしいが、
今振り返っても本心から、
「自分の訳詞の方が優れている」などとは、
微塵たりとも思っていないから、
正直な話恥ずかしくはない。
そりゃ習い覚えた歌詞の方が、
格好良いし心に残ります流石ですがな。
あくまでもどうにか 原詞情報を入れ込みたいという、
お遊びです。