見出し画像

御詠歌、そもそもの縁

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 一体どこで御詠歌に、
 接する機会があるものか、
 といった話。

(文字数:約1400文字)


  後に配偶者になる、
  付き合い出したばかりの彼氏がさ。

  「来週末は家のお墓の、
   建立式があって会えない」
  って言ってきたんだよ。

  その翌週にはお墓の前での、
  親族記念写真を見せてもらって、

  「もっと山の上にあった、
   一族のお墓を、
   父がまとめてふもとに移したの。
   兄弟の中では僕だけが参列して、

   墓はタケシ(仮名)に任せると、
   言ってもらえました」

  なんて話をされてしまったら、

  それはもう実質的に、
  プロポーズとは言い切れんまでも、

  今後も交際を続けるのであれば、
  墓守役の嫁になる事を、
  覚悟して下さいという話だよね。


  時が流れて入籍して、
  更に時が流れて義父が、
  大きな病で入院しました。

  条件が悪く手術は不可能になり、
  最期は自宅で過ごしたいと、
  入院生活も終わり際の義父から、

  「ゆきこさん、
   タケシ(仮名)をよろしくお願いします」
  と頭を深く下げられまして、
  それが義父から聞けた最後の言葉になりました。


  ところで御両親と子供たちは、
  実はPL教徒。
  仏教の事は誰も何も知りません。

  とは言え義父の一族は、
  高野山真言宗で、
  義父が建てたお墓なのだから、
  そりゃあ残してもらいたかろう。

  そのために兄弟の中でも、
  次男である配偶者を指名して、
  「墓はお前に任せた」と、
  言い残していたわけだよね。

  となるとここにきて、
  嫁の私が奔走せざるを得なくなった。

  葬儀はPL式で行ったものの、
  一周忌は高野山でも行って、
  お墓に納骨しなくてはで、

  位牌を作って和歌山の、
  高野山のふもとに位置する、
  菩提寺(檀家になっているお寺)に赴いて、
  御住職に読経を上げてもらって、

  読経の途中で「追弔和讃」という、
  御詠歌の一種が唱えられたので、
  しばし御詠歌の話になり、
  (というのも配偶者はおじいちゃんっ子で、
   「おじいちゃんがよく聴いてた」
   というエピソードは聞かされていたので)

  御住職から、
  「大阪でも教室開いてますよー。
   来ませんかー」
  と誘われたノリで、

  「いいですねー」と。

  答えてしまった後で調べたら、
  実は文化センターの講座という形式で、
  三ヶ月で約1万5000円かかったり、
  文化センターの登録料も必要だったり、
  それほど気軽ではなかったのだけども、

  言うたら法事も執り行ってもらってる、
  婚家菩提寺の御住職だし、
  ご縁は繋いどいた方がええねん。

  実はこの御住職、
  高野山組織の中核の、
  とんでもなく上の位にいる事が、
  後に分かるのだが、

  私はこの時点では、
  今現在も感覚的には、
  地域の僧侶としか認識していない。


  余談ですが、
  一般的に「高野山」と言うと、
  山頂の仏教都市部分である、
  高野町のみをイメージされるのですが、

  ふもとの九度山くどやまの人々は、
  「慈尊院から上が高野山」だと、
  思っていて人によっては語ってもいて、

  高野町の認識とも異なります。


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

いいなと思ったら応援しよう!

偏光
何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!