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【小説】『姦淫の罪、その罰と地獄』罰ノ六(1/4.5)

 明治時代の新米密偵、楠原と田添の一年間。

 罰ノ六:学生を装っている楠原と田添には、
     「夏休み」が存在する。
     遠出の後新橋駅に戻った楠原は、
     一時的に「見えなくなる」。

イントロダクション
序説  罰ノ一  罰ノニ  罰ノ三  罰ノ四  罰ノ五
罰ノ六  罰ノ七

(文字数:約3300文字)


罰ノ六 目に余る


 ジャキン、と耳のそばで鳴った響きに、せめてこのくらいの刃の厚みは必要だったと、子供は気付かされた。
「言ってくれたら髪くらい、いつでも整えてやったのに」
 屋敷で働く使用人の内、二番目くらいに年かさのおばさんが、呆れ顔でハサミを振るってくれる。縁側に切り開いた米袋広げて、その真ん中に座らされて、首にも大判の布巻きつけられて首から下をすっぽり覆われた。
「ムシャクシャしてたんだよ。いいだろオレのカミなんか。とっちらかってようが長さとか、てんでバラバラだろうが」
「良かぁないから見かねて切ってやってんじゃないか。分かりやすくスネ吉になってんじゃないよ」
 学校用の道具箱にあった軽いハサミで、手当たり次第に泣きながら切り散らかしたまま小屋を出て、自分も使用人なんだからって、みんなが立ち働いている棟に入って行った。
 誰も笑ってきやしなかった。普段犬呼ばわりしてくる連中も、気まずいみたいに目を逸らしてうつむき出したのが不思議だった。
「義視様、ただお一人だったらねぇ……。多嘉子様も御納得だろうけど……」
 何かと言うとこの家の奥様の名前が出されるけれど、子供は何もその人のせいだとは思っていない。
「さすがに二人目は、そんで、向こうのお方にそっくりっていうんじゃねぇ……。旦那様も弁解の余地が見つからない、ってなもんでさ」
 あの奥さん、ハラわって話したらつうじそうだぜ? みんながあの人のせいにしときたい、ってだけじゃねぇのか?
「そういった、因果も含んでの話だよ。詳しく聞かされたらまぁ、分からない事もないだろ?」
「分からないよ」
 シャキン、と鳴らしておばさんが、手を止めた。
「ふた言目にはみんなメカケだメカケの子どもだって、それがよっぽどの大層みたいに、済ましていやがるけどオレには、母ちゃんなんだぞ」
 母ちゃん、と口にした時点で見える景色は、湧き出した涙でぼやけてくる。
「義視さまは母屋で暮らして良くって、オレはダメって何なんだよ。オレだってダンナさまのガキなんだろうが。てめぇらが言ってくる『みっともない』なんざ知らねぇよ。作りやがったもんはサイゴまで、セキニンとりやがれ」
 ハサミの音がなくなって、静かで、聞いてもらえるんだと思ったら止まらなかった。
「そういうのゼンブ、オレに分かれって方が、ムシがよすぎないか?」
 おばさんはそれには答えてくれなかったけど、わざとみたいに大きな、ため息をついて、
「ほら。うつむいてないで顔上げな」
 って、今泣いている事を、おかしいともやめろとも言わなかった。
「こっちは刃物持ってんだからね。耳とか首筋なんかに当たって、キズ入ったって知らないよ」
 ふわふわと広がる軽い髪が、自分でも頼りなくて、ひと掴みくらい長く残した後ろ髪を、首の付け根辺りで結んでもらった。旦那様に挨拶して正式に屋敷を離れる日までは、そこから意地みたいに残し続ける。
「ほら。整えたら結構見られるじゃないか」
 久しぶりに姿見の前に立たされて、映っていた姿は自分で思っていたより人間ぽくて、もしかしたらちょっとは賢く見えてくれそうな気もした。自分で思っていた分と、比べてだけど。 
もとは良いんだよ。なんたって、ご子息様なんだから」
 上手く説明するのは難しいけれど、うれしかったのは何も、ご子息扱いされたからじゃない。 
「ありがとう」
 振り向きもせず高く上げた右手の先だけをひらひら振り返して、立ち去って行くおばさんの背中を見送ってからは、もう元なんかどうだってよくなった。
 ちょうど身体も成長し出して、それまでの間に見聞きしてこっそり頭に入れてきた話と、連動させられるようにもなっていた。そしたら出来るようになってきた事に、上手くこなせるようになっていく事の、一つ一つが楽しくて、
「義視様が入られるような所ではございません」
 なんて、ご子息様は遠ざけられているような場所に、自分はずかずか入って行けて、飯炊きだの風呂掃除だの任されてる事が、妙に小気味良かったりもした。
 掃除のためって事なら母屋にだって入って行けるし、使用人として、掃除の時動かさなくていい物や湯加減の好みを確かめる流れでだったら、旦那様や奥様と会話も出来た。
「ん」
 程度の声しか出されなくても、仕事ぶりに満足して頷いてくれたりもした。
 だったら初めからそう言っといてくれよ、と呆れもしたけど、同時に言われただけでは分からなかっただろうとも理解した。
「お前は使用人の方が、性に合っていて、上手く行くだろう」
 なんて。現に言葉で聞かされたらしい義視様や、叔母さん一家は、それぞれの都合に合わせて色付けて、誤解しているみたいだ。
「これ。そこの坊や」
 奥様からは時々呼び止められて、飴玉とかもらえたりもした。
「ありがとうございます!」
 しっかり頭を下げたら上げた時に合わせて微笑み返されたりもして、やっぱりこの奥さん、子供好きだよな。そうじゃなきゃ、兄貴がなついて大事に思ってるわけないんだ。
 と同時に子供好きでありながら自身には恵まれず、他の女性に生まれた子供を引き取って良しとされている心持ちが、思いやられもした。
「おい」
「って!」
 束ねた後ろ髪を引っ張られて、振り返ると桝機がいる時もあった。
「何だこのシッポ」
「単に、気分です。引っ張らないで下さい」
 振り払って桝機には背を向けて進みながら、いつまでもうるさく視線が付きまとってくる事には気付いていた。
 
「御免」
 戸を引き開けて入って来た、田添の姿に、居酒屋の空気は緊張した。
「あ……」
 その夜は番台が埋まっていて、楠原は隅の卓に座っていたのだが、
「へいっ!」
 と主人は番台も出て戸口まで駆け寄って行く。
「何の、御用でございやしょう……」
「人捜しだがもういい。見つけている」
 田添の目線に合わせて店中の首も連動するから、楠原は、卓に突っ伏した額をコツンと当てて、
「見つかっちゃったぁ……」
 と情けない声を出しておいた。以前から、同郷の友達が官立にいる話ならしてあったので、主人も客陣も一斉に肩をゆるめる。
「なんだ兄ちゃんの友達かい」
官憲ドジョウみてぇなナリしてっから、てっきり……」
 田添は一旦足を留め、声がした方を振り返ると、
「ドジョウは衣服など着ないと思うが」
 と真面目くさった顔と声のまま口にした。プッ、と吹き出した楠原につられて店中が笑いに包まれる。官立に所属する人間自体が珍しい居酒屋で、田添だけが今笑われる理由に心付いていないが。
「面白ぇな兄ちゃん。おごってやるから一杯やりな」
「下戸なので結構。ここにはただ、コイツを引き取りに」
 卓に突っ伏したまま楠原は、未練たらしく口先で猪口を拾って見せる。
「お銚子もう一本欲しいなぁー」
「やめておけ」
 猪口を奪われたから分かりやすく「ちぇー」とすねておいた。
「下宿まで、連れて帰ってやる。今日はもう休め」
「しのいんだよなぁ……。こう……、だりずるってぇかぁ……」
 またワケの分からない外国語しゃべってやがる、と周囲でニヤついていた酔っ払いどもは、
「ふむ」
 と呟いた冷静な調子に、かえって耳をそば立てた。
「右か左で言うならぁ、みがり、って感じ。分かるぅ?」
「ああ。だとしてもどちらかに、決めておいた方がいい」
「決められる、もんなら何も苦労はねぇんだってぇ……」
「一旦は決めてしまえば、後は違和感が強い側から、順に調整していくだけだ。俺には、それほど難しい話でもない」
 それで楠原は口を結び、立ち上がって田添と店を後にしたのだが、
 その会話を聞いていた者達は、違和感があっただけにやたらと頭にこびりついた内容を、それぞれが自身に思い当たる事と引き比べてしばらく、考えていた。


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