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【小説】『姦淫の罪、その罰と地獄』罰ノ四(5/5)

 明治時代の新米密偵、楠原と田添の一年間。

(文字数:約2600文字)


 廻し部屋に入ると一角には、随分と色鮮やかな屏風が立て掛けてあった。フチから覗くと一応は、布団も敷いてある。湿っぽい畳に敷物じゃ御免だと、静葉から願い出たのか訝っていると、ギシギシ鳴る階段をまるで鶯張りみたいに駆け上がって来る、足音が聞こえる。
 戸が開き衣擦れの音を響かせて、屏風の陰から顔を覗かせるなり腕の中に、飛び込んで来た。
「楠原さん……!」
 はずみで飛び込まれた方は布団に倒れるが、女の身も勢いに乗じて乗り掛かって来る。
「お会い、したかった……!」
 このところ休ませがちだった感覚を、呼び戻し働かせて、色味を捕らえてふっと、笑いが漏れた。
「何だ。今日はフラれねぇのか」
「あら。フッて、欲しかった?」
「まさか」
 苦笑しながら抱きすくめた身と共に、寝返って今度は上に乗る。
「じゃあ悪いけど早速だよ。俺このところサカッてんだから」
「お銚子一本くらい入れてくれない?」
 スッとシラケた顔に切り替えてきたから、むしろ小気味が良い。
「書生から絞る気かぁ? そんなもんは、あんたの馴染みの旦那衆にやってもらえって」
「だってこの部屋じゃあ、ねぇ」
 目線が真横の屏風に倒れ、伝って天井へと上って行く。つられて目を上げた先でもちろんだが、屏風は天井まで届かず途切れ、その上にぽっかり空いた暗がりからは、他所のお盛んな声が届いてくる。
「筒抜けよ。貴方も、聞かれちゃうわよ」
 ニヤリとした笑みに、吹き出した。確かに前回の所業は聞かれたくない。
「そのくらい、岡場所じゃありうちの事じゃねぇか」
 しかし構いつけないそぶりで、腹側に蝶々結びしてある帯を引く。
「分かってて来てんだよこっちは」
「あら」
 自分の側の帯も解き、緩んだ襟合わせを手でさばく。
「意外と、遊び慣れてるのね……」
「意外だろ」
 現れ出た胸身を、肌に温もりを重ね合わせて、間近に寄せた顔に言っておく。
「さぁ心得たら威勢良く鳴いてくれよぉ。ヘタクソだって思われたんじゃ、かなわねぇからな」
 額を上乗せし切れなかったので静葉はあからさまに顔をしかめてきたが、
「嫌な方」
「嫌な店だよ」
 返してやると思わずみたいに「ふふふ」と笑った。

 一方表玄関に面した番台には、二、三人の若い衆が不興げな面持ちで集まっていた。中の一人が番台に座る、記帳中の女将に声を掛ける。
「女将さん、いいんですかい」
「ん?」
「あの野郎またちょんの間なんぞに呼び付けやがって……」
「ああ。いいんだよあれは静葉の、イロだからね」
 情夫イロという言葉が立ち上がると、皆「へえ」と一旦は肩の力を抜く。
「それはそれで、構わないんですか」
「適度なイロは御愛敬さ。花魁にだって張り合いが出る」
 定義上静葉は「花魁」ではないのだが、客が皆呼びたがるものだから、店の者もそれで通してしまっている。
「溺れちまったら毒だけどね……」
 階上が透けて見えないものか、といった様子で若い衆は、代わる代わる天井に目をやり首をのけぞらせている。
「あんなうだつの上がらなさそうな野郎がねぇ……」
「タデ食う虫も好き好きってヤツさ。花魁に、何が気に入るものか分かりゃしない」
 ふふ、と記帳台から顔を上げ、眼鏡越しに若い連中を振り返った。
「『早撃ちで、可愛らしいから楽だ』って、静葉の方じゃあ話していたけどね」
 案の定、座はどっと湧き上がる。
「そりゃあ俺達に静葉さんのイロは無理だな」
「勤まらねぇ勤まらねぇ。良い仕事しちまうよ」
「あんた達には土台から無理なんだよ。馬鹿だね」

 願い出はしたがさすがは威勢良く、艶のある声で鳴いてくれる。余程な道具の持ち主みたいで有難いが、実寸で受け取る感覚との差に、笑い出しそうになる。
 良い接待だ、と言ってやりたいところだが、事はそう単純じゃない。
 布団の厚みで、屏風の設えで、客達は皆花魁が、この部屋にいる事に気付いている。花魁の見事な盛り上がり聞かされて、焚き付けられない男は男じゃねぇ。競って目の前の女鳴かしに掛かる。結果そこそこ満足して帰ってくれりゃ、店としても都合が良い。
 有り得ないほどの特例を、大っぴらに展示しておいて、最下層の、廻し部屋にまで張り合いを、生み出してやろうって寸法で。
 静葉は広告塔。鳴き声は呼び水。下品な舞台の中央で、一世一代の名演技だ。そんで俺は黒子。何だ。普段の仕事と大して変わりねぇな。
 せいぜい間抜けな声上げて、大女優の熱演を、邪魔しないようにしてやんねぇと。
「ん。んんっ……」
 出そうになる声を、首筋近くにほどけていた、布地を噛んで押し殺す。
「楽しんどいて随分と、泣き出すみたいな顔するよねぇ」
 って姉さんの声色が、やたらとくっきり甦ってくる。
「坊やだけじゃなく男は、ほとんどがさ。何がそんなに悲しいんだか」
 今耳のそばで聞かされているみたいに、うるせえ。噛んでいた布を、口からは放して、首を持ち上げた先で女と目が合った。多少息が乱れて頬も、赤らんでいるが、
「やだ……。本当に逝っちゃったわ……」
 とか呟いてくる声の内に、
(なんて、嘘ですけど)
 が浮かんでくる。
(ええ。分かってます)
 そう思いながら浮かべた笑みは、我ながら文句無しに造り上げ塵一つ無いまでに磨き抜いた、陳列品みたいな感じがした。
「あ」
 と戸惑った声を出す唇に、顔を寄せて、分かってはいるがそんなしょうもない嘘を言ってきやがる口は、塞いでやる。
「んっ……」
 罰として。そちら側で予想して身構えていたよりもずっと長く。
 いい加減に、もう、やめて頂戴と、叱るみたいに強く胸を押されたので身を離した。目を合わせず静葉は身の下から抜け出して、向けた背に掛かっている着物を整え襟を直しながら手の甲で、さりげなさもなく口を拭う。
 こちらも身を拭い両肩から引いた襟を合わせて、締めるべき紐を全て締め直した上で、笑みを作った。
「ちょっとだけ、触らせて」
 振り向かせて笑いかけてみると気を緩めて、「ええどうぞ」と座った切りただ抱き取られてくれる。
 こんなもんで良いんだ。本当は。
 こんなもんで済ませ切れたらどんなに良いかって、本当は、こっちだって心底そう思ってんだ。


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