誰か源兵衛のために泣いてくれ
はじめましての人も、
前から知ってる方も、
ごきげんよう。
偏光です。
今年の秋ピリカグランプリに、
応募しているのですが、
審査員の皆様あるいは、
読者賞に投票したい方にとって、
この記事は余計な情報に、
なってしまうかもしれません。
読まれなくても大丈夫です。
読まれた方はあくまでも、
この記事は
だと思って下さい。
(文字数:約1500文字)
まずは応募作品↓
ジャンルは不問、
とは言え何のジャンルにしようか、
と考えた時に、
「なんのはなしですか」タグを、
つけたい衝動に物凄く駆られたものの、
実際一度入力し選びかけたけれども、
どうにか思いとどまったんだ。
恋愛もの、
と銘打とうにも、
この恋愛は始まってすらいない。
もしかすると勘違い男が、
勝手な妄想を膨らませたようにも、
読まれかねないが、
表面上はそう読まれても構わないんだが、
源兵衛にしてみたらこの恋は、
敢えて始めずにいたんだよな、
と思ったら、
せめてタイトルでその旨を示しておこう。
誰か源兵衛のために泣いてくれ、
と思いながら投稿ボタンをクリックしたんだ。
まぁ小説(フィクション)なので、
源兵衛は実在しないんだが。
とは言え私はここ2、3年、
高野山に通い続け、
舞台にした神谷も訪れて、
かつて餅屋があった事も、
餅が他所から入って来て以来、
高野山ではヒット商品だった事も、
神谷と書いて、
「こうや」と読ませる文献の存在に、
「(地名の由来は)紙谷」とする記述も、
この目で確認してきたんだ。
現地の人に話を聞いても、
「いやぁそんなわけない。
紙を作ってきたのはふもとですよ。
有名だし資料館もありますよ」
と軽く流されてしまったが。
そしたら頭の中に、
なぜか石臼に向かって
(一般的には木臼だよな?)、
杵を振るう男性の姿が浮かんできて、
おばあちゃんが彼に向かって、
「源兵衛」と呼ぶじゃないか。
ならばコイツは源兵衛に違いない。
と書き始めて、
コイツの一日に密着取材した感覚で、
書き進めている以上、
フィクションで実在しないとは言え、
自ら作り上げただけの存在とは、
どうにも思い切れないんだよ。
最終的にはおいおいって、
自分で書いててマジかーって、
相当悲しくもなってんだよ。
まぁ先日購入した、
田辺青蛙さんの『紀州怪談』に出てくる、
「紙漉きの姉妹」のエピソードを、
取り入れてしまった以上、
こうした結末に至るしかないんだが。
その中ではまだ牧歌的な方だと思うが。
新宮市の話だから、
同じ和歌山県とは言っても、
高野山とは相当離れているし、
紙だけが人手に渡って、
エピソードは伝わってない事は、
まぁ有り得るなと思って。
出来事だけを見ればこれは、
「何も起きなかった話」であり、
「何にもならなかった話」だ。
源兵衛の名は歴史に残らず、
福屋も今現在の神谷には無い。
しかしながら、
一見無駄にも思える細部こそが、
表舞台に彩りや味わいを、
添えているものだ。
大した話なんかあるわけがない、
と思われてきたような場所から、
誰も気に留めなかったような物語を、
わざわざ拾い上げる事が、
私は心底大好きなんだなと思い出した。
以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。