「分からない」こそより面白く
毎度おなじみワケの分からない話を展開するようで
申し訳ない偏光(岡埜由木古)ですが、
今回は、
私には方向感覚が無いという話。
幼少期に親が転勤族で、
二年ごとに家も学校も町の風景も変わっていたせいか、
知識はあっても身体感覚と結び付きません。
より詳しく説明しますと、
「太陽が東から上り、南を通って、西に沈む」
事はもちろん知っている。
「昼頃の太陽は大体南にある」
事や、
「西に傾いて来たのでそろそろ夕方である」
事も分かる。
今現在私がいる位置との関連性が分からず、
今現在私が進んでいる方角に確信が持てない。
道は必ずしも直線では無いし、
影が出てくれればさすがに分かるが、
影が出ない状況もあれば、
太陽すら見えない日だってある。
屋内で方角を聞かれた場合が最も混乱する。
太陽は西に向いた窓からも、
南に向いた窓からも見えるじゃないか。
バカかと苦笑する者もいる一方で、
そうだよねと頷く者もいるだろう。
ここまでの話をどう思われたか分からないが、
私は方向感覚が無くて困っている話をしたいわけでも、
克服したいと悩んでいて助言を求めているわけでもない。
ただ「分からない」感覚と分からなさ具合を、
どうにか言葉で説明する試みに面白みを感じている。
方向感覚が無いからこそ、
事前に地図を見て通りの名前やランドマークをメモし、
時間には余裕を持って行くので、
大きな遅刻をした事は数えるほどしかない。
(皆無ではないが不可抗力の範囲内だ。)
そして自動二輪に乗り始めてようやく、
徐々に「これが方向感覚か!」と掴めてくる喜びは、
幼い頃から普通に備わり鍛えられてきた者には
分からないだろうし、
私には普通に備わり鍛えられてきた事も、
人によってはさっぱり分からないに違いないと、
察せられてもくる。
それに対し「なぜ分からないの」と嘲笑し、
突き放すのは野暮というものだろう。
なるべくやりたくはない。
分からない事すら分からない状況だろうから、
「決してやらない」とは言い切れないが。
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