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身の毛がよだった事はあるか
私はあるから訊くのだけれども。
昨日の記事↑に、
流れで『島原の子守唄』を書き込んでしまったので、
この勢いで書き切ってしまいたい事がある。
あの歌詞をニュアンスまで訳すると、
基本的に自嘲気味な溜め息混じりになる。
私は島原の
何も無い家に育ちました
何が無いかって?
色気無しですよ。そうですか。
太字部分↑は私の感覚では、
「仕方なし」や「品も無し」といった、
娘ごとに地域ごとに異なる歌詞が入っていたように思う。
その後歌詞は、
はよ寝ろ泣かんで オロロンばい
鬼ん久助どんが連れに来られるばい
に続くのだが、
「きかない子」はやがて「いらない子」とされ、
久助殿に連れて行かれるという、
脅し程度ではない実質的な恐怖を、
子供たちは感じさせられていた。
「怖い」し「暗い」し「気持ち悪い」という感想には、
むしろ同意する。
まさにその通りだ。
我が国の歴史など、
ひと皮むけばこれが実態だが、
諸外国とて種類は違えど似たようなものだろう。
現実とは常に残酷なもので、
嘆く意味すら見出だせない。
「鬼の久助」は実在した。
当人でなくとも、
彼につながる一味や手下の誰かしらには、
誰もが心当たりがあり密かに話を回す事が出来た。
というより私の先祖もその末端だ。
証拠などは無い。
残すはずが無いが、
村で唯一謎の現金収入を得る曾祖父には、
村中が表向き頭を下げ笑顔を向けていた。
実りの乏しい痩せた土地しか得られなかった一族の中でも、
愚鈍とされたため最も村外れの沼のそばに住まわされ、
醜いお前には嫁の来ても無かろうと、
奉公先で子を作った娘を押し付けられた男の、
その連れ子に対してだ。
そこにあった感情は決して、
成功者への追従だけではない。
そうとも我が家は、
売っていた家系だ。
とても世間様に顔向けが出来る立場にはいないが、
あえて問いたい。
買っていたのは誰だ。
我が子を集落にいらない者と見て、
せめて売り払って金に代えていたのは、
全てが全てやむにやまれぬ事情だったか。
我が家に思うさま石を投げられる家系も、
それほど多くはないだろうと、
私は踏んでいるのだが違うか。
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