見出し画像

理想の読書

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 2025年第一作目の、

(文字数:約1000文字)


  村一番の本好き、
  村の生き字引、

  として長くその地域の、
  記憶に残り続けた男性がいる。

  私の母の叔父にあたる人物だが、
  それではそこまで名を馳せた彼の、
  生涯の所蔵冊数はどれほどだったかと言えば、

  男性の腰の高さくらいの本棚、
  せいぜい3段ほどの空間に、
  びっしり詰め込んだ程度であったという。

  さもありなん。
  その地域に本屋などは、
  江戸の頃から存在しない。

  「棚一つを本のみで埋めよう」
  という発想自体が、
  その地域においては超人的だったわけだ。

  本屋などは存在しないのだから、
  「好みの本を買う」という習慣も無い。

  友人知人たちが要らないと捨てた本や、
  亡くなった方の遺品、
  解体された納屋などから出て来たようなものに、
  家具の下敷きに使われていたようなものを、
  譲り受けてはその棚に並べ納め、

  自分の好みに合うか否かも考えず、
  そもそも好みで選べるとも意識せず、
  中には専門書も外国語もあって、
  意味などもさっぱり分からないながらも、

  ただ開いては繰り返し、
  目を通し続けていくうちに、
  徐々に読み解けるようになっていく、
  その過程を楽しんでいたという事だ。

  戦後の本好きである私の父は、
  「何じゃその程度の冊数か」とか、
  「そがん誰も知らん古か本ば読み解けても、
   使えもせんし何にもならん」などと、
  鼻で笑ってくれるのだが、

  私には理想的な読書に感じるのだ。
  何より読書という行為に対して真っ正直だ。

  ここでちょっと考えてみてもらいたいんだが、
  一読してすんなり腑に落ちるような文章に、
  わざわざ目を通す必要などあるのか?

  それは既に体得していた知識に感覚を、
  なぞっているに過ぎないのではないか?
  噛み砕きにくく飲み込みづらい文章ほど、
  時間を掛けて向き合うに値しないか?

  それはともかく、

  昨年2024年の1月から連載していた小説を、
  作品中の季節感の都合により、
  11月と12月はお休みして、
  2025年の今週月曜から再開しました。

  毎月第二月曜、第四月曜の週の、
  平日(月〜木または金)に公開して、
  3月までかかる予定ですのでよろしく。

有り体に言えば宣伝だが、
そこをはっきり言うのは無粋だよな


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。
  

いいなと思ったら応援しよう!

偏光
何かしら心に残りましたらお願いします。頂いたサポートは切実に、私と配偶者の生活費の足しになります!