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南方熊楠の記念館はどこだ駐車場はマジか

 はじめましての人も、
 前から知ってる方も、
 ごきげんよう。

 偏光です。

 ちょっくら注意書きくらい、
 明記しといてもらわんと困るぜ。

(文字数:約1700文字)



「変わってんな」は誉め言葉だ

  私も配偶者も、
  それぞれに幼少期から大好きな、

  配偶者には郷土の偉人。

  私には少年ジャンプの『てんぎゃん』と、
  水木しげるさんの『猫楠』で惚れ込んだ人。

  大阪は河内かわち地域の人間にとって、
  「変わってんな」は真実に誉め言葉だ。

  みんなと同じとかつまんないでしょう
  (・ω・)\(;∀;)/
      水が合ったー!
      もうここに骨を埋める

  なので南方みなかた熊楠くまぐす記念館に向かうんだが。


記念館どこだよ

  白浜にあるとは聞いてきたんだが、
  白良浜しららはま海岸に近い事も、
  事前に調べて向かっているんだが、

  バシッとはっきり目につく、
  記念館までの看板が、
  車での道中には無くて困る。
  (普通記念館だけをピンポイントに、
   白浜を訪ねはしないからだろう。)

  白良浜海岸を越えて更に、
  京都大学の水族館を過ぎて更に、
  半島の端っこ、
  番所山公園内に位置するので、

  公園のゲートをくぐって、
  駐車場までの道が、

  「おい! ウソだろう!」
  って配偶者が叫んだくらいに、
  狭くてカーブもする薄暗い急坂!

  いや。信号機ついてるから、
  ほぼほぼ大丈夫なんだけどね。
  歩行者でも入り込んでいたらと思うと、
  心臓バックバクよ。

  ムッチャクチャ冷や汗かいたけど、
  とりあえず到着。


そもそも熊楠どこの人

  親が和歌山市内で酒屋さん。

  アメリカ留学して、
  イギリス留学して、
  帰国後は那智の森に入って研究して、

  ああ。そう言えば
  (・ω・)(・∀・)
      あったよね宿

  壮年期以降は和歌山県田辺市に移り住んだ。

  生物学者、と言うよりは博物学者、
  と言うよりは、
  熊楠が日本に持ち込んだ概念、
  という説もある、
  環境学者だったかもしれない。

  とは言え昨今のエコロジストとは、
  ちょっと違って森羅万象、
  あるとあらゆる事象を研究していた様子。

  白浜に記念館があるのは、
  田辺氏が隣の市域だからかもしれないけど、
  どちらかと言うと、

  この記念館から、
  熊楠が昭和天皇に謁見した地である、
  神島かしまが望めるからだろう。


そもそも熊楠どんな人

  まぁ親戚にいたら困る人だな。
  (・ω・)(・∀・)

  異様な記憶力の持ち主である一方、
  周囲からは奇行にしか思われない、
  言動も目立つが何と言っても、

  昭和天皇に御進講、
  すなわち天皇陛下を相手に講義をした。
  これがインパクト。

  言ってしまえば陛下も熊楠も、
  基本は生物学者で相当に、
  その道を極めてもいて、
  相性も良かったんだろう。

  在野で研究を続け、
  国内で威張れるような肩書きも、
  財産も地位も無かった。
  周りからも結構変人扱いだった。

  それなのに昭和天皇からは、
  (明治・大正期の昭和天皇の、
   在り方の良し悪しは置いといて)、

  当時の国家権力のトップからだけは、
  名指しで講義を要望されるほど、
  気に入られていた。

  そんな奴他にいない。
  我々夫婦はそこが大好物。
  (・ω・)(・∀・)


南方マンダラ

  今回行ってみて初めて知ったんだが、
  高野山の僧侶、
  土宜どき法龍ほうりゅう氏とも親交があって、

  「南方みなかたマンダラ」なるものを、
  構想していたらしい。

  何も知らんかったらほぼ確実に、
  「なんぽうマンダラ」って読んで、
  インドネシアとかの仏教国にあるかもしれない、
  マンダラの事かと思うよな。

  正直1、2時間程度、
  館内の資料を見た程度では、
  さっぱり様相が掴めなかったので、
  解説および土宜氏との書簡集を購入。

  現在読み進め中。
  読み終えてある程度噛み砕けそうなら、
  記事にします。

※2024年11月7日やってみた


以上です。
ここまでを読んで下さり有難うございます。

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