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「調べて考えて,まとめる.文脈をWebに放出する.そしてそれが漂う.」落合陽一。私は「歴史・文化・神話」の話がしたい。
落合さんの最初の一文。
「調べて考えて,まとめる.文脈をWebに放出する.そしてそれが漂う.」
私も、私なりにこのnoteでそれをやっていることになるのか。
でもAIの時代、ネット上はAIの生成物があふれ、「出自不明の文脈」が漂う。
Xでは「私たちは、自分が見たい物語(世界)を見て生きることになる」とつぶやいているポストを見かける。
だからこそ、これからの世界に必要なもの。
私は、「歴史・文化」というものが、この世界で「人間」という生命が、「命をまっとうする」という本来の生き方をするためには本当に大切なものなのではないかと思っていました。
若いころから、そういう考えを大切にしている本を読むことも多かったと思います。
でも私たちが受けてきた教育は、そういうものを伝えていない。そういう話をする環境もなければ、歴史や文化も忘れ去られようとしている。
本当にそんなことでこれからの若い人たちがこの世界を生きていけるの?
「神話的ナラティブ」と言っても、そもそも自分たちの大切な「神話」を知らない。
それでも子供の頃は、絵本などで今よりは親しんでいた記憶もあるけど。
私はもっとこの地の歴史・文化・神話を知りたいと思うようになりました。
今からでも遅くはないか。
落合陽一の発言は、以下のように解釈できる。AGI時代のパラダイムシフト
「AGIの時代」とは、汎用人工知能が人間の知的活動や社会構造に大きな影響を及ぼす時代を指す。こうした技術的転換期において、従来の価値体系や知識の構築方法に疑問が呈される。
歴史と資本の関係
ここで述べられる「歴史」は、実際に起こった出来事や記録された事実の積み重ねであり、時間の経過や社会的実践の結果として成立するものである。これに対し「資本で手に入らない」という表現は、歴史が単に金銭的・経済的力で操作・獲得できる対象ではなく、外部からの強制的な介入によって再構成されるものではないという立場を示している。
神話的ナラティブの役割
一方で「神話的ナラティブ」とは、象徴やアーキタイプに基づく物語・伝承であり、集団の価値観や存在理由、文化的アイデンティティの形成に寄与する。神話は、実際の歴史的事実とは異なり、構築可能な意味体系として働く。すなわち、歴史が外部からの資本によって容易に変えられない固定的な実績であるのに対し、神話は再解釈や再構成が可能な「意味のオブジェクト」として、個人や社会の方向性を形成する力を持つ。
AGI時代における神話の重要性
AGIの台頭によって、技術や経済の論理が支配的となる中で、人間が共有する価値やアイデンティティをどのように維持・再生産するかが問題となる。歴史的事実は既に積み重ねられており、資本の操作では変えにくいが、神話は文化的・精神的な指針として再構築することが可能である。そのため、技術革新が急速に進む環境下では、神話的ナラティブに基づく「意味づけ」や「物語性」が、人間存在の根幹を支える役割を果たすと考えられる。
以上の点から、落合の発言は、AGIがもたらす社会変革の中で、歴史という固定された事実に頼るのではなく、神話的ナラティブという再構築可能な意味体系により、文化やアイデンティティの連続性・変容を促進する重要性を説いていると理解できる。
今とても懐かしく嬉しい気持ち。
それは落合さんの「Deep Research テスト5」で私のnote記事が拾われたのだけど、そのnoteのヘッダー画像の絵。
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幼馴染との懐かしい記憶の中にある花が「月見草」。
大好きな月と月見草。
この花はその月見草に見える。
美しい。
これは小原古邨?
このnoteを書いていたから出会うことができた。
本当にうれしい。
うばたまの月眺めしは計算機 自ずと然り時まみえつつ
落合陽一
計算の織りなす自然 頂きて 心に映す 月の優しさ
波紡子