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昔のようながんじがらめの規範ではなくて・・・。今のコミュニティで必要な規範を作るとは?「コミュニティーナース」という取り組み。

「コミュニティナース」、初めて聞く言葉です。
私は母の看護を自宅で訪問看護師さんの力を得て、母を看取ったのですが・・・。
でも、今回のPodcastのテーマ、「コミュニティーナース」は、看護師さんではありません。

 『おせっかいで健康になる!?出雲発のコミュニティナースは新しい相互扶助を促進できるか|伊藤穰一 x 深井龍之介 x 矢田明子(株式会社CNC) 』


「相手が言うことをそのまま受け取らない。
本当のことなど言わないし、また『自分の気持ち』、『やりたいこと』を言語化できてるわけではないから。」
と矢田明子さん。

看護師さんとかは、こういうスキル高いですよね。日々の現場で訓練されるだろうし。

矢田さんがここで仰っているのは、相手のいる環境なども深く観察して、その人が表現できない「本音」のようなものを「汲み取ってあげよう」という、深いコミュニケーションでしょうか。

この「相手が言うことをそのまま受け取らない」ということにはもう一つ、「相手の言葉を真に受けずに上手く受け流す」という対応の仕方というものもあるなと思いながら聴きました。

ただ、私もそうですが、どうしても言われたことをその瞬間、その言葉の勝手な自分の解釈で脊髄反射(笑)してる時がある。
(とくに主人との会話😅)
これってよくないなぁと。

ちょうど今読んでいた養老孟司さんの本。今の私たちの「脳化社会」をわかりやすく説明してくれています。

なぜ、相手のことを理解しなければいけないのか。理解できなくても、衝突しなければいいだけです。相手の言うことを一から十まで理解しなくたって、ぶつかることは避けられます。ポイントは、相手が出しているサインのようなものを察知することです。

『ものがわかるということ』
(養老孟司 著)より

養老さんも若いころは奥さんと「なんで俺の言ってることがわからないんだ」みたいなことで大喧嘩したことがあると。
私もnoteで「みんな違うんだし、そのまま受け止めよう」なんてことを書いてみたり、そういうことを納得もするのだけど、やはり主人とか本当に近しい人との間では、どうしても「相手を知りたい、こっちのことを知って欲しい」という感情が脊髄反射的に働いていることにいつも心の中で苦笑いしてしまう。


先週に引き続いてのPodcastです。

百聞は一見にしかずという諺の通り、現場でCNCが稼働しているありのままの姿を見ることが、コミュニティーナースの実態を理解する最善の方法だったように思います。ポッドキャストを聞けば、何が起こっているのか、それがどれほど現実の生活や社会的な交流にうまく溶け込んでいるのかが分かると思います。

多くの「医療」介入には医師と患者の「力関係」があり、また病院の「臨床」的な雰囲気から、人々を自然な状態で観察したり、微妙なサポートや介入を行うことが非常に難しいと感じています。

CNCのアプローチは、予防医療と統合医療の未来への鍵となる要素を一部持っていると思います。そして、私たちが支援し、導入すべきものであるように思います。

しかし、私たちが議論しているように、このような人間同士のやりとりは教えたり説明したりするのが難しいものです。だからこそ、CNCプロジェクトが重要になるのです。
Joi

Joi Ito's Podcastより

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