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一人一人に積み上げられた「脳内イメージ」は未来のweb3で表現できる?(梅原猛氏の著作を読んで)

いきなりですが、2016年に、私がこの本を読んで、書いた感想が出てきたので、今回投稿します。

私(やすいゆたか)は残念ながら死後あの世に行けて、また戻ってこられるというような信仰を持つことはできない。死んでお終いというのは恐ろしいことだとは思うけれど、だからといって魂が身体から抜け出してあの世に行けるというのは、説得力はないと思う。ただ遺伝子の働きで、何世代か後に自分そっくりさんが地上で活躍することはあるかもしれない。しかし、遺伝子が同じだからといって、私という人格の再生とは意識できないだろう。

「評伝 梅原猛 哀しみのパトス」やすいゆたか著

この文章を読んで思ったのは、「信仰」ってどういうものなのかということ。「信仰」の定義はあるのだろうか。私も、やすい氏のように、科学的に考えれば、こんなことを信じるというのは難しい。でも、古代からその地に根差した心を救う『物語』(その時代の人々は本当に信じていたかもしれない)を心に描くとき、そのイメージが心を癒してくれると人々が感じるならば、それは「信仰」なのだろうか。
日本に住む私にとって、一神教はイメージしにくい。やはり、あらゆるものに感謝する信仰が納得できる。また輪廻という考えも、同じ人格が輪廻するのはイメージできないが、科学的に考えても、自分を構成している物質が、いつか別の人格を構成する物になることは、事実なので、自分が宇宙の一部として輪廻している感覚は私を癒してくれる。
そもそも一神教自体が非科学的なのだが、それでもその物語が信仰の対象である。信仰の物語が科学的である必要はないことになる。

2016年の私の感想

今、読んでみて、ちょっとビックリ。「こんな文章書いてたのか」と。
この文章は、多分、宮部みゆきさんの小説や、福岡伸一さん、また、科学雑誌Newtonなどからのイメージに触発されて、書いたような気がする。

突然入ってしまった、このオンラインコミュニティは、私が積み上げてきたイメージを掘り起こし、新しいwebの世界をイメージさせてもらうことで、毎日、頭の中が休まらない。次々と自分の思いが「文章」となって浮かぶのを、ただひたすら、キーボードで打ち込んでいる。

進化した、未来のwebの世界は、一人ひとりの、このような脳内イメージを再現してしまうのだろうか?

もし、「#梅原猛」でこのnoteに来て下さった方がいたら、「梅原猛氏の話じゃない!」と怒らないでください。

既成の権威による解釈を無批判に、自分で検証し直すこともせずに継承していれば、何も自分の問題意識と切り結ぶような、生きた学問は出てこない。
斉藤茂吉も賀茂真淵も自分の柿本人麻呂像を形成したときには、自分なりの生きた問題意識で理論を一貫させて到達したのである。しかし我々が柿本人麻呂の実像を追及する際には、茂吉や真淵築いた人物像から出発してはならないのだ。もう一度彼らが人麻呂像を築いた前提に戻って、彼らの仕方でよかったかどうかやり直さなければならない筈である。
ところが権威におもねる非主体的な研究者たちは、往々にしてそができない。

梅原猛

そう言って、独自の視点で、自分の目で確かめて、積み上げたられた、氏の著作が大好きな私。
今、伊藤穰一氏が始めたPodcast「変革への道」には、「権威におもねることが少なくなるような社会」を創るために(と、私は勝手に感じています)、「新しい技術を使ったコミュニティ実験」を始めています。梅原猛氏を好きな人なら、絶対に解るはず!是非聴いてみて欲しいのです。
そして是非「変革コミュニティ」へ!


おすすめPodcastは。

#32 「web3の基礎をおさらいしよう!」キャスターの奥井奈南さんを迎えて番組がパワーアップ!

NewsPicksでも、おなじみの奥井奈南さんが、今週から番組に参加されています!
Joiさんの、ディスクジョッキー時代の楽しいお話が聴ける、なかなかレアな回では?

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