本日は、阪神淡路大震災から30年の日である。
自分はそのときには生まれていなかったので、実際に体感してはいない。
しかし、教科書等で度々写真を見る。
そう、あの、高架の高速道路がバッタリと横に倒れた写真だ。
阪神淡路大震災は、多くの方が建物の倒壊によって亡くなられたという。
こんなことを言っても、世の中には受け止めてくれるひとはいないと思う。
でも言わせてほしい。
「開発するから、後退するんだ。」
高架道路なんて作るから、地震で人々が下敷きになるんだ。
家を建てるから、人々は亡くなってしまうのだ。
確かに我らは、それ無しには生きていけない。
でも、そんな「我々のためのもの」によって人生を終わらしてしまうというのは、
何とも無惨であり哀れなのである。
私たちのためのものが、私たちの仇となるのだ。
これは、今の社会にも言えることなのではないか。
阪神淡路大震災で、人間のためにあったものが仇となって多くの方々が亡くなった。
なら、最近進んでいるAIの開発だって、人々を震災のときと同じ運命にするのではないか?
私たちが私たちの利便のために開発したはずのものによって、
私たちは私たちの人生を終えることにはならないだろうか?
何もない場所へ行こう。
山へ行こう。
山は、人間が開発していない。
山は、開発されていないから壊れることもない。
そう、山は廃れないのだ。
人のいない、人工物が無い、人の為の物がない場所へ行こう。
そういう貴重な場所を、この地球から滅ぼさないために、
我らは断固として南軍と戦わなけれb…
っと、リンカーンになってしまった。
いや、でもこのままでは
かつての黒人が奴隷にされてきた如く、我らも自らの命を投げ出すこととなってしまう。
なのにそんなことにも気が付かず、
只々目前の利益のために働いている日本社会のひとびと。
おわってるよ。
俺はそんな、自らをほろぼすために自らの仕事をやりこなす人にはなりたくないね。
俺には、今の日本社会の体制が、
「自分たちが生きていくためにミサイルを製造する北朝鮮の人々」と
同じように見えてしかたがない。
世の中の人々は、真面目にコツコツと働くことで
幸せに暮らしていけていると思っている。
はて、本当にそうかい?
やめとけって。
山に行こうよ。
山は、廃れない。