「うわさ」

田舎暮らしをしていると、うわさ話が時に有効に、時にデタラメに、時に迷惑な情報源になる。
都心に暮らす人でも、テレビであったり、SNSであったりが与える情報のほとんどは、人類の発展に寄与するような建設的な情報ではなくて、興味や好奇心を満たすために、自分を含めた誰かの噂に画像や動画ついたもののように思う。
この前に行った沖縄でも、全国ネットのテレビでは連日吉本興業の例の話題が報道されていた。ほとんどの人にとってどうでもいいことを、こんなにも多くの人間が共有しているということに漠然と驚きを感じた。
噂というとなんだか、卑近なものばかりを対象にしているようだけれど、意外と難しい顔をしたおじさん達が読んでいる経済新聞だって、噂のようなもののように思う。
ほとんどの人にとって、経済の動向なんて、時にはあげみざわだったり、時にはさげみざわだったりと、まるで占いのようにちんぷんかんぷんだと思う。
政治問題だって、顔の知らない誰かが、行ったこともないよく知りもしない国の人について、ああだのこうだのと十把一絡げで語っている。
昔から、不思議だった朝のニュース番組の間にある意味不明な占いというは、私たちにとってのニュースというものの本質を表しているようにも思う。
確かなような、荒唐無稽のような、時間とともにニュースへも噂話へも、人々の興味は薄れていき、ようやくわかった真実は時間によって埋没する。
私たちの生きる世間というのは、言い換えれば噂話の中の世界なのかもしれない。