「仕事」
村では、あの人はサラリーマンだというような言い方は、ほとんど聞かない。
仕事の話になると、雇用形態よりも「どこで何をしている人なのか」ということになる。
都心では人の数が桁違いに多く、すれ違う人のほとんどは名前も仕事もわからない。サラリーマンという名称は、なんとなく「背広を着た男性」を指す言葉くらいに使われているように思う。
たまに、村での仕事や活動の手伝いをすると、その仕事の内容やその必要性がわかる。
都心のオフィスビルや工事現場は厳重に囲われ、外の世界と隔絶されている。その為、その中で誰が何をやっているのかが、わからない。これは、配慮というものであるのだろうが、学び理解する機会が損なわれてしまっているようにも思う。
人は空気中の酸素や、それを植物が生み出す仕組みの必要性を自ずから知ることができないなように、あたりまえのことでも学ばなければわからないことは多い。
あたりまえのことを学ぶことの重要な点の一つに「感謝ができるようになる」ということがあるように思う。
そして、感謝というのは施しへの対価としての儀礼ではなく、相手の行為、又は存在に対してのささやかな祝福のように思う。