
子宮がん肉腫の母を持つ娘の記録 -part 8 :10月から2月末まで。
ご無沙汰しておりました・・・
9月はなんとか京都にみんなでいき、食べたいものを食べ、会いたい友人に会えました。すごい金額が飛んでいきましたが、ほんと良い時間でした。まだ自分で歩いていたし。
10月は家族写真を撮りました。ダンナも東京からきてくれて、一族の写真を取れたし、めいの晴れ着姿(18歳なのでだいぶフライング)をみせられました。このころからキイトルーダとレンバチニブ(レンビマ)の併用療法が開始されました。
12月はおかんの誕生日をみんなでスシローで祝いました。妹が素敵な写真立てを送っていました。私は実務的に掃除機・・・
低空飛行なりにある程度の生活ができたのが10月から1月の中旬くらいまで。もちろん途中いろいろありましたが、年末がだいぶ元気でした。私がインフルになってすべてのイベントがぼつったのがなにより申し訳ない気持ちでいっぱいでしたが・・・・ただ、食欲が出ない、便秘に苦しみ、がんによる体重減少もあって、11月は入院してしまいました。ケトンの数値が高すぎて。。。ワールドシリーズは元気よくみていました。
今思うとという後悔ですが、ある程度低空飛行の間に筋力トレーニングとかのリハビリをちゃんとやってもらうべきでした。。筋トレとか水を向けてみても自分のペースでやるからいいという一点張りで。。。やはりがん細胞がたんぱく質を消費してしまうので、筋肉がおちて日常生活のレベルが少しずつ落ちていきました。口は元気だったけど。
年始は、一緒にランチを食べに行きました。年末も公園で一緒に散歩したりとかしていた。
2月23日急に具合が悪くなり救急車で病院へ。その前から少し呂律がまわっていないのもあって、25日が化学療法の日だったのでその時に医師に質問しようという話をしていました。ここからは坂道を転げ落ちる感じです。。
今は自力で歩くのもかなりつらく、低アルブミンのためむくみもすごい。。。おなかが痛いらしいのですが、複合的すぎて原因不明。。
ただ謎なのですが、肝臓と骨以外には転移していないそうです。キイトルーダとレンバチニブのおかげだとおもいます。
在宅医療と看護、介護が個人的にはベストだとおもっているし、おかんも病院つまらんから家に帰りたいといっていますが、肝機能の低下による意識障害と思しきものも現れ始め、正直厳しいです。。そしておとんが、内孫をみれる確率は病院と在宅どっちか?みたいなことをいって、わからない・・・私は医者じゃないしとおもいつつ、個人的には在宅医療の方がいいとおもっています。というか帰られるための準備を速攻でしてもたぶん2週間くらいかかるのと、あとからキャンセル(というかこれは病院から出られないな)すればいいので、意思決定のカードを多くしておくことがおかんのためと信じています。
資料とかでみていてあまり実感なかったけど、ほんと悪くなるときは坂道を転がり落ちるってこういうことねって今実感しています。
来週はおかんの学生時代の友人たちがお見舞いに来てくれます。できることが少なくなってきてしているのはほんとそうなんですが、足のマッサージ、友達に合わせる、家に帰りたいとおもったときに帰ってこれるようにする、できることをできるだけ。本人の告知のタイミングは主治医と相談中。
でも自分自身の息抜きをしながらを心がけようと思います。
子供は親より先にあの世にいくのが何より親を悲しませることだし、順番を守るのは大事だし、親を最大限の敬意をもって見送ることが子供としての最後の仕事だとわかっています。でもつらいですね・・・毎日めそめそ泣いてしまっています。でもやれることをやれるだけ、と念じてベストを尽くそうと思います。そして、どれだけベストを尽くしても絶対後悔はするものだとわかっていますが、それでもいいたい。できることをできるだけ。
おかんに明日がきますように。4月後半に生まれる予定の孫が見れますように。頼みます、神さん。