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子宮がん肉腫の母を持つ娘の記録 - part 3 (おかん、手術する)

おかん、手術する


うちのおかんは糖尿の数値がやや高く、1週間手術より早く入院した。このときはまあのんきなもので元気でありんした。糖尿って血が止まりにくくなるから、まずいっていうのと、後になって調べると糖尿ってがんのリスクファクターだった。糖尿なめたらあかん。

さて手術当日。大きな手術で心配だったので仕事を休みにした。ただ、なんもできる感じしないので、のんびり録画などをみていた。

が、うっかりして手術終了後に間に合わず(あほ)

それで、あわてて病院へ。おかん、なんかうなされていて手術の大きさを感じる。とりあえず何もできないので、おとんと妹とたしか家にそのまま帰った。

翌日。病院へ行く。おかん、普通に意思疎通可能。なんか人間界に戻ってる。よかった・・・どうやら手術台の上で、元気そうだし体力ありそうだからもうちょっと取っとく?的な感じで、おかんのGrade/Stageだと取らないところもまで取る同意書に手術台でサインしたと文句いっていた。こんなとこでいわれたって考える時間ないから、先生がいいとおもうならやってくださいと、半ギレ母。そらそうだ。でもこれが後から幸運となる。ありがとう、先生。

手術後は、毎日病院へ行く。誰か言って話さないと脳の方が衰えたら嫌だとおもい地道に通う。妹も弟もできる限り顔をだしていたが、一番自由がきくのは私なので毎日とにかくいく。母の様子をみて、ものの補充や受け取りをしていた。

おとんが仕事をやめようとしたが、とにかくそれは阻止。あなたは普通に仕事をして、普通に生活をしてくださいと・・・むしろ治療費稼いでくれとはっぱをかける。そして、このおとん、いいおとんなのだが、とにかく生活能力がやや低い。1人でほっとくと高血圧なのにカップラーメン食べるから、結局気になるので実家に帰る私。甘やかしてるかもなとおもいながら、でもこの人が稼いでくれなかったら私は大学に行けなかったしと気持ちを立て直す。

そしておかん退院。手術後1週間で退院。DPCだろうからきっちり退院だったけど、手術後どうなるかとおもったけど、すぐ歩いていたし、これはこれでよいのだろうなとおもった。続く。





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