「イングリッシュマン イン ニューヨーク」

 こないだから、そうだな、一カ月ぐらい前から、ラジオで「イングリッシュマン イン ニューヨーク」がヘビーローテーションに近い感じで流れています。またまた、英語ですいません。

 なんだろう。スティング死んだかな。なんて、昨年末のヴァン・ヘイレンを思い出しましたが、そうでもないようです。

 1987年の曲らしいです。えー、もうちょっと昔じゃないの。83年ぐらいとか、と思ってしまいました。わたしは1985年の春に大学を卒業して、就職しました。それより前かなと思ったんですが、そうか。87年か。わたし25歳です。

 Oh o I'm an alien, I'm a legal alien. I'm an Englishman in New York. のサビ。

 恥ずかしながら、この記事を書くまで、I'm an illegal alien, だと思い込んでいました。口ずさみながら、うまく歌えない。テンポが合わない。legalならうまく歌える。そうだったのかあ。

 合法的なのに、悪いことはしてないのに、同じ英語を話しているのに、というニュアンスだったんだな。

 エイリアン。

 シガニー・ウィーバー主演の映画『エイリアン』が1979年。日本人にとってはエイリアンとは、どろどろして気持ちの悪い地球外生命体のことですよね。リドリー・スコット監督です。

 スティーブン・スピルバーグ監督のポピパポピの『未知との遭遇』は77年。「エイリアン」の用語は使われていたっけ。

 その当時はたいていの国で、わが成田空港でも、ふつうに「エイリアン」が使われていました。意味は「異邦人」。久保田早紀ちゃんですね。ターンターンタン、タラララ、ターンターーンタン。

 どこの国の空港だか忘れましたが、パスポートコントロールでは「シチズン」「エイリアン」「クルー」の三つの窓口がありました。「本国人」「外国人」「乗組員」ぐらいの意味でしょう。もちろん、「エイリアン」がいちばん混んでいました。

 今はたぶん、成田や羽田では「エイリアン」は「フォーリンパスポート」になっているんじゃなかったかな。「外国人はどろどろ」じゃだめですからね。ポリティカル・コレクトネスなんでしょう。


 さて、本題に戻って、なぜ、「イングリッシュマン イン ニューヨーク」がヘビロテなんでしょうか。たぶんそれは、スティングが先月リリースした新作アルバム「デュエッツ」に、『イングリッシュマン/アフリカン イン ニューショーク』というアフリカ・ベナン出身のアーティストとセルフカバーしているからみたいです。でも、ヘビロテは1987年のアルバム(翌年のシングルカット)の音源のような気がしますけどね。てか、スティングが歌うパートしか流れない。”Black Songs Matter”。

 同名の映画もありましたよね(1988年)。わたしも見ました。内容はよく覚えていないけど、極端に言えば、『クロコダイル・ダンディ』を微妙に、繊細にしたようなものだったような気がします。異文化ショック。

 この、似たようなアメリカ人とイギリス人の異文化の微妙さを、日本や日本人に置き換えると、どんな舞台を用意すればいいんでしょうか。そんなことを考えてしましました。

 以前、カナダのバンクーバーで、友人の紹介のさらに紹介でさる日系人を取材しました。そのとき「第二次大戦衆の強制収容所に関する話題には触れないこと」という条件を付けられました。日系人の強制収容、アメリカ同様、カナダでもあったんです。

 取材相手は、日本人の顔をしていましたが、日本語はできませんでした。英語での取材でした。考え方もアメリカナイズされていました。カナダですけど。だから、わたしにとっては彼は「エイリアン」でした。

 わたしは、バンクーバーでは、Japanese in Little Tokyo.だったんでしょうか。ちなみに、バンクーバーではもう、その当時には日本人街は消滅していました。



 



 

 

 



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