「絶対だよ、たぶん」

 「これ絶対うまいやつ!」というNISSINの袋麺を見つけました。味は「背脂醤油」「濃厚味噌」「豚骨醤油」と3種類あって、どれも1パック3個入りでした。う~ん、3種類を1パックにしてくれたらよかったのになどと思いながら、とりあえず「豚骨醤油」を購入、食べてみました。

 メーカーのサイトでは、〈若者の間で "見た目からしておいしそうだ" の意味でよく使われているフレーズをブランド名に冠した〉〈まるで国道沿いのラーメン屋で食べるような "濃くてうまい" 味わいが特長で、"パンチのきいた濃いめのスープ" に加わる背脂、香味野菜油、黒マー油といった風味豊かな "ひとくせ油" が、さらに食欲をかき立てます〉とのことです。広告の世界の用語で「シズル感」というやつですな。

 まあまあうまかったので、文句はありません。ただし、ラーメンの味に関してではなく、以下の疑問がわきました。

 ここで使われた「絶対」というのは、辞書的には「推量」「可能性」を表現するときに、話し手に100%の確信があるときに使われるものです。とすると、いくら話し手(この場合はメーカー)に確信があるとは言え、広告宣伝表現として使っていいのか。証券会社が「この株、絶対に儲かります」と言って営業するのはアウトでしょう。株屋はダメで、ラーメン屋はいいのか。ラーメンの袋をためつすがめつしてみましたが、「あくまで個人の感想です」という注意書きは見つかりませんでした(笑) あ、この言い訳も今ではNGになっていますけどね。


 「権力は腐敗する。絶対権力は絶対腐敗する」という箴言があります。舶来物の翻訳のようで、原文は「Power tends to corrupt and absolute power corrupts absolutely.」(Lord Acton)だそうです。この場合、前者の絶対は「無制約の」というぐらいの意味で、後者は「確率100%」ぐらいの意味となります。実は面白いことに、このアクトン卿、この言葉の後に、「偉人はほとんど常に(almost always)悪人である」と続けています。わたしは、alwaysには確率100%、almostは90%ぐらいの語感を持っていますが、せっかくalwaysを使ったのに、それをalmostで形容してしまうと、100%を否定することにならないんでしょうかねえ。もちろん、アクトン卿が伝えたかったのは確率100%の感覚なんでしょうが…。政治学(社会科学)の世界の話ですから、言いたいことが伝われば、そこいらへんはあいまいでも目くじら立てる人はいません。

 昔、天気予報で、降水確率100%と0%がなかったのを覚えていますか。たしか最高が90%、最低は10%でした。予報の確率として、絶対に降らないとか絶対に降るとかの絶対は科学としてあり得ないので、0や100を避けていたと聞きましたが、世間から「わかりにくい」との声があり、いつからか0%とか100%が使われるようになりました。自然科学が社会科学に負けた瞬間です。違うか(笑)

 で、ラーメンをすすりながら考えてみたんですが、推量や可能性の確率として「絶対」を使うということは、まあ、上で述べた通り、辞書的には「確信」なんでしょうが、それは自分自身の判断能力の表出ですから、自分としてはあまり信頼置けない。よく言えば謙虚なんです。

 そして、多くの日本人が同じ感覚を持っているので、世間的には「絶対」という表現を辞書通り「絶対」とは見なしていないんじゃないかな。今や「絶対」は「たぶん」と同義語なんです。いや、むしろ「絶対」を連発する人の方が信頼が置けないと思っているかもしれません。

 さて、表題の「絶対だよ、たぶん」は、大学以来の友人の啓一君の口癖です。仲間内で「なんだよ、”絶対だよ、たぶん”って。どっちだよ」と、口真似をして面白がっていましたが、これまで述べてきたようなことを考えると、啓一君はアクトン卿並みに謙虚なのかもしれません。絶対だよ、たぶん。いや、絶対違うな、たぶん。








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