「国軍」


 一昨年2月にクーデターで民政からまた軍政に引き戻したミャンマーの軍部は、報道などでは「国軍」と呼ばれます。違和感がありませんか。おそらく、他の国でクーデターが起きたら、その主体は「軍は」とか「軍部は」と表現されるでしょう。なぜ、ミャンマーでだけ「国軍」なのでしょうか。

  グーグルで期間を指定して、クーデター勃発当時の見出しを以下のリンクにしてみました。ほとんどが「ミャンマー国軍」を見出しにしているようです。それは、続報の今も同じです。


 「国軍」とは、一般的には「国家の軍隊」の意味です。ですから、アメリカのように「州軍」や「州兵」がある場合は、その差異を明確にするために「国軍」と表現することもあるでしょう。もっとも、アメリカの場合は「国軍」ではなく「連邦軍」を用いるとは思いますが。
 また、「国家の軍隊ではない」という意味では、犯罪組織の用心棒部隊や、反政府などのゲリラ、テロ組織など「私兵」「民兵」などに対峙するときに「国軍」が使われるでしょう。ただし、反政府軍・ゲリラに対しては「国軍」よりも「政府軍」としたほうが明確です。最近は「民間軍事会社」PMCというのが流行しています。昔の「傭兵」がアップデートしたものです。これも「国軍」の対立概念ですが、「正規軍」を持ってきたほうがわかりやすいかな。

 ミャンマーは130もの少数民族がいるとされていて、また、その武装組織も大小20ほどあります。ミャンマー軍の主敵は、この少数民族の武装組織ですから、この場合、たとえば「カレン民族解放軍Vs国軍」と使う分には、上述文脈に沿った使い方と言えるでしょう。
 

 ところが、クーデター報道は、以上のような文脈で「国軍」が使われているわけではありません。冒頭に述べたように、「軍部」とした方が適当ではないですか。シビリアン(文民)に対する軍部です。「民主勢力Vs国軍」より、「民主勢力Vs軍部」のほうがスッキリしませんか。それなのに、なぜ…。


 結論から言えば、ミャンマーの「国軍」はどうも固有名詞のようなんです。ミャンマー国家の軍隊、つまり国軍を現地では「タッマドゥ」Tatmadawと呼びます。これを日本語に翻訳したものが「国軍」ではないのかしら。

 ミャンマー、もとい、ビルマは--国名については、日本語でも容易に調べられますので、各自で検索してください--19世紀末にコンバウン朝がイギリスによって滅ぼされるまで、いくつかの王朝が変遷し、周辺諸国・諸民族と攻防して版図を広げてきました。そのころ、ビルマ軍はけっこう強かったのです。その王朝の軍隊を「タッマドゥ」と呼んでいました。

 タッマドゥは、「王の軍隊」という意味です。ですから、歴戦の勇者ども、勝利と名誉と栄光のタッマドゥという言葉には表敬のニュアンスがあります。日本で言うと、大日本帝国陸海軍を「皇軍」と呼んだが如きか。もちろん、タッマドゥは王朝とともにイギリスによって解体されてしまったのですが、1948年の独立後、独立を担った軍事組織が「タッマドゥ」を襲名したという次第。そして、今日に至るわけです。

 独立を担った軍事組織などと書きましたが、もとをたどると、日本軍に練兵されたアウンサンらの「ビルマ独立義勇軍」BIAです。

 イギリスは、ビルマ族のコンバウン朝を滅ぼして、ビルマ州として英インド帝国に組み入れた際、ここでも被支配層同士がいがみあい、憎みあうように「分割統治」を行いました。つまり、行政組織の上層にはインド人を連れてきただけでなく--いっときは首都ラングーンの人口の半数以上がインド人でした--人口の7割近くを占める多数派であるビルマ族より、1割ほどのカレン族などを優遇したのです。警察や警備などの「実力」組織からもビルマ族は遠ざけられました。また、仏教国であるビルマにおいて、カレン族に対しては熱心にキリスト教を伝道しました。日本軍の占領期には、ビルマ族のほうはアウンサンらが「ビルマ独立義勇軍」のちに「ビルマ国民軍」を組織、独立をめざして反英闘争したのに対して、カレン族は英印軍の下で日本軍を相手に戦います。日本の敗戦によりビルマ独立までにはさらに権謀術数、紆余曲折がありますが、とにかく、そのころは、ビルマ族にとってカレン族とは英国の手先、英国の犬なわけです。

 イギリスからの独立時、カレン族など少数民族のいくつかはビルマ族とは別の国家として独立しようとしましたが、タッマドゥはそれを許しませんでした。これまた今に至っています。ですから、「国軍」に対して敬意を持ってタッマドゥと呼ぶのはビルマ族だけであっただろうし、しかし、軍部の長年の圧政や腐敗に苦しんできた民衆は、ビルマ族と少数民族とにかかわらず、もうタッマドゥとは呼ばないでしょうね。ただの「軍」です。「シッタッ」Sit-tatと言います。おそらく、タッマドゥは今や、軍の自称にすぎないかもしれません。

 もし、「国軍」が「タッマドゥ」の翻訳だとすれば--だれが最初に言い出したのかは、調べられませんでした。いまのところ、まだ私の憶測--、日本では、少なくとも報道では使わないほうがいいのかな。「国軍」を使うと、中立的でなくなるかもしれません。



 蛇足。同じことは、国名のミャンマーにも言えるんですが、じゃあ、どうすればいいですかね。

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