脳性麻痺。学校生活を送る。虐めにあって想うこと。
脳性麻痺で左片麻痺がある。養護学校に行くほど知的障害はない。だから公立小学校に入学した。特別支援学級ではなく普通学級。これが苦難のはじまり。
子供は残酷である。思ったことを素直に口にする。「歩き方変やな」「何で手が動かへんの?」うまく聞き流すことも言い返すもできず、人と距離を置くようになった。嫌なことを言われないように人の顔色を伺うようになった。
脳性麻痺のことが原因かは定かではないが、小学校1年生の頃から虐めが始まった。小学1年生の虐めは今思えば大したことは無く、机いっぱいにサインペンで落書きをされる程度。当時はこれでもショックだった。
学年が上がると虐めの種類も変わる。大人になった今でも鮮明に覚えていること。小学2年生の頃、面識の無い上級生2人組に頻繁に呼び出された。身体的暴力ではないが、少し離れたところから嘲笑されるという精神的にダメージが残る虐めであった。この頃から人の笑い声やヒソヒソ話が気になり出して嫌いになった。それは大人になった今でも続いている。もう一種のトラウマである。ますます人が苦手になった。そんな生活の中でも数は少ないが絡んでくれる友人ができた。これが唯一の救い。
中学生になると、人間関係に馴染めず不登校気味になった。学校に再び通えるようになった後も人間関係が改善されたわけではなく、休憩時間はトイレで時間を潰して過ごす日々が続いた。修学旅行がまた地獄で、グループから外れて東京の散策を1人でするハメになったものの、散策する気分になれず、ほとんどをベンチに座って過ごした。1人で行動することが増えるとやはり嘲笑の的になった。
高校生になっても1人でいることが多く、休み時間はクラスメイトの嘲笑から逃げる為に元々好きでもなかった小説を読み続けた。そういう生活をしばらく続けていたある日、一度も話したことのない小学校からの同級生から突然「体操服貸して」と言われて仕方なく貸した。感じの悪いやつという印象だった。それ以降何かにつけて話しかけてくるようになり、私も少しずつ話すようになった。他の同級生と違ったのは、嘲笑は一切しないやつだったこと。脳性麻痺のことを一切無視して関わってきたこと。それが何とも新鮮だった。高校で初めて友人ができた。そいつは背が高くガタイも良かったので、歩き方を真似してバカにしてくるやつや嘲笑してくるやつに睨みを効かせてくれた。そのおかげで多少過ごしやすくなっていった。
結局高校まで嘲笑され続けた結果、人と関わることがさらに怖くなってしまった。
高校卒業専門学校に進学するのだか、そこでも最初は人との関わりを避けて過ごしていた。にも関わらず無理やり話しかけてくる同級生がいて、そのおかげで徐々にクラスにも馴染むことができた。
私の小学校から専門学校までの学校生活で友人になった人物は、人を避けようとした私の壁をことごとく破壊してくる稀有な存在だ。ありがたい。
テレビで報道されているような虐めではなくても、人の精神は簡単に追い詰められる。
本来笑うことはいいことなのだろう。ただし嘲笑はやっている側は意識していなくても、それだけで精神は追い詰められる。年齢が若ければ人格形成にすら影響を及ぼしかねない。
嘲笑の怖さを知ってほしい。
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