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異世界転生モノの王者「無職転生」アニメ化―涼宮ハルヒオマージュにみる作り手の熱量―

Hemiです。

個人的、生涯で最もハマったネット発ライトノベル、遂にアニメ化。
知り合った人全員にお勧めしてきたこの作品、書かずにはいられない!
(タイトル画は公式ページよりお借りしました)


これはよいアニメ化(第1話を見て)

 アニメを待っててよかった…。

 2021年冬アニメとして放送がはじまった「無職転生~異世界行ったら本気出す~」。作画、脚本、キャスティング、その他作品の雰囲気を伝えるための細部まで、作品理解度が非常に高いアニメ化になっています。

 詳しくは後述しますが、このアニメ化は、昨今で続いていた「なろう系アニメ」の流れからそこそこのクオリティで世に出た程度では失敗と見なされる宿命を背負ったアニメ化でした。何せ肩書は「異世界転生のパイオニア」ですから、この王者抜きにしては、異世界転生もののアニメ化はまだ成ったとは言えない状態だったのです。にもかかわらず、市場には低クオリティな後発作品のアニメ化ばかりが先行してしまいました。結果として、この「無職転生」への期待値も上がらざるを得なかった、というわけです。


『無職転生』って何?

 いまから約9年前、2012年11月にアマチュア小説投稿サイト「小説家になろう」にて、ひとつの作品が掲載されました。その名は「無職転生」。とある無職のひきこもりがトラックに轢かれて、現代とは異なる世界で新しい人生をはじめる「異世界転生」ものです。まだ「転生」というジャンルが確立しきっていなかった当時に、「トラックに轢かれて死ぬ」や「死後に異世界で生まれ変わる」など、後に続く異世界転生作品のひな型を作り上げた作品です。圧倒的な人気を誇り、2013年から2019年までの5年以上もの間、サイト掲載の全作品中での総合ランキング不動の1位に輝いていました。

原作版「無職転生」はこちら(なぜかリンク埋め込めなかった)。
そのほか書籍版はこちら。英語版もあります。現在4巻まで所持。
そのうちレビューします。


漫画版は読んでいません。あしからず。


なろう系のアニメ化は本当に難しい

 この作品、異世界モノです。つまり現代社会に生きる我々とは違う世界であることをアピールしなくてはなりませんし、そこを読者に伝えていち早く期待感を持ってもらわないと、数多あるアマチュア作品のなかに埋もれてしまい、続きを読んでもらえません。作者の心理として必然的に、「私はこういう物語を今から書きます」と伝えながら「こういった設定の異世界が楽しめます」といった自作自演プレゼンを始めます。(※1)

 するとどうなるか。主人公が延々と一人語りをします。仕方ないことではありますが、ぶつぶつ独り言を喋る気持ち悪さと、説明を描写に回さない手抜き感についていけず、私はこの時点で作品の視聴をやめることが多いです。

 無職転生第1話のルーデウスの場合、モノローグを「意識の人」にパスすることで、独り言の怪しさを、むしろアニメでなければ表現できない技法に昇格させました。00年代後半からアニメを追いかけていた人間はすぐに気が付いたと思います。これ、「涼宮ハルヒの憂鬱」でやってたやつだ。


涼宮ハルヒを想起させる意味

 「涼宮ハルヒの憂鬱」は言わずと知れた人気シリーズです。原作ノベルはもちろん、アニメとしても成功している、いわば大先輩です。つまり、アニメの文脈を見てきた人間からすると、杉田智和を使ってモノローグ語りで異世界の所感を述べさせることで、説明を描写に昇格させるだけでなく、この作品は成功するという印象を無意識のうちに与えるという効果を得られます。ある意味ではアニメづくりにおいても本気を出したやり方です。このやり方によって「無職転生」最序盤の難関である以下を切り抜けました。

・トラックに轢かれるイベント(通称=異世界トラック)
・転生シーン
・親がベッドイン(※2)
・ロキシーがやってくる(特に重要)

 特に家庭教師、水聖級魔術師ロキシーがやってくる場面を例にとります。ここでは、2つの描写が同時に行われます。

1.「親が家庭教師を雇えるだけの身分である」こと
2.「ロキシーが身長の低い魔法使いである」こと

 1は意識の人によるモノローグです。家庭教師を雇ったというタイミングで家庭環境の話を挟むと、文脈として自然な位置に説明がやってくることになるので違和感がありません。よいものを作ろうという意志が見られます。

 2ですが、「帽子が歩いてくる」ことで頭の位置が低いことを言葉を使わずにアピールしています。つまり家庭教師でやってきた魔法使いは、モノローグの説明とは違って身長が低いことがわかり、言葉での説明と描写での意外性を同時に出しています。これで、この後のシーンで家族全員が驚く姿も自然に受け入れられます。

 また、このシーンですが、魔女帽子を被った女の子が、アニメシリーズ第1話で杉田智和のモノローグと一緒に描写されています。もう一度いいます。魔女帽子を被った女の子が、アニメシリーズ第1話で杉田智和のモノローグと一緒に描写されています。

TVアニメ版 涼宮ハルヒシリーズ 放映版第1話「朝比奈ミクルの冒険」
長門有希は魔女の装いをした魔法使いという設定だった


 これにより、昔からのアニメファンに対して、新しくやってくる家庭教師は魔法使いで、無口キャラであり、今作のヒロインであるということを、視聴者に涼宮ハルヒシリーズの長門有希を想起させることで余計な説明を省きながら一瞬で理解させることができます。よいものを作ろうとしていなければたどり着かない工夫です。個人的には、ロキシーが村に降り立ったあと、村人たちとバックグラウンドで挨拶をしているあの感じ、キャラクターが生きている感覚がして本当に好み。


失敗続きの「なろうアニメ」の逆風

 偶然にしてはできすぎていますので、意図的にこのような作りにしたと見て間違いないでしょう。そのほか、紙芝居アニメ感を与えない工夫が多く見られます。挙げればきりがありません。登場人物をあえて画角の端に配置したり、会話のやり取りをシーンカットを用いてテンポよく描写したり、キャラクターの背中を積極的に描写して視聴者が「生きている誰かを観察する感覚」を得られるように工夫されていたり…。生きている人間の姿って正面から以外の角度で見ることのほうが多いですし。

 これらの原動力がどこからくるのかはわかりませんが、巷にあふれる粗製濫造の異世界転生ものに対する、王者からの裁きを下そうという構図に見えなくもありません。

 少なくとも、この手の話そのものがつまらないのではなく、小説家になろうというサイトの、文章量ありきの説明口調と突飛な設定でバズを狙えば、あっという間に書籍化が狙えてしまう構造が悪さをしているような気がします。無職転生が世に出るまえに、その後発である二番煎じモノが続々と低予算と低い志でアニメ化され、世に「なろう系」の悪評を広めてしまった結果、無職転生もろともこけてしまうのは本当に嫌でした。ある意味では、その色眼鏡を覆すだけのクオリティがなければ、このアニメ化はどうあがいても失敗に終わってしまう背水の陣だったのです。

 と同時に期待感もありました。いくらなろう系がこけようが、「我々には、まだ『無職転生』がある…」と。それでこけてたら多分本当に泣いてました。これだけ満を持したアニメ化で本当に一安心です。


まとめ
 
 アニメ版無職転生は、「異世界転生もの」の最高傑作を作ろうという意志に満ちたものです。この作品が異世界転生のパイオニアであるように、アニメも「これが本当の転生譚じゃ」と言わんばかりのクオリティです。

 原作の良さを活かしつつ、ニュアンスを損なわないよう十分に考えて作られていると感じます。涼宮ハルヒを想起させるシンボルを多用することは、作品がこけたときのリスクにもなり得ます。奇しくも涼宮ハルヒシリーズと無職転生を繋ぐ「異世界」というキーワードがどのように作用していくのか。ルーデウスが作中で経験する数々の出会いとターニングポイントを経て、ますますアニメ化の難しさが試されていくと思います。


 お読みくださり感謝。
 アニメ版「無職転生」の前途を祈りつつ!

 

 2021/01/17 Hemi

※1 自作自演プレゼンはアマチュアの異世界モノ99%で見られます。これは作者の技量が問われるのもそうですが、それ以上に「小説家になろう」というサイトは作品数が多く、また読者層が若いために、より序盤から作品の方向性をアピールしつつ、若い読者に対して分かりやすいものを作ろうとして成立した方法なのだと推察されます。それらのプロセスが前倒しになった結果、なろう系小説のタイトルは現在に至るまで長文がテンプレート化していったのだと思われます。

※2 
<異世界トラック>
轢かれた瞬間ではなく、轢かれて救急車で運ばれた後から語ることで、視聴者はありきたりな事故を見ずに済み、次に起こることに集中できます。
<転生シーン>
杉田智和の声で下ネタを言えば作品として受け入れられる雰囲気によって、転生という、もはやテンプレート化した展開の違和感が緩和されています。また、異世界転生もののアニメが氾濫し、粗製乱造が進んだ状況だからこそ、より丁寧に描かれていると思われます。
<親がベッドイン>
無職転生には多くのエロな部分がありますが、モノローグの間に挟んで違和感なく描写すると同時に、今後も起こりうるエッチな展開もギャグとして進行しますと保証する意図もあるかと思われます。

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