7年前ボツにした小説「魔法のない世界」 ~書き出し~
――
「あれ、先生じゃないですか」
中庭のベンチに座っていると、声を掛けられた。
「スミレさん……でしたか?」
「はい。先生の講義楽しくてえっと、いつも楽しみにしてます」
「ありがとうございます」
「あの……課題、がんばります」
「ええ、待ってますね」
そう言うと、急いでいたのかすぐに去っていった。
こうして、ただぼーっとして過ごす時間はいい。聞こえてくるのは、お堀を流れる川のせせらぎや、中庭を囲む列柱に遮られた、遠くの空からかすかに伝わってくる街のざわめき。そよ風は海のほうから、ひんやりとした空気を送り込んでくる。日差しはあたたかい。草花が揺れている。
あと数週間で、この大学ともさようなら。そしたらいよいよ念願の、大陸旅行へ! 待ちに待ったなあ。前から行きたいって言っていたのに、いきなりこの仕事が決まって……もう気が付けば三年も経っている。お母さん、意地悪だよねえ、レカミエ。……応えてはくれないか。ずっと小さいころからの付き合いだから、もう十年はゆうに使ってきたし。もしかして壊れてる……?
そろそろ新しい杖、作るかあ。
・・・
きりきり。けずけず。
あ、折れた……。
「先生、いまいいですか」
ム、この声は。
まずいぜ、からだじゅう木くずだらけだ。作業着だし何より寝起きで顔を洗ってない。おまけに手に握る折れた物体。んん、折れた部分はうまいこと形ができているように見えなくもないが……。
「入りますよ――うわ、どうしたんですかこれ」
「え、や、あ、ちょっと」
「おお、新しい杖ですか。カッコいい形ですねえ」
「え、まあ。前のがあんまり、反応よくなくて」
「名前あるんですか?」
「コ、コチニール」
「へえ。そうだ、来てください。お知らせしないといけないことがあるんです。学長がお待ちです」
学長室に呼ばれることはめったにない。何かしでかしただろうか……ひょっとして、学生たちにいい成績を付けすぎた件だろうか。
この人に呼ばれるときは、休講になった分の振り替え授業を任されるか、学生課に寄せられたクレーム対応のヘルプか、ものすごく忙しいときにアポなしでお昼に誘ってくるか……いつの間にかわたしの中で、彼の顔が厄介ごとのシンボルになっている。
「アリスです。入ります」
「来ましたね。ちょっと見てほしいんです」
「え、わたしへの手紙ですか?」
「ええ。あなたのご実家から」
「……」
魔女協会。
実家とは、学長もいい性格をしているなあ。派遣されているわけだから、実家じゃなくて斡旋業者みたいなものじゃないか。で、なに戻って来いと? 言われんでも、どうせ契約はあと数週間で満了ですが……なに、異世界人?
『フー国のビナエラ大学に、異世界人の強襲の恐れがあります。グラン・セントレル王国の方角より、召喚の波動を確認しました。今からふた月後、現職魔女ローリエの援護に向かい、学生を救いなさい。お願いしましたよ』
えええー! お母さん、もっと頼れる人いますよね! いるじゃあないですかあ。ヘリンさんとか。アルドワーズ……は、ケガしたんだった。だからと言って、わたしぃー? 心底イヤだ。行きたくない。ビナエラ。
『はじめての就職先だから、嫌な思い出がいっぱいあるでしょうが、それとこれとは別なのですよ。それと、あなたの好きな遠乗りは、この仕事が終わってからいくらでもしなさい。いいですね。アリスちゃん。ビナエラへ行かなかったら、お家の目の前まで帰ってきてたって、いれてあげませんからね お母さんより』
ひえー。
「悪い知らせでしたか?」
「い、いえいえ。あ、この件でお話しなければならないのですが……」
「なんでしょうアリス先生?」
……いやだなー。行きたくないなあ。
フー国は寒いし、ビナエラ大学の学生は目つき怖いし。それに異世界人と言えば、超能力者でしょ? 魔法使いでもないのに瞬間移動したり、光の速さで剣を抜いたり。嫌だなあ。協会からの任務っていうのもまあ割に合わない。これなら民間の斡旋所で受けたほうが儲かる。儲かる……あ、欲しい本があるんだった。
「やっぱりなんでもないです」
「ビナエラに行くのですよね? 大切な仕事ですって、私にもお手紙が宛ててありましたので大体は知っていますのよ。お気をつけて、いってらっしゃい」
「はい、いってきます」
ううう……。
嫌だあああああ!!!!
――こうして、アリスの長い旅は始まったのである。
――
なにも手を付けずにそのまま出してみました。
腕からへんな発疹が…。
お読みいただきありがとうございます。
へみ