朗読台本「お気に入りの曲」


1  「お気に入りの曲」はどうできあがるんだろうと思ったんだけど、それって何度も聴いてきたパターンからできていくのは、疑いようのないことだよね。つまり幼いころからの、分かりやすい形での積み重ねの結果ってことだ。


2  もっとも、移動も授乳もままならない赤ん坊のころから、自分で、CD(シーディー)をセット、いやiPod(アイポッド)の画面をスワイプして、音楽を聴き始めるなんてことはできないから、誰かがそれを部屋や車でかけるわけだ。つまり第三者によって聴かされる。誰かに強制されるといってもいい。自由な意思で、耳から入る情報を淘汰することはできない。誰かからの影響で好みが決まる。言い換えれば、自分の好みは誰かによってもたらされたもので、自分が好きで選んできたわけじゃないかもしれない、ということだ。


3  しかし待てよと思う。日々の生活のなかで、もし仮に、好みの音楽というものが自分の脳みそを占拠して、他のことが考えられないような事態が起きたとしたらどうだろうか。それって、誰かが自分の考える力を奪っているということにならないか? 選択肢が3つあったとして、一番目を選ぶという行為は、本当に自分が選んだと言えるのか? 自分の一生の仕事やら過ごし方から、ひょっとすると恋人選びでさえ、自分が本当にそうしたくてそうしていると言い切れるのか?


4  これらの問いの背景にあるのは、おそらく「自分とは何か」だ。この、壮大で、それでいて陳腐な響きがする疑問に対して、これまで生きてきた経験から分かることは、たった一つしかない。それは「それが自分」ということだ。


5  答えになっていないのは分かるけれど、突き詰めていくと、きっと絶望か、逃避しか残されていない。この問いの先に、現実的な回答はない。しかしながら、マーク・トウェインの『人間とは何か』で展開されるように、老人の繰り出す一見して論理的な言説は、その裏に明らかな著者の現実に対する希望的観念が織り込まれている。つまり、「テーマとして選択するという問題意識」が表明しているように、かの名著は、根本的には「個性」を模索する行為に他ならない。時を越えて語られるほど奥が深いということだ。


6  ところで、僕は何でコーヒーを飲むんだろうか? それは、借金をしてでも博打をする人間と何が違うんだろうか? このテーマは少し話がズレそうなので、また今度にする。


2018年11月投稿を再掲

Hemi

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