ほぼ100%母親の考えを受け継いでいる私(たち?)
最近、あるセッションを受け、大きな気づきがありました。
「私は集客がそんなに得意ではない」という考えは
どこからきたのかについて、
一緒にワークをしてもらいました。
これは母親からだ、と、はっと思い当たりました。
母は、地元の九州の高校で英語の教師でした。
転勤族の父と結婚し退職、
その後、静岡県で、私を出産しました。
昭和50年代、私が5歳くらいから(ピンクレディが全盛→引退の頃)
自宅で少人数の子ども向け英語教室を開いていました。
「よくやったなあ」と私は感心しています。
まあまあ田舎の土地で、母はハイカラな方だったかもしれません。
多趣味でおしゃれ(ボス的タイプでは無い)。
「かよちゃんのお母さんって美人」っていつも言われていました。
小さい頃の私にとっては、母は厳しく怖かったですが。
英語教室をしたことで、ある程度目立っていたと思います。
私が中学生になったら、母がPTAに推薦される噂もあったそうで、
私が小6の3月に、父が東京に転勤になったのは
母にとって、渡りに船だったようです。
田舎で、息苦しかったと言っていました。
あくまでも私の想像ですが、英語教室を開いていることで、
後ろ指をさした人たちもいたかもしれません。
また私にずっとあった「目立ってはいけない」も
もしかしたら、この頃の母の思いを
私が自分にも取り込んだのかもしれません。
そう思ったら、なんだ、「集客に抵抗がある」のも
「目立ってはいけない」も、全部思い込みで、
真実ではないな、と軽くなりました。
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母は、10年前に亡くなりました。
九州の実家から離れた静岡で出産と育児、
とても孤独で大変だったと思います。
父が教習所を辞めて、車もなかったので
(あの田舎であり得ないことだったので、母はぶーぶー文句を言っていた)
小柄な母は、重めの私を自転車に載せて
まあまあ遠くの小児科に、しょっちゅう連れて行ってくれたことなど
とても感謝しています。
夫婦喧嘩が激しかったので、
何度も私は自家中毒になり(と私は思っています)
頻繁に点滴を打っていました。
風邪の時は、大根あめを作ってくれました。
(あまり好きではなかったですが、治りが良かったです。)
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コネプラ、すごく良いスキルだと思います。
ブログやインスタでは宣伝しますが
友達にはほとんど伝えていません。
それは、上記の思い込みがあって怖かったから。
でも、フラットに伝えられたらいいな。
必要そうだなと思う人にさらっと伝えて、
興味がなければ、それは選択の自由だから。
離れていく人は、そういうご縁・・・。
また新しい人たちともどんどん出会っていくと思います。
この1週間、コネプラのパンフレットを作っていました。
完成したら、noteにもアップしようと思います。
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