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第97夜 しんどい軒の湯気
「そんな名前つけちゃってどうすんだよ」
脱サラで始めたラーメン屋に“しんどい軒”と名付けたら、友人たちから猛攻撃を受けた。
「花を出す身にもなってくれよ。こっちは名前入れてんのに、“しんどい軒様へ”なんて相当馬鹿にしてるみたいじゃないか」
「何でよりによってそんな名前にしたんだ? もっとあるだろうよ、麺屋 輪蓮華なんてどうだ? スープが美味くてレンゲの動きが止まらないイメージだ」
そういった自画の命名みたいなものには興味はなかった。自分はただサラリーマンの時に成績どん底の状態で呼ばれるように入ったラーメン屋の味が忘れられなくて、この道に歩み出しただけなので、ドーンと看板を出すようなことには何の興味もなかった。ただひたすらあの時の心に沁みる味に近づけ、いつでも変わらない状態で出すことができたらそれでいい。そして自分みたいにどん底の人の心がひととき温まってくれたらそでいい。
「開店を祝ってくれてありがとう。まずは頑張ってやっていくよ」
店は大船と藤沢の間の東海道線路沿いの素通りされそうな所にあった古い小料理屋を居抜きで借りた。道路に沿ってひしめく工場に働く男たちの仕事終わりの宿木になっていたようだが、高度成長期から数十年、店主も高齢になり数年前に店は閉じられ朽ちかけている状態だった。8席のカウンターと調理場というこぢんまりさがスタートアップには丁度良かった。引き渡され最初にカウンターを濡雑巾で拭いたら真っ黒になった。鉄の五徳のガスコンロも錆きっていたがyoutubeに復活方法を教えるものがあったので、ホースを変えるだけで何とか使える状態になった。ラーメンの方はサラリーマンの時から週末などに研究を重ねていたので、どん底で味わったものとほぼ同じ味を再現できていた。あとは客に出せるだけの分量を作り続ける循環づくりだった。これも無理は控えて、1日10杯と出す量を限定して様子を見た。黄色味の強いちぢれ麺は名越の製麺所にお願いして配合してもらい、チャーシューは深沢の卸しも兼ねてる精肉店に高座豚を毎日1kgだけ確保してもらっている。まあ、何の変哲もない醤油ラーメンだが、自分にとっては最高だ。それだけを信じてお出しする。
2週間ほど経った頃、数百メートル先の電機メーカーの作業着の上だけ着た若者がフラッと入ってきて、スマホをスクロールしながら注文以外何も話さず食べて出て行った。それは別に珍しい光景ではなかったが、出されてすぐに胡椒を振るようなことはなく、何より箸を置いた丼には5mmだけスープを残していることに店への配慮を感じた。いわゆる慣れた客だ。最後の5mmにはどうしても除ききれなかった乾物かすが赤ワインの檻のように残ってしまうことを想定して、その分は口をつけないようにするのだ。彼は決まって金曜の17:45にやって来た。食べ方はいつも同じだ。
2か月経って1日30食まで数を増やすことができたが600円の醤油ラーメンだけでは維持は厳しい。このままのペースではサラリーマン時代の貯金は1年もたないので、まずは倍の60食を目指す。麺、チャーシュー、乾物と順にこだわりをSNSにアップして行ったら徐々に客が増え、ひと月後に目標は達成し一旦見通しが立った。が、あの客が姿を見せない金曜が3度続いた。気になり同じ作業着を着た客に聞いてみることにした。外見の特徴を伝えると、
「あ、多分柳田だ。あいつは持病のヘルニアがどうにもならなくなって国に帰っちまったよ」
そうだったのか。確かに立ち上がる時に腰が辛そうな時があったがそんなに悪かったのか…。
「やつはいつも言ってたよ。あんたのラーメンで何とか頑張れたって。やつはあんな貝みたいに無口なんだが、ああ見えて芯が強いんだ。ずいぶん仕事では助かってたんだがなあ」
頑張れたかあ…。
初めての冬、しんどい軒の換気口からは毎日控え目な湯気が立ち昇っている。