第15夜 鎌倉ステイ
何の不自由も不満もないがただただ一人になりたい時がある。黙って頭の中を整理するために誰とも話をしたくないし、雑音みたいにワアワア勝手に話される聞いてもいないどうでもいい話から逃げたいのだ。妻と娘と暮らしているこの江東区の公団マンションでは逃げ場はない。昨年長女が巣立ったので女3人私一人という状況から少しはましになったが、まだ大学生の次女が居るのでワアワアしたリビングのほかはトイレとベランダ以外に私が逃げることのできる空間はない。追い打ちをかけるようにベランダでタバコを吸っている時にもお構いなしに近所や大学での日常報告が両方から飛んでくる。タバコをくゆらせ考え事をしている様子は話しかけても大丈夫そうに見えるんだろう、会話もない冷えた家庭からしたら贅沢な悩みかとは思うが、熟年のくたびれた今の私にとってはキツい。そもそも私は昔から人一倍一人になるのが好きだった。40代までは休日のサーフィンが格好の場所だった。土曜の朝は家族がまだ寝静まっている暗いうちに家を出て一人時間が始まる。洋上での波待ちの間は最高の時間だった。定期的なうねりのせいか、考えごとは深まるのではなく、念仏のように繰り返されるだけなのだが、それも心地よかった。50歳になると腰のヘルニアが出てサーフィンから離れた。出かけることもめっきり減ってしまったが、家という井戸端での休日はたまらなく煮詰まる。キャンプにでも行きたい。でも道具はないし遠くまで行くのは正直面倒くさい。2時間以内で目的地に着きたいし、自然もありつつ文化も欲しい。できれば遥か彼方まで望める海辺がいい。
いつ行くでもどこへ行くでもあてもなく、googlemapをピンチインアウトしたり、サイトをサーフィンしていると『STAYCABIN KMK』というものに出会った。これは独自のホームページを設置しているのではなく、ブログオーナーの記事下に「数時間過ごしたいならここへおいで」という小さなリンクの中にあったのだ。このオーナーは子供が巣立った頃からなんとなく自分の居場所を失った気持ちが強くなり、たまたま見つけた鎌倉の山林の土地を買い理想の小屋を建てSNS発信すると思わぬ反響があり、同じ小屋を鎌倉の各所に建てたらどうかという出資者が出てビジネスに発展したそうだ。オーナーいわくここに安らぎを感じるのは、山を背にした安心感の中、広い景色を静かに一人見ていられるから、とのこと。この一文に無性に共感した。KMKは1~5まで鎌倉各地に全5棟あるそうだ。それぞれ黒のガルバリウム鋼鈑の外装のほぼ同じデザインのキャビンで、それぞれの地形に合わせデッキや窓の向きが計算されレイアウトされている。キャビンの中は8畳のフローリングにライティングデスクと一人掛けのカウチ、隣の半屋外のスペースには半円のガラス戸のついたシャワーブースと、ゆったりした檜露天風呂がある。飲食は火気厳禁で、電子レンジと電気ポットだけが許されている。デイユースと宿泊があるが、宿泊の場合はカウチをフルフラットにしてクローゼットの中の毛布とシーツと枕を自分で設置するようになっている。ここでの滞在はすべてが最小限、いわゆるミニマルな時間だという。知足を極めた鴨長明や良寛のシビアな空間ではないが、ヴィラのようなラグジュアリーな設えは取り入れられてはいない。そして極めつけは、ここでは一人利用を厳格に強いられる。鎌倉の山中に愛の巣は禅の風紀に反するとでもいうのか。だとしたらその考えもいい。鎌倉には学生の時に同じ学部の男連中と車に乗り合わせ夜中に一度だけ行ったきりだ。相当久しぶりだ。これは行くしかないな。
大船から北鎌倉へ進むにつれ木々が迫り、古い家屋も目立ってくる。やがて電車は場違いとも思える円覚寺の敷地に停車するが、ここはまぎれもなく北鎌倉駅なのだからしょうがない。円覚寺、建長寺、浄智寺などから見始める観光客を降ろし、電車はゆっくり動き出す。トンネルを抜けると左右に寺社が現れ出し、スピードが落ちていく。古都に到着だ
列車から観光客がわらわらとホームを埋めるほど出てきた。ホームの階段が詰まってなかなか改札まで行き着けない。改札は改札で自動ゲートにもたつく高齢者や訪日外国人で渋滞している。どうにかロータリーに出ると古都の玄関口というよりは、保養地のそれような佇まいがある。寺社が観光の中心ゆえ、商業的な看板などなく、目的地に運ぶタクシーにも余計な広告ステッカーなどは貼られていないせいだろう。そんな中、自家用車待機エリアに『Cape Limousine』と記されたマセラティの送迎車が停車されている。車体は黒色なので決して目立つわけではないが、なにぶん高級外車なので独特の存在感なのだ。スマホにそのワードを入れてみると、最上段にヒットした。どうやら逗子マリーナでスタートした『ZReborn』なるビジネスで、この昭和の時代のマリーナをリノベーションして週末の快適な滞在を約束するというものらしい。世界では富裕層の集まるマリーナ一帯にはコンドミニアムやレストラン、スーパーマーケット、ワインセラーやブティックなど独特な商業圏が生まれるが、日本はまだまだ未発達だったところに最近大手の資本が入り変わり出した。空きの出た部屋をどんどん買い取りリノベーションをかけ、宿泊数に応じて入札を行うことで空き室を出さない仕組みらしい。滞在中はオールインクルーシヴでレストランやバー、エステやジムやプールを好きなだけ使える。また、東京からの導線もできていて、東京駅の横須賀線コンコースに専用のサロンがあり、グリーン車の手配や提携しているカフェやワインショップからワイン、チーズ、お茶、デザートなどのBOXを1時間の移動用に用意もしてくれるとのことだ。欲するものは何でも用意する。私がこれから行くKMKとは真逆のコンセプトだ。まったく興味がわかないし、何よりそんなラグジュアリーな世界とは縁遠いので、そっちのほうの人に任せるとしよう。
私はまず段葛のユニオンというスーパーで寝酒のための小さなウイスキーのボトルとクラッカーとチーズとサラミを買い、西御門にあるKMK3を目指して小町通りの喧騒に紛れていく。国立付属学校を過ぎると谷戸の気配が近づく。KMK3はこの道をさらに数百メートル上がっていくのだ。谷戸は希少な住宅地として区画整備されたあまり情緒の無い環境だが、その外れから舗装はなくなりハイキングコースに続く山道となる。その山道に入る手前にKMK3の小さなサインボードがあった。こぎれいな石畳が小道を逸れ左に誘導するかのように続く。松葉ボタンに縁どられたかわいらしい石畳は50メートルほど続きキャビンが現れた。メールで送られたパスワードをキーボックスに入力するとカチャっとドアの鍵が開いた。中に入ると正面の大きな掃き出し窓に鎌倉市街が広がる。遠く先には陽にきらめく海も見える。
私はネットで見たこのこじんまりとした空間の中でやりたかったことを始めることにした。小説の執筆だ。妻にも話していないがここ数年通勤や休日にコツコツ妄想を書き溜めていた。15インチのノートPCを開き、電車で書きかけていた続きを書きだす。 いつもと違う、いやイメージしていた最高の環境の中で執筆ははかどり、気が付くと2時間が経っていた。集中したことで空腹も忘れていた。ネットで調べると、ここから歩いて10分ほどのところに創作中華があるようだ。一人であることを電話で伝えると、海鮮をメインとした李白コースなら18時に用意できるとのことなので予約した。まだあと小一時間ある。
石畳から山道のほうへ歩いてみる。季節はまだ春早いので新緑もまばらだがむしろ生命の息吹を感じる。坂を上り詰めた住宅地のはずれに、「至建長寺」というサインがあり、山道が伸びていた。この場所と北鎌倉の建長寺の位置関係が全然ピンとこなかったが、スマホで地図を見たらハイキングコースがつながっていた。回春院という建長寺の塔頭に出るようだ。とても魅力的だが夕食の予約時間に戻れそうもないのでそこまで行くのは諦め、木立の中をゆっくり歩いて時間を過ごした。相当お腹も空ききっていたので李白コースは大満足で、ついついこの辺の地酒天晴の純米が進んでしまい、部屋に戻るとリクライニングのまま寝てしまった。
5時前に目が覚めた。旅先ということで眠りが浅かったわけではなく、いつもはそんな早くに寝ることのない9時に寝入ったことでいつもの7時間睡眠のサイクルで自然と目が覚めたのだ。せっかくだからこのまま起き上がってどこかに行ってみよう。気になっていた檜露天風呂は戻ってから入ればいい。利用客用に玄関脇の軒先に用意されていた自転車で坂を下り、どうせならと海を目指す。なるべく大きな通りを避け小道を選ぶ。宝戒寺から宇都宮辻子(ずし)を抜け、妙本寺の比企谷幼稚園からぼたもち寺を過ぎ、来迎寺から実相寺へと進むとKMK5のサインボードを見つけた。下見がてら行ってみたところ、山茶花の生け垣の中に同じ黒のガルバリウムのキャビンがあった。ここは気持ちよさそうな広い芝生の庭にデッキが張り出していた。デッキにマットを敷いてヨガを行う女性がいた。体のラインがそのまま出るようなものを身につけているゆえ、そのアクロバティックな動きがはっきりわかる。絶妙にバランスを保っている体幹が美しい。ヨガは体を鍛える運動ではなく、体の中に気を流し周囲からさらに宇宙へと一体化していくための行いなのだから、こうして海の波動を間近に感じることができる場所はすごく都合がいい。彼女はこの囲われた屋外空間で一体化に集中しているが、おそらくこれから行くビーチにもヨギーニを見ることができるだろう。小道は大きく2度ほど曲がり自転車を漕ぐのも少し疲れてきたころ材木座のビーチに出た。
ビーチの朝はとても静かだった。干潮なのだろう、砂浜が広く、あちこちに残る水たまりに朝の光が差し込み輝く。案の定数人がマットの上でヨガをしている。私は座れそうなコンクリートの突堤に腰を掛けるとついつい深呼吸したくなり両手を天に伸ばし背中をそらせる。空が広がるパノラマを左右に何度も目を行き来させると、先の波打ち際に犬を散歩させる人がやってきて犬同士が挨拶を始める。そこへ次々に新たな犬が参加して集団になっていく。
水平線の先にはうっすらと大島が望める。その左側の岬に位置するのは駅で見かけた送迎車が行き来している逗子マリーナだ。ヨットの停泊エリアはここからは見えないが、いくつかのコンドミニアムが点在している。それらの建物をつなぐ道路に並木のように植えられたヤシの木は時を経て大きく育ち、ここ材木座からもその葉の揺らぎまで見ることができる。それらが相まって日本離れしたマリーナの景色となっていた。ちょっとあそこまで行ってみよう。浜から一度先ほどの道に戻りトンネルを抜けるとマリーナの敷地に入った。
やはりここでも犬の散歩をするコンドミニアムの住民らしきがちらほら見受けられる。材木座ビーチの人たちに比べるとひと回り上世代のようだ。彼らから見たら自転車を漕ぐ私はこの土地の人間でないことは一目瞭然なんだろうが別段何か言って来ることもなく(べつに私道じゃなさそうだから当然か)、それでも何か庭に入り込んでしまったような気がしたので”ちょっとお邪魔します”と独り言ちてそそくさと岬の先を目指した。岬の先は消波堤になっており、竿を振る釣り人たちがいる。鎌倉と逗子の間に突き出たこの岬は確かに魚たちの豊富な気配を感じさせる。ぐるっと先端を廻る感じで鎌倉側に戻ってくると、そこは鎌倉の入江全体を見渡すことができ、その先に稲村ヶ崎から江ノ島までが見える。自転車でもないとまず来ることはない場所だ。岩場の手前のところにちょっと張り出した高台があり祠が祀られている。自転車を止めそこまで歩くと、ひとりの老人が大きめの石に座り沖を見ている。私もそのそばの石に腰掛ける。遠くには浜を散歩する人たちがうごめき、そろそろ1日が動き始めたことを感じさせる。老人が会釈してここの住人か聞いてきたので、一人になりたくて見つけたKMKに泊まり自転車でここまできたことを話した。老人も自分は逗子の街中で昔から整体をやっていて、ここまで毎朝歩いてくるのを日課としていることを教えてくれた。ひとしきり鎌倉の印象やこのところの天候などを話すと、またふたりは無口になり沖に目をやった。漁船たちが材木座の漁師小屋に一艘また一艘と戻ってきている。20分ほど経っただろうか、整体師の老人は沖を見ながら話し出した。
「この遥かかなたまで続く海原を見て思いを馳せるんだ。あそこに石がいっぱい積んであるところが頼朝が造った和賀江島という船着場なんだが、そこに船が頻繁にきていたこと、沢山の荷が上がる様子。中には渡来僧たちもいた、彼らは先に幕府に招聘され来日していた高僧に師事すべく高邁な思いでやってきたんだ。こんな日本の見知らぬ土地で修行し真理を追求したんだな。帰れるかもわからんだろう、家族にも会えないかもしれんだろう、そんなことを置いといてもここを目指したんじゃ。涙が出てくるわ。わしはな、ここでそうして水平線を見つめながらあれやこれや頭の中で過去を再生するんじゃ。もちろん見たことはないぞ、そんな状況は。じゃがな、思いを馳せることが大事なんじゃ。ほら、墓や仏壇の前で線香をあげる時って目を瞑りながら故人のことを思おうとするじゃろ? あの感じじゃ。こっちが思えばあっちも返してくれる。ここでは目は瞑らん。あの水平線をじっと見つめるんじゃ。やがてそこが道に見えてくる。まあるい地球の裏側からひょこんと和賀江島を目指す木製の船が現れるんじゃないかってな。そんなとこ他にあるか? この古都だけが持つロマンじゃ。京都にもないじゃろ、な」
老師はそういうとしっかりとした動きで立ち上がり、光明寺へ続く高架下のトンネルの方へ消えていった。私の後ろでカップルの声がした。
「なんだか生臭いわね、ここ。あ、あそこに魚が打ち上げられてる、だからか。虫もいっぱいいて気持ち悪いわ、早く部屋に戻りましょ」
私はもうしばらくここにいることにする。KMKのチェックアウトは12時。まだまだたっぷり時間がある。足元に飛んできたキジ鳩が私に警戒することなく地面の何かを啄む。コロコロ喉を転がすようなその鳴き声は、思ったより長く続き、思ったより耳に触ることなく、むしろ今朝の暖かさとしっくり呼応し合っていた。
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