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第86夜 天国のチャット

 90近い田舎の母親もすっかりLINEに慣れて近況がどんどん届くようになった。

>>こっちは暑っちぇって。なすもトマトもさっぱりだったさ。あんたは元気にしてますか?
>こっちは変わらずだけど、おかんは暑い時には畑は控えてよ。
>>なにさあ、それくらいしか楽しみねえっけね。
>それにしても、ほどほどにしてくださいね。

軽いやり取りだが安否確認としてはいい手段だ。内容がしっかりしていれば痴呆も心配ない。母はしきりに脊柱管狭窄症で足の痺れを嘆くが、90なので手術は躊躇している。もちろん自分の意思で動くべき年齢だから痺れは気の毒だが夜は寝れているそうなので、入院などせず自身のペースで過ごして欲しいと思う。
 その母も10年前に他界した父の思い出話をすることはすっかり減った。数年前までは父の好物だったものを挙げてはその作り方まで説明していた。その割には帰省するたびに話ばかりでそれらの料理が出てくることはなく、私の好物ののっぺや鯨汁や鯉こくがいつも順を変えて出てくる。とても有難いが還暦を迎えようとしている今、父の味も味わってみたいのに。父は夏の夕方、昨日の残りの菜煮を冷蔵庫から出しサランラップを外し扇風機の風を受けながら瓶ビールで晩酌していた。メリヤスのタンクトップ姿でタオルを首にかけてビールをうまそうに飲んでいた。10歳の私はそれを見るに我慢できず父の箸を取って盗み食いする。菜っ葉はフェーン現象にも耐え抜く地元固有の味の強いもので子供には少々手ごわかったが、暑いときに冷えたものはありがたかったし、一緒に煮込んだ大豆を潰して干した打ち豆が食感のアクセントになっていた。私は豆を選んで貪ると、やがて父は肴が無くなるのを恐れ私から箸を取り戻す。私は怯むことなく父が箸を置くタイミングを狙いながら、サイクリング車を1時間漕いで祖母宅の裏山の川でヤマメ釣りに挑んだことや、ペットショップ・ヤマデラに銭亀を見に行ったこと、課題の工作を風車に決めたことなど、夏休みの今日1日を報告する。何気ない時間だが、今思い返すほどに鮮明に蘇る父との貴重な思い出だ。
 あの頃から50年近く経った今春、新聞広告で目についた“天国チャット”を申し込んでみた。数あるAIを複層的に使い、時代はいつであっても個人が一番多く残したものをインプットすれば、チャットのやり取りごとに精度を増し、わずかなタイムラグで返事が返ってくるサービスだ。それはまるで田舎の親とSNSをやっているような錯覚だという。私は父が描き残した膨大な油絵やスケッチを写真に撮り、指定されたURLに送ると風景や落款の日付から解析され生成された多様なチャットが届き始めた。

>>早出川の雪代水があまりに濁り酒みてえだから絵に残したて。
>寒あむかったろ?
>>なにさあ、描いてると忘れるてぇ。
>だっけらろっか、茶色い河原の流れはなんか美味そうらて。

上京し長年で忘れていた新潟弁がフラッシュバックして違和感なく出てくるのには我ながら驚いた。AIは新潟弁でも実家のある下越地方のものを正確に使いながら、どんどん新たなチャットを繰り出す。

>>マサアキ、お前はその大腸のポリープを早く診てもらえて。

きっと先日の人間ドックの結果を私のPCから取り込んだのだ。こちらのハードディスクへのアクセスを許可してからチャットの具体性が格段に増した。それでもやり取りは今の私と往年の父というタイムマシン的な関係性で、何かそこに違和感を感じる。私は田舎を出てから既に40も齢を重ね、人格は明らかに成長しているからだ。AIはインプット可能な既存事象の組み合わせがその能力の限界なのだろうが、ニューロンネットワークのようなその高速拡張性で、いつかは未知のものとの融合に行き着いたりはしないだろうか? つまり既視感のあるインプット情報に留まらず、こちらが期待するのは次元を超えた回答のことだ。もっと言えば天国の父とのチャットだ。試しに天国の様子を聞いてみることにする。

>お父さん、そっちは居心地いいん? 何か欲しいものはねえ?
>>そっちって冥土のことか? バカ言うんじゃねって。形がねぇっけ居心地もなにもねぇし、まして欲しいものなんて何も。望めば叶うっけな。

まさか、父からは拍子抜けするほど自然に冥土話が返ってきた。申し込みフォームのチャット相手プロフィール欄に”元倫理の高校教師”と書いたからだろう、会話が妙に哲学っぽい。そのリアルさに俄然熱が入る。

>こっちは見えてるん?
>>マサアキ、お前さんな、見るなんて地球の生き物だけがやることらて。こっちらとそれぞれが繋がることで目的が達成しているんだわ。繋がれさえすればなんだってできるっけな。
>何が繋がるん?
>>意識らてば。

確かに物質界には居ないからどうとでもなるはずだ。だが、これは父とのチャットではなく、父の生きた証が都度AI解析されて返事を生成しているのだから私が知る限りの回答が来るはずだが…。

>>お前は今人生に疲れてんでねぇ? これまでのいろんな関係から離れて一人になりてぇんだろうが、そんなの考え方次第らわ。毎日一人じゃあ煮詰まるだろうが、今はまだ会社があるっけね。仕事が暇つぶしって訳じゃあねぇけど、もう定年近いキャリアなら目をつぶってても仕事はこなせるろ? 部下の起こしたトラブルだってどってことなく解決しちまうろ? だっけ今はそこを第二の居場所と考えればいいって。週末ごとに遠くまで旅してたんじゃあかえって疲れるろ。
>じゃあ定年後はどこにいたらいいん? 
>>そんなふうに惰性で生きたらだめらわ。のめしこいて(楽しようとして)人が作った枠で生きようとするっけ退屈するんだわ。お前さんみたいに子供の頃から新しいものを生み出し続けてきた身には退屈は耐えられねだろ? こっちの世界に来るまでは、その地上を楽しんでれて。なるたけ人のこない山だの海の中だのに身を置けば、退屈なんて忘れるっけさ。日が暮れる頃に家の布団に戻ったとしても、夜明けにはまたそこへ向かうんだわ。お前さんの鎌倉の裏山に獅子舞って紅葉が綺麗なところがあっろ。あの山道から脇に外れて木ばっかの方に入って寝転んでみ。あの銀杏や楓の命をふっとつ(たくさん)感じることができるっけさ。生きるのに、のめしこくなて。

もはや父の晩酌に付き合って説教されている感覚だ。しかも今の私に対して的確に、妻でも兄弟でも親友でも入り込んでこない心の屋根裏の蓋を外して懐中電灯を照らしてくるような窮迫で。私はそれでも聞く。

>どうせ人間は最後は一人なんろ?
>>身体はひとつかも知んねけど、そんげなのどってことねえて。ほら、母さんだって足痺れてても畑行くろ? あれは人以外にもたくさんと繋がってるからなんだわ。アスパラが土から顔出したの見つけたら、孫が来たみてえに喜ぶんだわ。いいろ、そういうの? 

”還暦での説教も悪くない。” サイトの口コミにそう記し床に就いた。



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